お寺づくりの担い手にせまるインタビュー

おてらびと物語 〜安心のお寺を創る〜

住職の正義とは何か?檀信徒のためのお寺づくりと見つけたり – 最明寺 住職 加藤宥教さん(神奈川県足柄上郡)

2017.06.08

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在家から僧侶への転身。最初は愛する人のための個人的な正義が動機だった

「お前の正義は何なんだ」

2006年の春、上司の言葉に加藤宥教(かとうゆうきょう)さんの心は揺れていた。勤めていた日産自動車のエンジン開発の仕事を続けるか、恋人と結婚してお坊さんになるか。恋人は、およそ800年の歴史を持つ如意山 最明寺(にょいざん さいみょうじ)の住職の娘だった。

「義父は既に亡くなり、奥さんと結婚することは、お寺に入ることを意味していました。日産での仕事は好きだったので、お寺に入るかどうかは相当悩みました。前からお寺に関心があるわけではなかったので、『自分はお坊さんをできるかな』と不安で、何をモチベーションにしてやればいいのかわからなかったのです」

悩みが深まる中、檀家の代表でもある総代さんにも話を聞いた。総代さんからは「ぜひお寺に入ってほしい。必要な支援はする」と切望された。

「時間はかかりましたが、自分にとっての正義を突き詰めていったら、エンジニアとして世の中の為に尽くすことと、お寺という場所で檀家さんやその地域の方々の為に尽くすことは同じことなのだと納得ができました。ただ、そうは言っても、当時の正義は、みんなのためというよりは、大切な人を救いたい、という個人的な正義感の方が強かったと思います。」

約一年間悩みぬいた末、会社を辞め修行に入る決心をした加藤さん。兼業という選択肢もあったが、自ら退路を断った。

東寺での修行時代

京都の東寺での修行生活は、日産時代には考えられない日常の連続だった。

「修行中は感覚が研ぎ澄まされ、鳥が飛んでいる音、日の長さが変わっていくこと、季節に応じて周囲の人の服装が変わっていくことなど、自然の流れを感じながら日々を過ごしました。特に聴覚が繊細になりました。修行の終わりが近づいたある日、障子の外に植わる桜の木の最後の一葉が落ちる音が聞こえました。修行してみないとわからない、新鮮な感覚でした。」

加藤さんが生まれ授かった名前は「坂本秀一」。結婚して姓が「加藤」になり、最明寺で僧侶としての「宥教(ゆうきょう)」という名を賜る。晴れて修行を終え、「加藤宥教」として僧侶の歩みが始まった。

胸襟を開いて人間関係を築く。会社経験が自分の殻を破った

加藤さんこと、坂本秀一さんは福岡県大牟田市出身で、炭鉱の街で育った。坂本少年が小学生のころ、父の仕事の影響で「ちゃんとしなければならない」という意識があった。

中学時代は楽しかったけど、高校に入ってからは窮屈で勉強していた記憶しかない。

F1に携わることに憧れ、九州大学で自動車の勉強をすることを目指した。専門では自動車の空気の流れを計算する流体力学を勉強したいと思っていたが、成績が足りず叶わなかった。しかしながら、たくさんの優秀な友人に恵まれ、各分野の第一線で活躍する彼らとは今でも親交があり、お寺以外のつながりとして話ができる友人は人生の財産だ。

「周りがほとんど大学院に進む時代。大学院の入試に落ちて、4年生の9月に留年するか、就職するかの選択になりました。まだ枠が残っている就職口の中からダメ元で日産を受けたら合格したんです。」

日産時代、グローバルミーティングでの一枚。後列左から4人目が加藤さん

日産入社後、配属は製品開発の責任者である主管直下の部署。グループリーダー、課長補佐、課長を飛び越えて、主管と新人が一緒に仕事をする特殊な部署だった。任されたのは開発規模が大きいエンジンのデータをかつてない台数で取得し、不具合の兆候を早期に発見する仕事。社会人として、エンジニアとしての姿勢、仕事への取組み方を徹底的に叩き込まれた。このころ何度も上司から言われた「お前の正義は何なんだ!」という言葉は今でも迷ったときに心に浮かぶ。2年目からは各部署との連携をはかる、エンジン開発の総合調整の仕事。各部署の利害関係が渦巻く現場で、難しい立ち回りを求められた。

「緊急にテストベンチでエンジンを回して頂かなくてはいけなくなったとき、電話一本で『お願いします』と声をかけるだけでは済みません。同じ会社とはいえ、相手方もスケジュールにのっとってテストベンチを使っていますし、場合によっては休日出勤をお願いしなくてはいけないときだってあります。缶コーヒーとタバコを持って、直接現場に出向き、『すみません。お願いします』と気持ちを伝えました。作っているものは機械でも、作っているのは人間です。言いづらい要求や難しい相手に対してどう接するのか、関連部署間とのせめぎあいをどう仲介するか。それまで、折り目正しく正攻法でいくのが良いと思っていたのですけど、それではうまくいかないことを学びました。」

身振りの固い少年時代から一転、会社では「総合調整」という役回りで、加藤さんは他者との関係づくりのセンスを磨いていった。

「自分から胸襟を開いていかないと、相手も開いてくれません。相手にとって不利なことを考えていたとしても、正直に言った方が早くわかりあえる。表面だけ整えて向き合っても、打ち解けるまで時間がかかるし、取り繕っていることが相手にバレてしまいます。」

「檀家さんのために」が住職としての正義

檀家さんとの談笑風景

加藤さん流の人間関係づくりは、現在の最明寺にも活かされている。住職になったことで、グイグイと人の中に入っていく姿勢は、会社員時代よりも強くなっている。会社ではある程度守られている立場にいるが、お寺では住職が全ての責任を負う。先頭に立つ存在となれば、表面だけの付き合いではいられなくなった。加藤さんの積極性は檀家とお寺をつなぐ架け橋となっている。

「檀家さんはみなさん年上で、『こう言ったら檀家さんは気を悪くされるかもしれない』という事があっても、住職の立場上どうしても言わなくてはけないときもあります。」

例えば、近年増えている家族葬。住民同士のつながりが強い地域では葬儀の知らせが来なかった際、「なんで教えてくれなかったの?」と残念がる人が多いという。弔問が絶えず、四十九日まで家を空けられなくなるといった、地域における家族葬ならではのデメリットを加藤さんはしっかりと伝えるようにしている。

関係性がしっかりと構築されていれば、檀家さんには冗談も交えてメリットもデメリットもお話できます。私はまだ寺に入って日が浅いので誰にでも同じことができるわけではありませんが、仮に意見が違うなら話し合って妥協点を探るとか、歩み寄ったりするように心がけています。まだまだ失敗もありますし、時間もかかると思いますが「相談しやすい」と思っていただけることが当面の目標です。

僧侶になることを決断した当時は「愛する人を助けたい」という個人的な正義で突き動かされていた加藤さん。最明寺で様々な問題に正面から向き合ってきたことで、檀家やお寺に関わる人のために最善を尽くしたいという、住職としての正義に成長した。

「『お前の正義は何なんだ』という言葉は、今でも自分の中でアクセルを踏むきっかけになっています。最終的な決断は、『これをやったらお寺が良くなる』という考えに基づいています。やってみたら案外できるかもしれないし、失敗しても今はそれはそれでいいかなと思います。何もしなければ今のままですから。」

最明寺の花まつりの様子

加藤さんの姿勢は最明寺に関わる人々の間にも浸透しつつある。寺報の発行、おてらおやつクラブへの参加、ホームページ、スーパームーンの夜のライトアップ、除夜の鐘、正月の門松づくり、花まつりなど、最明寺の行事は地域に開かれ、檀家や地域の人たちに「あのお寺は変わってきたな」と伝わっている手ごたえもある。

「今は何かをやるというときに、檀家さんに参加していただくようにしています。正月の門松も今まで自分が作っていましたが、得意な人に「やってよー」とお願いすると、喜んで引き受けてくれました。みなさん人生の大先輩ですからそれぞれが何か得意なことをお持ちです。それが活かされる形で、様々な行事やイベントを計画していきたいです。」

加藤さんの住職としての使命感は、葬儀や法事のあり方にも表れはじめた。

「物理的に不可能な場合以外は枕経(※)に駆けつけるようにしています。施主の方とお話をして、知らない方や、あまり会ったことのない方でも納得の戒名をお授けできるように、漢字の意味を一字ずつ調べて、ギリギリまで悩んで決めます。葬儀の後にも、四十九日までのことを説明する紙をお渡しするようにしました。何をやっているかわからないことに参列するのは苦痛ですよね。葬儀や法事で何を行なっているのか、説明が必要だと思っています。」
(※)まくらぎょう:死に行く人や死者の枕元でお経を読むこと

加藤さんが最明寺に入ってから10年。「よそ者」からのスタートだったが、自ら檀家に語りかけ、距離を縮めながら着実に信頼を集めてきた。目の前に課題もあるが、焦る気持ちを出しすぎても周りはついてこない。

「雑草は冬の寒い間に土の下で根を張っていき、暖かくなるのを待って雨が降ったときにぐんと葉を伸ばすそうです。最明寺は今まさに地味に根を張っている状態ですね。」

善光寺如来の功徳を広く地域におよぼしたい

 善光寺如来のお姿

1221年(承久3年)頃に開山した最明寺。最明寺の善光寺如来は、長野の善光寺如来の分身として鎌倉幕府執権の北条時頼も篤く信仰した。元々は「西明寺」だったが、時頼公が寺領を寄進して大檀那となったことから「最明寺」という名前に改まったという。『善光寺縁起』にも、善光寺の分身としての最明寺に関する記述がある。
長い歴史の中で地域に根を張ってきた最明寺のこれからを託された加藤さん。歴史を繋いでいく者としてその意気込みは熱い。

「『なんとなく最明寺ってすごい』で終わらせたくない。お寺のこれまでの歩みをしっかりと整理して、歴史との接続を考え直したいです。お寺の物語について70歳以上の方はご存知ですが、若い世代になると伝わっていないのが現状です。善光寺さんとのつながりをもっと表に出すことが大切だと思っています。最明寺の歴史と縁起をきちんと説明できるようになったら、最明寺に伝わる歴史的な宝物も公開していきたいと思っています。なによりも今のお寺を支えてくださっている檀家さん、そのご先祖、地域の方々、40人の歴代住職、の信仰の賜物である最明寺、そして善光寺如来がかつてのように手を携えて、繋がっていく場所にしていくことが私の「正義」なのだと思います。」

加藤さん自身が「最明寺最大の行事」と呼ぶ、毎年8月20日の善光寺如来護摩法要にも、より一層力が入る。江戸時代には辰年ごとに善光寺如来の御開帳をしていたが、昭和51年を最後に御開帳は途切れている。
往時は人びとに「おぜんっこさん」と呼ばれ親しまれてきた善光寺如来。加藤さんの尽力で再び地域に、如来の光をおよぼす日は近づいている。個人的な正義から始まり、現在も発展中の加藤さんの正義。善光寺如来の功徳を地域にめぐらし、檀家や地域の人々に安寧をもたらすことへの絶え間ない貢献が、その最終形なのかもしれない。

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お寺画像
神奈川県足柄上郡
如意山 最明寺
創建800年 北条時頼公ゆかりのお寺

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井出悦郎

井出悦郎

1979年生まれ、東京育ち。東京大学文学部卒。人間形成に資する思想・哲学に関心があり、大学では中国哲学を専攻。銀行、ITベンチャー、経営コンサルティングを経て、「これからの人づくりのヒント」と直感した仏教との出会いを機縁に、一般社団法人お寺の未来を創業。同社代表理事を務める

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