鬼滅の刃×仏教(2)己を鼓舞せよ。唯識の視点で竈門炭治郎と禰豆子に幸せの本質を見る。(教西寺 住職・三宅教道)
2020.12.28
三宅教道
小学生の頃 は教西寺の子ども会に参加 していました。大学生になって、京都 のお寺で子ども会を行うサークル活動 に熱中 。中学・高校の先生をして、宗教 の授業 を担当 しました。教西寺に戻 ってからは、PTA会長などで地域 に貢献 しつつ、お寺では「寺子屋 」や「お泊 り会」や「影絵劇 」など、いろいろなところで子どもにお話しています。
※前回(ありがとう悲しみよ。竈門炭治郎に見る慈悲)はこちら
「鬼滅法話」第2回。今回は、アニメで観 て「ぐっ!」ときた「己 を鼓舞 せよ」からです。『鬼滅の刃』(著:吾峠呼世晴・集英社ジャンプコミックス)の一ファンとして、感じたことを書かせていただいています。『鬼滅の刃』を知らない方にも読んでいただけると嬉 しいです。
己を鼓舞せよ
「真っ直ぐに前を向け‼ 己を鼓舞しろ‼ 頑張れ 炭治郎 頑張れ‼
俺は今までよくやってきた‼ 俺はできる奴だ‼」『鬼滅の刃』第24話(著:吾峠呼世晴・集英社ジャンプコミックス・第3巻)
主人公・竈門炭治郎が、鬼に立ち向かっていくときのセリフです。炭治郎は自分に向けて「頑張れ炭治郎」と言っています。炭治郎は怪我 をしており、万全の状態 ではありません。身体の痛 みに耐 えつつも、強力な鬼に対抗していきます。その戦いの最中 、自分が失敗する姿・負ける姿を「怪我のせいで悪い想像 ばかりしてしまう」のです。そのとき、師匠 の言葉を思い出します。それをきっかけに心を切り替え、「俺は今までよくやってきた‼」と冒頭の言葉を発します。人から「頑張る」ことを強要されるのはしんどい人もいるかもしれませんが、炭治郎はこの自らの言葉に心を奮 い立たせ、鬼に勝利することができました。
現代に生きる私たちは、実際 は鬼と戦うことはありません。ですが、日々の暮 らしの中で悩 み苦しみ、傷 つき落ち込むことも沢山あると思います。私たちはどのようにして心を安定させ、前を向いて人生を歩むことができるでしょうか。仏教思想の「唯識」をもとに紐解 いていきたいと思います。
「唯識」とは
古くインドで成立した「唯識」という思想があります。
「あらゆるものごとは、ただ心が映 し出した表象であるとする思想」
『浄土真宗辞典』浄土真宗本願寺派総合研究所編纂・本願寺出版社
唯識とは、唯(ただ)私の認識のみがあること。私の認識の他にはいかなるものも実在しない、ということです。
例えば、同じ「りんご」を見ても、人によって捉 え方が違います。「赤くて美味しそう」と思う人、「良いにおい」と思う人、「かたいかな」と思う人、「今年は気候が良かったから豊作だった」と思う人、「何人で分けるかな」と思う人、様々です。
また、同じ「好き」であったとしても、好きの強さは違いますし、硬さ・味・酸味などどのように好きなのかも違います。私が見ている「りんご」は、私だけのもの。私の認識の中にしかないものです。あらゆるものは自分を離れて存在することはありません。
苦しみの原因は自分の心
苦しみにも、同じことが言えます。私は雨が降ると、鬱陶 しく感じることが多いです。原付バイクでお参りに行くのが難しくなるからです。でも「今年は渇水 だから節水しましょう」というときに降ってくれれば、ありがたい恵みの雨と感じます。つまり、雨を鬱陶しいものにしているのは自分であり、ありがたいものにしているのも自分なのです。
苦しみの原因は「私の認識」「私の心」です。雨そのものではありません。
幸せは自分の心がつくる
私は以前学校の先生をしていたとき、ある生徒に「にやけた顔が気持ち悪い」と言われ、傷つきました。自分に向けられた悪口と思ったからです。当時は腹が立って悲しい気持ちばかりでした。ですが時間がたち、また仏さまの教えを聞いたことで、その生徒の言葉にも「ほんの一言で人は傷つくこと」「十人十色、私を好きな人も嫌いな人も必ずいること」などを気づかせてもらえました。それを教えてくれたことに「ありがとう」と思えるようにもなってきました。
まだ思い出すと胸が痛いこともあるので、全く解消されたというわけではないのですが、「悪口」の見方を変えて「教え」と考えられることも多くなってきました。あらゆること、病気や死といった避 けられない苦悩も、人の心はよろこびや幸せに変えていくことができるのだと思います。
炭治郎の妹、禰豆子はこんなことを言っています。
「貧 しかったら不幸なの? 綺麗 な着物が着れなかったら可哀想なの? そんなに誰かのせいにしたいの?」
「幸せかどうかは自分で決める 大切なのは“今”なんだよ 前を向こう」
『鬼滅の刃』第92話(著:吾峠呼世晴・集英社ジャンプコミックス・第11巻)
「ありがとう」を探していく
今まで「悪い」と思っていたことは、どうやら自分が決めていただけなのかもしれません。しかし、それを「良い」と思えるようになることはなかなか簡単なことではありません。炭治郎は自分の弱さを知り、厳 しい鍛錬 をし、家族や師に支えられていることを感謝していました。だからこそ、今の自分を認める言葉、自分を奮い立たせる見方ができたのではないでしょうか。
私たちは、日々の暮らしの中で、仏さまの教えを聞き、よりどころとしていくことで、自分に気づくことができます。できない自分をそのままに認めつつ、「ありがとう」を探して自分の心を整え、幸せを感じる人生を歩んでまいりましょう。
合掌