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お寺で定年後の居場所さがし(後編)-生前戒名というあり方

2018.01.25

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Being(存在意義)とDoing(役割)の過度の一体化が定年後の喪失感を招く

人間の居場所を考える時、Being(あり方・存在意義)とDoing(すること・役割)という視点で分解できます。
伝統的には、家庭での父親は家父長として生活費を稼いでくるというあり方で、主に会社員として給料を得るという役割行為に結びつきます。
この際、家事や育児にも関わりながら父親というあり方を形作ってきた人は、家族との関係性も相応に育まれているでしょう。しかし、まったく家事・育児をやらない亭主関白的な父親として歩んできた人は、Being(あり方・存在意義)とDoing(すること・役割)が仕事のみで定義されるため、両者の過度な一体化が40年以上にわたって進行します。となると、定年で仕事がなくなり、没頭する大好きな趣味などがなければ、自らのBeingとDoingがある日突然喪失し、家庭でも社会でも居場所がなくなります。

一方、女性(妻)の場合は、仕事の有無にかかわらず、「家族の日常を回す」 ための家事・育児などを担うことが多く、その役割を定年後も引き継ぐ場合が多いでしょう。そして日常の中で、子ども・親戚・地域との関係も長期にわたって育んできていることも多いでしょうから、人間関係を基盤としてその都度の居場所を見出していくことも、夫に比べれば容易と言えます。

居場所の回復のためにお寺ができること

居場所の回復のため、定年後に孫の保育園や幼稚園の送り迎えをする、イクジイと言われる男性(夫)の姿もよく見られます。
ただ、それも一時的なもので、孫が成長すれば居場所は喪失し、根本的な問題は解決しません。他者の存在に依存しすぎない形で、自らの居場所を探すことが重要です。特にその際は、Doing(すること・役割)ばかりに目がいきがちになりますが、Being(あり方・存在意義)を定め、自覚的になることが大切でしょう。

そして、Being(あり方・存在意義)を考える際に、お寺はとても貢献できる部分が多いのではないかと思っています。
お寺は数百年にわたり、時代の変化に応じて人間の生き死にを見つめてきました。生き方に関する導きを受けた人も少なくないでしょう。ご本尊をはじめとした仏さまの存在は、生き方に悩める人にとっては、大きなたよりになるはずです。

このお寺の特長を活かし、特にBeing(あり方・存在意義)を考える一つの方法として、「生前戒名」が大きな力を発揮するのではないかと個人的には思っています。
戒名の一般的なイメージは死者に与えられるものですが、本来的には生前に仏さまの弟子として名前をいただくものです。仏さまの弟子として、仏さまの教えをよりどころとする名前そのものが生き方の指針になります。
青年・壮年の間は俗っぽいことを色々とやるのが人間の性ですが、引退後の20年から30年は、せめて仏さまの弟子として心機一転し、新たに生き直すというのはとても素敵なことではないでしょうか。

そして、話はそれますが、死後に戒名をもらっても自分は分からないわけですから、現状のように死んでからの戒名授与のスタイルを伝統仏教界が続ける限り、戒名というものにありがたみを感じる人は減っていくと考えます。

いざ、生前戒名を考える

生前戒名は、住職と一緒に考えます。その際、住職は色々とたずねます。

 大切にしてきた価値観や物事
 今までの人生で自身が最も輝いていた瞬間
 特筆すべき実績や功績
 趣味・特技
 家族や先祖への思い
 友人への思い
 これからの人生で大切にしていきたいことや願い

すぐには具体化できないことも多いでしょう。時間を丁寧にかけることで、自らの半生を振り返る貴重な時間になるはずです。住職もお寺特有のゆったりとした時間軸で気長に待ってくれるはずです。

考えるにあたっては、家族や周囲に聞いてみないと分からないこともあるでしょうし、何らかのDoing的な行為を試してみることで見えてくるものもあるでしょう。
例えば、境内掃除や法要・行事のお手伝いを申し出ることは、お寺にとってはとてもありがたいことでしょう。
お寺には檀家さんだけでなく、地域住民も出入りしますから、お寺という場を通じて少しずつ新たな人間関係を育んでいくことも可能になるでしょう。

他者との交わりの中で、地域との関係性もつくられていく。お寺という緩やかでおおらかな場では、無理のない形でそれが可能になると思います。
他者をかがみとしながら、自らの良さに気づくことで、少しずつ生前戒名につながる要素が見出されてくるでしょう。

そして、生前戒名ができた暁には、家族みんなで新たに生き直す人生をお祝いするのも素敵です。古希や喜寿などの節目は、ただ長生きを祝うのではなく、どう生きるかを家族・親戚みんなで応援する場へとシフトしていくことが長寿社会のあり方のように思います。

駆け込み寺とは、人の居場所をともに見つけようとするお寺


ただ、自ら生前戒名を求めたり、お寺のお手伝いをするような男性(夫)であれば、もっと早く簡単に居場所問題は解決しそうな気がします。
例えば、妻が花見や紅葉を口実にお寺へのお参りを誘ってみたり、絶大な力のある孫の存在をうまく活かして、お寺での子ども会の付添い役を夫にお願いしたり等、あの手この手で夫の新たな一歩につながるきっかけをつくることが必要でしょう。

居場所問題は、夫だけでなく、家族にもその原因があることが多いと思います。
「あの人には言っても無駄だから」「父親を変えようとする労力よりも、うまくやり過ごすほうがいい」などの対応を長年続けてきたことによって、夫(父親)が変化する機会とその芽を周囲が自発的に摘んできたとも言えます。

近くて遠く、そして難しい存在でもある家族というもの。

大切なことは最初からあきらめず、様々な角度から選択肢を広げてみて、家族という縁と物語を前向きにつむぐ方策を見つける努力だと思います。
時には家族だけでは解決できず、第三者の存在が必要なことも出てくるでしょう。その点においては、地域の中立的な存在というだけでなく、人間の生き死にを通して、家族の物語の伝承と回復をずっと見守ってきたお寺だからこそ、貢献できる部分も大きいはずです。

駆け込み寺とは、人の尊厳に光を当て、その人の居場所をともに見つけようとするお寺を言うのだと思います。
だからこそ、何かの悩みがある時は、お寺の門を気兼ねなく叩いてほしいですし、そのようなお寺が増えることを心から願っています。

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井出悦郎

井出悦郎

1979年生まれ、東京育ち。東京大学文学部卒。人間形成に資する思想・哲学に関心があり、大学では中国哲学を専攻。銀行、ITベンチャー、経営コンサルティングを経て、「これからの人づくりのヒント」と直感した仏教との出会いを機縁に、一般社団法人お寺の未来を創業。同社代表理事を務める

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