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亡くなった人は「物」ではありません(足立信行・T-sousai代表)【死に方のココロ構え(26)】

2024.04.09

足立信行(あだちしんぎょう)

株式会社 T-sousai 代表取締役社長。1982年、京都府生まれ。在家の家に生まれる。18 歳の時に高野山で僧侶になることを決意。高野山金剛峰寺布教研修生修了。高野山で修行をする中で僧侶や寺院の役割を考え、下山。葬儀の重要性に気づき、2008年 大手互助会系の葬儀会社に入社。葬儀の担当者となり、年間約 120 件の葬儀を手掛ける。2012 年IT 企業に入社し、エンジニアとして活動。2017年、僧侶と葬儀会社の担当という経験から、お互いが遺族や故人のために協力し祈りの場所として本堂などで葬儀をあげ、安価で心あるお寺葬の構想を企画。葬儀の告知、WEB、導入などから実施、施行までをワンストップできる株式会社 T-sousai を創業し、現職。

T-sousaiホームページ

※前回(遺骨をサービスエリアに捨てる人々にどう伝えるか)はこちら

ご遺体を取り違えた葬儀社

 3月9日、埼玉県の大手葬儀社でご遺体の取り違いがありました。ご遺体を取り間違え、亡くなった人が火葬の際に違う人になっていたという事例です。葬儀社は上場しており社会的にも認知されていて、東海地方ではCMも多く打ち、創業者で現社長の著書が何冊もある、名の通った企業です。「日本で一番『ありがとう』と言われる葬儀社」を理念として掲げ、そのビジネス手法はテレビ番組で幾多も取り上げられるほどでした。その葬儀社がご遺体の取り違いをしてしまったのです。

 今回の事案は男女2名のご遺体の取り違えで、火葬の後、収骨の際、身に覚えのない装飾品が出てきて、そこで取り違えが発覚しました。男性の火葬を依頼したら、収骨の際に女性の装飾品が出てきて、「これは何?」という疑問を遺族が抱き、葬儀社にただして事が発覚。逆を言えば、装飾品が出てこなければ発覚しなかった事案でもあり、葬儀社側は「ご遺体の確認を怠った」と経緯を伝えておりますが、真相は定かではありません。

読売新聞
読売新聞オンライン 3月13日付け記事より

 葬儀現場に今も携わる者として言わせていただくのですが、確認をしなかっただけでご遺体を取り違えることはまずありません。確認不足以上の大きな心因的な「何か」が根底にあったとしか思えないからです。
 考えてもみてください。自分の身内を著名な大手葬儀社に依頼して、火葬の際に違う人に変わっていて収骨の時にそれが露見する。収骨をしたご遺族の衝撃や、最期を見送ることができなかったご遺族の悲しみはいかばかりかと思います。
 残念ながら、あってはならないことですがこういったご遺体の取り違いは、大小のミス含め時にはあることです。ずさんな管理体制や人手不足、労働環境を原因に考える人もいますが、遺族からすればそんなことは関係ありません。かけがえのない大切な家族がヒューマンエラーで違う人にされ火葬されてしまうショックは計り知れません。

 先ほど、「確認不足以上の大きな心因的な『何か』が根底にあったとしか思えない」と書きましたが、私はその「何か」が大きな原因ではないかと感じます。いくら管理体制を徹底しても人手不足や労働環境をよくしても、人が携わっている以上ミスは起きます。ミスが起きないよう万全の体制を整えることは非常に重要ですが、もっと根底に大きな「何か」があるように感じます。その「何か」を払拭しない限り、こういった問題は起こり続けると思います。
 その「何か」とは、葬儀社や葬儀担当者が、心のどこかで、亡くなった人を「人」ではなく「物」と思っていることです。

亡くなった人を誰も見なくなった葬儀と葬式

 ご遺体の取り違いは事案が起きることを想定して万全の体制をとらなければなりません。今回のケースも腕にストラップのような故人を識別できるものがあったようですが、確認不足から本事案が生じてしまったようです。ミスを防ぐ仕組みをつくることは大切ですが、それと同様に大切なのが、「亡くなった人をどう見ているか」という心因的な部分です。

 私がまだ葬儀社に入りたての新入社員の頃、亡くなった人に対しての接し方をとにかく注意されました。“故人が安置されているその上を歩くな”、とか、“納棺の際に肘を故人に向けるな”、とか。今でもその所作は身についており、自然と身体が動くようになっています。
 そこでよく言われました。「亡くなった方はお客様です」と。

 お客様であれば当然、葬儀担当者が自ら接して送り迎えをしたり、遺族から聞いた副葬品を入れながら納棺をしたり、ご遺影写真に近いように死化粧をしたり、丁寧なねんごろな接し方をします。亡くなった人の顔を見たり、亡くなった人と接したりする中で、自然と奉仕の気持ちがわいてくるのです。
「亡くなった方はお客様です」という教えは、「故人を物ではなく人として接する」という、葬儀社が決して忘れてはならない最低限のルールとモラルであり、他の業界と違うんだというプライドであり使命なのです。

 近年、故人が亡くなった際、死亡場所から自宅以外の式場や安置所などに直接搬送されるケースは多く、亡くなった人を誰も見ないことも多々あります。
 最近実際に弊社であった出来事ですが、社員が葬儀で安置所を利用した際、お打ち合わせ前に故人を確認しに行くと、安置所の受付の方から「あなた、珍しいね」と言われたと聞きます。どういうことかといぶかしがると、「葬儀社はだいたい故人の確認なんかしに来ないよ」と言われたというのです。
 全ての葬儀社が故人を見ていないわけではないのでしょうが、珍しいという言葉が物語っているように、亡くなった方を誰も見てない事例は意外と多いのではないでしょうか。つまり、そういうところから、既にご遺体取り違いのアクシデントは始まっていると言えます。
 

棺
故人を誰も見なくなることそのものがご遺体の取り違いの主因では?

亡くなった人は「物」ではありません

 亡くなった人の顔を見て故人を確認するのは、葬儀をする担当者にとって当たり前の行為です。故人をお客様と思わず、単なる「物」と思うからこそ、そういった心無い行為がはびこるのではないでしょうか。

 そして、儀式もそうなっているのではないかと私は思っています。知らず知らずのうちに、亡くなった人らしさや亡くなった人にちなんだ事柄を無視して、一方的な儀式の押し付けになっている葬儀もあるのではないかと感じます。戒名や法名や法号の説明もせず、法話もなく、通り一辺倒の読経をやるだけで終わる葬儀は少なくありません。それでは、一体、誰のための葬儀なのか分かりません。故人らしさや故人を偲ぶ葬儀でなければ仏式葬儀は徐々に廃れていくのではないでしょうか。

 私たち日本人は、もう一度、亡くなった人は「物」ではなく「人」であるという当たり前のことを思い出さなければならないと思います。「故人は『お客様』であり、成仏・往生の対象者である」という考えを大切にしなければならないと思います。ご遺体の取り違いの再発防止やセキュリティ体制はもちろんですが、それ以上に、心の部分から向き合わなければならいと考えます。

仏教
仏式葬儀を改めて見直すカギは故人をどう思うかにかかっているのでは?

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