能登半島地震に寄せて。見守り、応援し続ける責任(乗円寺住職・福田乗)
2024.03.07
福田乗(ふくだじょう)
1979年石川県金沢市生まれ。大谷大学仏教科卒業。広告代理店、人材採用会社で勤務。先代の病状悪化に伴い金沢に戻り、34歳で住職拝命。寺院の伝統行事を大切にしながら、時代に合う分かりやすく、シンプルな仏教・真宗の教えをモットーに、法話や寺報で発信する。パソコン道場樂、NPOシニア道場樂代表、NPO法人さくらっ子理事も務める。
元旦を襲った能登半島地震
2024年1月1日16時6分、能登半島地震が起こりました。
石川県能登地方はこの時間を境に、楽しいひと時、日常が一変しました。テレビで被害情報が更新され、時間が過ぎていくたびに、門徒さん、知り合いにも影響が出ていることを知りました。金沢には能登出身の方も数多くいらっしゃいます。被害に遭っている方や、心を痛めている方を見ると、見守ることしか出来ない無力感を、誰もが痛切に感じていると思います。
地震発生の時、私はお寺の部屋で寺報(お寺の会報誌)の発送作業をしていました。一回目の地震が収まった後、仏さまが大丈夫かなと本堂の確認に行ったところ、本堂にいるその時に二回目の地震が来ました。今までに経験したことのない揺れを感じ、複数の仏具が大きく揺れ、落ちました。危ないと思いながらも、直後は動けませんでした。
お寺を守る僧侶として、本堂や仏さまが大丈夫かと見にいくのは当たり前ですが、私と同じ行動を取り、能登のお寺で本堂の屋根の下敷きになり亡くなった僧侶の方が多数いらっしゃいます。本堂の屋根には瓦がたくさんあり、その重みで潰れてしまったのです。金沢は震度5強でしたが、能登は最大震度7。金沢でも同じくらい揺れていたら、私もどうなっていたか分かりません。
地域の復興を目指す元同僚の姿
僧侶になる前に勤めていた会社の元同僚は、能登で被害に遭いました。家は倒壊し、家族と下敷きになり、ご本人は骨折の重傷、家族も負傷。そしてお子さんを一人亡くされました。なんとも言えない悲しいことで、かける言葉もありません。
能登はこれまで何度も地震が起こっています。金沢に住み、能登と距離がある者からすると、これからは安全なところに避難して、少しでも不安を少なくして過ごしてほしいと思ってしまいます。
ただその同僚はSNSや、私に送ってくれたメッセージで今の気持ちを教えてくれました。
「子供が育った土地と、大好きな友達がいる能登町を必ず復興させたい」
大きな目標に向かって、大変なリハビリをし、立ち上がろうとしています。目の前のことで精一杯だと思いますし、本当に悲しく辛いことだけれども、ここを目標に動こうとしています。
この姿に強い覚悟を感じ、逆に勇気をもらいました。私たちは復興に動かれる方の姿を見守る責任、応援する責任があると思います。
能登に心を寄せ、復興の動きを見守り、応援する責任が私たちにはある
下記の言葉は私の部屋の本棚に飾ってある、相田みつをさんの詩です。
見るたびに自分の仕事が何かを考え、励まされてきた詩です。能登の震災でつらい思いをされている方は、今もたくさんいらっしゃいます。ゆっくり、ゆっくり時間をかけて、一歩一歩、進むことが出来るように心からお祈りしたいと思います。
その姿を見守ること、応援することしかできない私達は、あらためて日常の生活を送ることができて、家族と過ごせること、毎日動けることに感謝して過ごしましょう。そして、生まれてきた意義と、喜びを問いながら、生きていきましょう。能登に心を寄せ、復興の動きを見守り、応援する責任を感じながら。
心より能登の復興が進むように、お祈りいたします。
南無阿弥陀仏。
(追記)
3/20(水)に「能登半島地震追悼法要&昭和歌謡チャリティーコンサート」を乗円寺で開催いたします。
当日はお気持ちで、無理のない範囲の支援金・お布施をお持ち下さい。全額寄付いたします。
※当日の詳細はこちら