メールマガジン

「世の中は一切皆苦。思い通りにならないときに心を軽くする方法」~みーやのミニ法話2(教西寺 住職・三宅教道)

2020.06.26

三宅教道みやけきようどう

「みーや」は学校の先生をしていたときに、生徒からつけられたあだ名です。お寺で「てらこや」「お泊り会」など、いろいろなところで子どもにおはなししています。

教西寺寺院ページ

世の中は思い通りにならないことばかり

 みなさんこんにちは。まだまだおさまらないコロナの日々に、いかがおごしでしょうか。わたしは、今までと同じ行動をしていても、よりストレスを感じることが多く、しんどいなあと思います。たとえば、近所に買い物に行くにもマスクを用意したり、人と話すときに距離 きよりを気にしたり。今、思い通りにならないことが沢山 たくさんあって、苦しい毎日だと感じています。

 でもよく考えたら、「思い通りにならないこと」って、大きなことから小さなことまで、どうしてもけられないことから自分のわがまままで、ありとあらゆることにあると気づきました。
 ずっとわかくて元気なままでいたいのに、最近さいきん、だんだんと細かいものが見えにくくなり、キズがなおりにくくなってきたと感じます。
 朝、目ざまし時計がったときに、もうちょっとていたい。でも、仕事があるから起きなければならない。そんなことを思うのはしょっちゅうです。
 人に言われた(悪口ではない)ちょっとした一言でも気になりますし、ネットを見ていたら趣味のプラモデルとかあれこれしいと思いますし(でも買えない)、歯みがきは面倒めんどうくさいと思います。

世の中の全ては苦しみ(一切皆苦 いつさいかいく

 釈迦 しやかさまが「世の中の全ては苦しみである」(一切皆苦 いつさいかいく)とおっしゃられたように、あらゆることが苦しみ(=思い通りにならない)ということが、本当にその通りだなと実感しています。

思い通りにならないことをあたりまえにしてしまおう

 私は、この仏教ぶつきようの世界かんにふれて、これを物事の受け止め方の転換 てんかんとできればいいな、と思いました。

 今までのわたしは、

  思い通りになったこと・・・あたりまえ 
  思い通りにならなかったこと・・・しんどい

 のように考えていたから、毎日思い通りにならなくて、しんどい気持ちでした。
 ところが、

  思い通りになったこと・・・ありがたい
  思い通りにならなかったこと・・・あたりまえ

 と考えればどうでしょうか。わたしは、毎日の色々なモヤモヤが、全部あたりまえなんだ、と思ったら、少し心が軽くなりました。

 毎日思い通りにならないことは、そのままです。ですが、「しんどいこと」を「あたりまえのこと」ととらえ直すことによって、考え方感じ方、毎日の生活が少し楽になった気がします。毎日の仏教 ぶつきよう実践 じつせんとして、こんな心の持ち方をしていきたいと思っています。(でも、なかなかできないので、時々思い出して心をそちらに向けたいと思います。)

 梅雨 つゆも一休み。ふと空を見上げると、青い空の中を白い雲が流れていました。雲は風に流され、刻一刻 こくいっこくとかたちをえていきます。晴れたりくもったり雨がったりと、まるで心の中のようです。でもそれが、大空にいたかれた雲にとってのあたりまえ。自然にまかせて心地よさそうです。

お寺画像
愛知県名古屋市昭和区
教西寺きようさいじ
笑顔がつながる 明るい朱色のお寺

寺院ページを見る

シェアする

  • Facebook
  • Twitter

コメント一覧

  1. 一切皆苦という考え自体は知っていましたが、このタイミングでこの記事に出会えたことでスッと腑に落ちました。
    抜けた常にこの心の持ち方になるのは難しそうですが、悩んだときは思い出したいと思います。良い出会いをありがとうございます。

    1. 「よ」さま、コメントありがとうございます。
      そうですよね。なかなかこの心持ちになるのは難しいですよね。(私自身もそうです。)

      私は、子どもの頃から、心配性でくよくよ悩むことが多かったです。大人になったら楽になるのかなと、なんとなく思っていました。
      しかし、何歳になっても悩みは尽きず、思い通りにならないことばかりです。また、もっと高齢の方ともお話させていただきますが、それぞれに悩みが存在することを聞かせていただくばかりです。
      それならば、一旦悩みは無くならないと認めた上で、うまくつきあっていくしかないのかもしれません。

      私自身、日々の生活の中では、そうは言ってもなかなか記事に書かせていただいたような穏やかな心持ちにはなれません。
      しかし、幸い私はお寺での毎朝のお勤めのように、このことを思いださせていただく機会があります。ゆっくりで良いので、少しずつ心を楽な方に向けていくことができたらいいな、と思っています。

      1. 私も今、全てが思い通りにならないで生活環境と仕事の変化から凄いストレスで毎日鬱状態でよく息苦しくなって薬を飲みなんとかやってます。過去、6年程自由に生活出来て楽しかった時の事とどうしてでも比べてしまい、前はこうだったとか、朝起きてから一つ一つが全てが嫌でそう思う事が重なりもうストレスが凄いです。今、修行なのかな?とか思いながらも乗り越えれそうにもない毎日に全く無気力になってます。昔の記憶がない子供ならこの環境しか知らなかったら当たり前に受け入れるのでしょうが、だいぶ中高年になると昔と比べあのときああしてればとか後悔ばかり戻れない事ばかり考えて悲観的になるばかりです。

        1. 「春」さま。しんどいご様子が伝わってきます、私自身、ネガティブな思考をよくする方で、悲観的な考え方をよくします。仏教の教えを聞いて、「ネガティブにならなくてもよい」と知ることができている今でも、自然とネガティブ思考に陥ってしまいます。ただ、仏教を聞いたおかげで、ほんの少し心が楽になる時間があります。「過去や未来ではなく今をみる」「極端に良いこと悪いことを避ける:中道」「すべては原因があるから起こる:縁起」「すべては必ず変化する:諸行無常」そんな教えを聞きながら、事実と感情を切り離してみる時間を持てるといいなあ、とか、負の感情に陥ってしまったら体を動かし(散歩、ジョギングなど)思考しない時間をつくるなど、ちょっとずつやっている状況です。

  2. 「一切皆苦」は大好きな言葉で、書かれている説明もスッと染み入りました。
    私は嫌なことがあったりすると、紙に「一切皆苦」「諸行無常」をひたすら書き続けるという人が見たら驚くようなことをしているのですが、実際にそうしていると気持ちが落ち着くのでやっています。
    正式に修行なさっているお坊さんも写経をすると思いますが、どのようなことを考えながら写経に臨んでいますか?(何も考えない?)
    素人の習慣にこのような言葉を使うのも無礼かもしれないとは思っているのですが、生活に良い効果を感じているので意識していることなどあれば教えてほしいです。

    1. 「なり」さま、コメントありがとうございます。
      「一切皆苦」「諸行無常」を書き続けると気持ちが落ち着くとのこと、素晴らしいですね。お教えいただいてありがとうございます。

      人間は「過去」と「未来」のことを考えることに多くの時間を使っており、それがそのまま迷い(苦悩の原因)であると言われることがあります。私自身は全くその通りだと思っており、一日の大部分を「あれを言わなければよかった」などの「過去」の後悔、「次の法話は何を話そう」などの「未来」の不安、に費やしており、なかなか心が落ち着きません。

      そこで、「現在」に集中することができれば、それらの悩みに迷うことがないので、そのようにできればなあ、と思います。
      「写経」はまさに「今」に向き合うこと。「心が落ち着く」という人が多いのもうなずけます。ただ、私自身は、浄土真宗のお寺に生まれ育っておりますので、写経はやったことがありません。浄土真宗の文化の中には写経がありませんので、考えたこともないというのが実情です。最近は、西本願寺からも写経の本が出版されましたので、やってみても良いかなと思います。
      今のところ、私が頭の中の雑念を空にして、「現在」に向き合えるのはプラモデル制作(ガンプラ)、とても面白いマンガ・小説読書、めちゃめちゃ面白いテレビ、「お笑い」などです。(振り返ってみると、時間が経過しています。)「読経」は心を落ち着けることができたりできなかったり。

      意識的に「あまり他ごとを考えないようにしよう」と思うのですが、なかなか難しいです。私は結構くよくよする質で、毎日しんどい思いをしています。
      最近は、「過去」の事実は変わらないので、反省するけどくよくよしない。「未来」の不安はやることはやって、どうしようもないことはしょうがない。と割り切ることで、心を整えていきたいと考えています。なかなかできませんが。

  3. 『一切皆苦』とても素敵な言葉だと思います。私が子供の頃ならばイライラしてる人達を余り見た記憶が無いですが、コロナ前よりもイライラしてる人達を良く見かけます。どうしてなのでしょうね。それも、他人に対して『思い通りにならない事』へのイライラなのでしょう。赤信号で停まっていて、脇道から来た車に譲るのではなく、詰めたり、クラクションを思いきり鳴らしたり。この数年で本当に日本人の心は荒んでるなと気づきました。恐らく、それは私もなのでしょう。この『一切皆苦』は、私の好きな言葉になりそうです。思い通りにならなくて当たり前。そう思う事で、色んなイライラから解放されると思います。素敵な言葉を、ありがとうございました。

    1. 最近、イライラが目に付くのですね。確かに、私も社会に対してそう思うこともあります。一方で、遠くお釈迦さまの時代から、人は同じ苦悩を抱えているようです。
      仏教は他者よりも自分を見つめるもの。「正しさ」や「べき」」を追求していくよりも、「ぼちぼち」を心がけていった方が、安楽な心で過ごせるような気がします。仏教にふれた方から、少しずつ周りの方に、楽な気持ちが伝わっていくと良いな、と思います。
      コメントありがとうございました。

  4. ありがとうございます。
    家族、自分、職場、健康…。
    本当に一切皆苦です。
    思うようにいったら、
    ありがとう。
    思うようにいかなかったら、
    あたりまえ。
    気が楽になります。感謝します。

    1. コメントありがとうございます。私自身もあらゆることが思うとおりにならない日々を過ごしております。「気にしない」ことも難しいのですが、「気にし過ぎない」ようにできたらいいな、と思いつつ、それも思い通りになりません。
      自分を外から見つめる視点を持ち、「今、思い通りになっていないね」と事実だけを見つめる(良かった悪かったと価値判断をしない)のもいいかもしれませんね。

  5. 読んでホッとしました。
    ありがとうございます。

    思い通りにならなくて、相手が憎らしくて堪らず。私は怒ると分かりやすく体に痛みが出る性質で今日殆どが苦しくて仕方ない日でした

    思い通りにしようとするほど辛かったです。思い通りにならないのが平常だと、なら元々なんのトラブルも起きてなかったんだなって楽になりました。

    1. しんどいことがおありだったのですね。
      二つの考え方があります。
      心は現実に影響を与えない:病気になるかならないかは心とは関係ない。
      心は現実に影響を与える:心の持ち方によって(手洗いうがいをしようと心がけるなど)病気になる可能性を減らせる。

      しんどい現実はなかなか変わらないかと思います。
      しかし、後者の考え方をすると、
      心が楽になり安定すると、日常生活が楽におくれるようになるかと思います。

      そうであったらいいなあ、と思っています。

この記事の感想を残しませんか?

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

コメント一覧

  1. 一切皆苦という考え自体は知っていましたが、このタイミングでこの記事に出会えたことでスッと腑に落ちました。
    抜けた常にこの心の持ち方になるのは難しそうですが、悩んだときは思い出したいと思います。良い出会いをありがとうございます。

    1. 「よ」さま、コメントありがとうございます。
      そうですよね。なかなかこの心持ちになるのは難しいですよね。(私自身もそうです。)

      私は、子どもの頃から、心配性でくよくよ悩むことが多かったです。大人になったら楽になるのかなと、なんとなく思っていました。
      しかし、何歳になっても悩みは尽きず、思い通りにならないことばかりです。また、もっと高齢の方ともお話させていただきますが、それぞれに悩みが存在することを聞かせていただくばかりです。
      それならば、一旦悩みは無くならないと認めた上で、うまくつきあっていくしかないのかもしれません。

      私自身、日々の生活の中では、そうは言ってもなかなか記事に書かせていただいたような穏やかな心持ちにはなれません。
      しかし、幸い私はお寺での毎朝のお勤めのように、このことを思いださせていただく機会があります。ゆっくりで良いので、少しずつ心を楽な方に向けていくことができたらいいな、と思っています。

      1. 私も今、全てが思い通りにならないで生活環境と仕事の変化から凄いストレスで毎日鬱状態でよく息苦しくなって薬を飲みなんとかやってます。過去、6年程自由に生活出来て楽しかった時の事とどうしてでも比べてしまい、前はこうだったとか、朝起きてから一つ一つが全てが嫌でそう思う事が重なりもうストレスが凄いです。今、修行なのかな?とか思いながらも乗り越えれそうにもない毎日に全く無気力になってます。昔の記憶がない子供ならこの環境しか知らなかったら当たり前に受け入れるのでしょうが、だいぶ中高年になると昔と比べあのときああしてればとか後悔ばかり戻れない事ばかり考えて悲観的になるばかりです。

        1. 「春」さま。しんどいご様子が伝わってきます、私自身、ネガティブな思考をよくする方で、悲観的な考え方をよくします。仏教の教えを聞いて、「ネガティブにならなくてもよい」と知ることができている今でも、自然とネガティブ思考に陥ってしまいます。ただ、仏教を聞いたおかげで、ほんの少し心が楽になる時間があります。「過去や未来ではなく今をみる」「極端に良いこと悪いことを避ける:中道」「すべては原因があるから起こる:縁起」「すべては必ず変化する:諸行無常」そんな教えを聞きながら、事実と感情を切り離してみる時間を持てるといいなあ、とか、負の感情に陥ってしまったら体を動かし(散歩、ジョギングなど)思考しない時間をつくるなど、ちょっとずつやっている状況です。

  2. 「一切皆苦」は大好きな言葉で、書かれている説明もスッと染み入りました。
    私は嫌なことがあったりすると、紙に「一切皆苦」「諸行無常」をひたすら書き続けるという人が見たら驚くようなことをしているのですが、実際にそうしていると気持ちが落ち着くのでやっています。
    正式に修行なさっているお坊さんも写経をすると思いますが、どのようなことを考えながら写経に臨んでいますか?(何も考えない?)
    素人の習慣にこのような言葉を使うのも無礼かもしれないとは思っているのですが、生活に良い効果を感じているので意識していることなどあれば教えてほしいです。

    1. 「なり」さま、コメントありがとうございます。
      「一切皆苦」「諸行無常」を書き続けると気持ちが落ち着くとのこと、素晴らしいですね。お教えいただいてありがとうございます。

      人間は「過去」と「未来」のことを考えることに多くの時間を使っており、それがそのまま迷い(苦悩の原因)であると言われることがあります。私自身は全くその通りだと思っており、一日の大部分を「あれを言わなければよかった」などの「過去」の後悔、「次の法話は何を話そう」などの「未来」の不安、に費やしており、なかなか心が落ち着きません。

      そこで、「現在」に集中することができれば、それらの悩みに迷うことがないので、そのようにできればなあ、と思います。
      「写経」はまさに「今」に向き合うこと。「心が落ち着く」という人が多いのもうなずけます。ただ、私自身は、浄土真宗のお寺に生まれ育っておりますので、写経はやったことがありません。浄土真宗の文化の中には写経がありませんので、考えたこともないというのが実情です。最近は、西本願寺からも写経の本が出版されましたので、やってみても良いかなと思います。
      今のところ、私が頭の中の雑念を空にして、「現在」に向き合えるのはプラモデル制作(ガンプラ)、とても面白いマンガ・小説読書、めちゃめちゃ面白いテレビ、「お笑い」などです。(振り返ってみると、時間が経過しています。)「読経」は心を落ち着けることができたりできなかったり。

      意識的に「あまり他ごとを考えないようにしよう」と思うのですが、なかなか難しいです。私は結構くよくよする質で、毎日しんどい思いをしています。
      最近は、「過去」の事実は変わらないので、反省するけどくよくよしない。「未来」の不安はやることはやって、どうしようもないことはしょうがない。と割り切ることで、心を整えていきたいと考えています。なかなかできませんが。

  3. 『一切皆苦』とても素敵な言葉だと思います。私が子供の頃ならばイライラしてる人達を余り見た記憶が無いですが、コロナ前よりもイライラしてる人達を良く見かけます。どうしてなのでしょうね。それも、他人に対して『思い通りにならない事』へのイライラなのでしょう。赤信号で停まっていて、脇道から来た車に譲るのではなく、詰めたり、クラクションを思いきり鳴らしたり。この数年で本当に日本人の心は荒んでるなと気づきました。恐らく、それは私もなのでしょう。この『一切皆苦』は、私の好きな言葉になりそうです。思い通りにならなくて当たり前。そう思う事で、色んなイライラから解放されると思います。素敵な言葉を、ありがとうございました。

    1. 最近、イライラが目に付くのですね。確かに、私も社会に対してそう思うこともあります。一方で、遠くお釈迦さまの時代から、人は同じ苦悩を抱えているようです。
      仏教は他者よりも自分を見つめるもの。「正しさ」や「べき」」を追求していくよりも、「ぼちぼち」を心がけていった方が、安楽な心で過ごせるような気がします。仏教にふれた方から、少しずつ周りの方に、楽な気持ちが伝わっていくと良いな、と思います。
      コメントありがとうございました。

  4. ありがとうございます。
    家族、自分、職場、健康…。
    本当に一切皆苦です。
    思うようにいったら、
    ありがとう。
    思うようにいかなかったら、
    あたりまえ。
    気が楽になります。感謝します。

    1. コメントありがとうございます。私自身もあらゆることが思うとおりにならない日々を過ごしております。「気にしない」ことも難しいのですが、「気にし過ぎない」ようにできたらいいな、と思いつつ、それも思い通りになりません。
      自分を外から見つめる視点を持ち、「今、思い通りになっていないね」と事実だけを見つめる(良かった悪かったと価値判断をしない)のもいいかもしれませんね。

  5. 読んでホッとしました。
    ありがとうございます。

    思い通りにならなくて、相手が憎らしくて堪らず。私は怒ると分かりやすく体に痛みが出る性質で今日殆どが苦しくて仕方ない日でした

    思い通りにしようとするほど辛かったです。思い通りにならないのが平常だと、なら元々なんのトラブルも起きてなかったんだなって楽になりました。

    1. しんどいことがおありだったのですね。
      二つの考え方があります。
      心は現実に影響を与えない:病気になるかならないかは心とは関係ない。
      心は現実に影響を与える:心の持ち方によって(手洗いうがいをしようと心がけるなど)病気になる可能性を減らせる。

      しんどい現実はなかなか変わらないかと思います。
      しかし、後者の考え方をすると、
      心が楽になり安定すると、日常生活が楽におくれるようになるかと思います。

      そうであったらいいなあ、と思っています。

この記事の感想を残しませんか?

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

他にこのような記事も読まれています

まいてらだより

お寺・お坊さん・仏教の情報が盛りだくさんのメールマガジン

    寺院関係その他

    TOPへ戻る

    『安心のお寺』マーク

    『安心のお寺』マークは、
    「安心のお寺10ヶ条」に基づく審査を
    クリアした寺院に付与されるマークです。