鬼滅の刃×仏教(1)ありがとう悲しみよ。竈門炭治郎に見る慈悲(教西寺 住職・三宅教道)
2020.11.11
三宅教道
小学生の頃 は教西寺の子ども会に参加 していました。大学生になって、京都 のお寺で子ども会を行うサークル活動 に熱中 。中学・高校の先生をして、宗教 の授業 を担当 しました。教西寺に戻 ってからは、PTA会長などで地域 に貢献 しつつ、お寺では「寺子屋 」や「お泊 り会」や「影絵劇 」など、いろいろなところで子どもにお話しています。
お寺に遊びに来た小学生の女の子たちが、「鬼滅 ごっこ」をしていました。女性 キャラクター(胡蝶 しのぶさん?)の真似 で、連 れだってちょこちょこお出かけしていました。すごくかわいかったので、私はとてもあたたかい気持ちになりました。
私は『鬼滅の刃 』(著:吾峠呼世晴・集英社ジャンプコミックス)の一ファンとして、楽しく読ませて(観 させて)いただいています。読んでいる間は他のことを忘 れられるので、自分をケアする時間にもなっています。
『鬼滅の刃』に出会ったきっかけは「仏教 っぽい」という噂 です。初 めて読んだときはあっという間に読み進めてしまい、そうだっけ?と思いました。そこで、今回改 めて、仏教っぽいところをちょっと考えてみました。
悲しみを知り、強くなれた
アニメ『鬼滅の刃』の主題歌 「紅蓮華 」、とてもカッコイイですね。アニメが始まりこの歌が流れると、ドキドキワクワクします。この歌のサビの部分、次の歌詞 が気になりました。
「誰 かのために強くなれるなら
ありがとう 悲しみよ」『紅蓮華』 歌:LiSA 作詞:LiSA 作曲:草野華余子
※アニメでは「ありがとう悲しみよ」は「何度でも立ち上がれ」に変更 されています。
「悲しみ」に「ありがとう」って不思議 な感じがしませんか?
主人公・竈門 炭治郎 は鬼 によって家族を失 い、たった一人生き残 った妹・禰豆子 も鬼になってしまい、大きな悲しみに包 まれました。そして、妹を人間に戻 すため、鬼に勝つため、修行 をします。
炭治郎は悲しみを体験 したから、他の人にはそんな悲しみに出会ってほしくない。だから人々を守りたい。それが「強くなれる理由を知った」(『紅蓮華』)ということです。
打ちのめされたり負けたりしながらも、自分を鍛えて強くなります。強くなって、人々を守れる力を持った時に、自分がなぜ強くなれたのかを振 り返ると、その原点は「悲しみ」だったと気づいたのです。今、人々を「守れる」のは、あの「悲しみ」があったから。だから、「ありがとう 悲しみよ」(『紅蓮華』)と悲しみに感謝 できるのです。
世の中は悲しみに満ちている
一方、私たちはどうでしょうか。
「鬼滅の刃」の世界のように、鬼に命を奪 われる、ということはありません。ですが、私は毎日生きていて、「悲しみ」の絶 えない人生を歩んでいると実感しています。大きな悲しみは命すら投げ出したいと思うことがありましたし、日常的 にはささいな言葉のやり取 りでも傷 つく自分がいます。
他人に対しても、「悲しみ」の中にいる人を助 けたくても、何の力になれないことも数限 りなくあります。
炭治郎のように、「悲しみ」を糧 にして強くなり、他人を「悲しみ」から守る。
それを難 しいと感じる私は、何をしたら良いのでしょうか。
慈悲 に救 われる
ところで、仏教語 に「慈悲」があります。仏 さまのいつくしみの心のことです。
なぜ、「慈 」とともに「悲 」があるのでしょう。
- 人々をいつくしんで楽を与 えることを「慈」
- 人々を憐 れみいたんで苦を抜 くことを「悲」
と説明されます。
「悲」とは、他人の悲しみを知り、自分も同じ気持ちになって悲しむことです。人は、自分の悲しみをわかってもらえるだけで救われるのです。
炭治郎は、「鬼にすら同情心 を持っている」(マンガ第3話)と師匠 に思われるほど、敵 であった相手にすら悲しみを感じ取ります。炭治郎は、鬼をやっつけたとき、その鬼の悲しみを知ります。鬼は、自分の悲しみを炭治郎が知ってくれたことで、心救われて消えていきます。
私が高校の先生をしていたとき、外国に一年間留学 に行く生徒 がいました。その子に「希望 もあるけど、不安や寂 しさもありますよね。そういったことも話して良いんですよ」と伝 えました。周 りの友達からは「頑張 って」と言われ続 けていたその子は、それまで不安を出せませんでした。そのとき、自分の抱 えている悲しみを話すことができて、ほっとしたそうです。
私も、自分の悲しみを他人に聞 いてもらうだけで、(その出来事自体は解決 しなくても)心が軽くなったことがあります。
人は、自分の悲しみをわかってもらえるだけで救われるのです。
楽しい気持ちも悲しい気持ちも、相手と「全く同じ気持ち」になることは、仏さましかできないといわれます。
しかし、他人の「楽しみ」「悲しみ」を聞き、「そのままに受け止める」ことは私にもできるかもしれません。他人の悲しみを知ることで、その人の悲しみを減 らすことができます。「悲しみ」は人を救うことなのです。
だから、「ありがとう、悲しみよ」。
※次回(鬼滅の刃×仏教(2)己を鼓舞せよ。唯識の視点で竈門炭治郎と禰豆子に幸せの本質を見る)はこちら
≪…「誰だれかのために強くなれるなら
ありがとう 悲しみよ」…≫は、ホモ・サピエンスが鍛え上げてきた数の言葉(自然数)の象徴だ。
勾玉・剣・鏡 から創られた数の言葉(自然数)は、絵本「もろはのつるぎ」(有田川町ウエブライブラリー)で・・・