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「世の中は一切皆苦。思い通りにならないときに心を軽くする方法」~みーやのミニ法話2(教西寺 住職・三宅教道)

2020.06.26

三宅教道みやけきようどう

「みーや」は学校の先生をしていたときに、生徒からつけられたあだ名です。お寺で「てらこや」「お泊り会」など、いろいろなところで子どもにおはなししています。

教西寺寺院ページ

世の中は思い通りにならないことばかり

 みなさんこんにちは。まだまだおさまらないコロナの日々に、いかがおごしでしょうか。わたしは、今までと同じ行動をしていても、よりストレスを感じることが多く、しんどいなあと思います。たとえば、近所に買い物に行くにもマスクを用意したり、人と話すときに距離 きよりを気にしたり。今、思い通りにならないことが沢山 たくさんあって、苦しい毎日だと感じています。

 でもよく考えたら、「思い通りにならないこと」って、大きなことから小さなことまで、どうしてもけられないことから自分のわがまままで、ありとあらゆることにあると気づきました。
 ずっとわかくて元気なままでいたいのに、最近さいきん、だんだんと細かいものが見えにくくなり、キズがなおりにくくなってきたと感じます。
 朝、目ざまし時計がったときに、もうちょっとていたい。でも、仕事があるから起きなければならない。そんなことを思うのはしょっちゅうです。
 人に言われた(悪口ではない)ちょっとした一言でも気になりますし、ネットを見ていたら趣味のプラモデルとかあれこれしいと思いますし(でも買えない)、歯みがきは面倒めんどうくさいと思います。

世の中の全ては苦しみ(一切皆苦 いつさいかいく

 釈迦 しやかさまが「世の中の全ては苦しみである」(一切皆苦 いつさいかいく)とおっしゃられたように、あらゆることが苦しみ(=思い通りにならない)ということが、本当にその通りだなと実感しています。

思い通りにならないことをあたりまえにしてしまおう

 私は、この仏教ぶつきようの世界かんにふれて、これを物事の受け止め方の転換 てんかんとできればいいな、と思いました。

 今までのわたしは、

  思い通りになったこと・・・あたりまえ 
  思い通りにならなかったこと・・・しんどい

 のように考えていたから、毎日思い通りにならなくて、しんどい気持ちでした。
 ところが、

  思い通りになったこと・・・ありがたい
  思い通りにならなかったこと・・・あたりまえ

 と考えればどうでしょうか。わたしは、毎日の色々なモヤモヤが、全部あたりまえなんだ、と思ったら、少し心が軽くなりました。

 毎日思い通りにならないことは、そのままです。ですが、「しんどいこと」を「あたりまえのこと」ととらえ直すことによって、考え方感じ方、毎日の生活が少し楽になった気がします。毎日の仏教 ぶつきよう実践 じつせんとして、こんな心の持ち方をしていきたいと思っています。(でも、なかなかできないので、時々思い出して心をそちらに向けたいと思います。)

 梅雨 つゆも一休み。ふと空を見上げると、青い空の中を白い雲が流れていました。雲は風に流され、刻一刻 こくいっこくとかたちをえていきます。晴れたりくもったり雨がったりと、まるで心の中のようです。でもそれが、大空にいたかれた雲にとってのあたりまえ。自然にまかせて心地よさそうです。

お寺画像
愛知県名古屋市昭和区
教西寺きようさいじ
笑顔がつながる 明るい朱色のお寺

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コメント一覧

  1. 一切皆苦という考え自体は知っていましたが、このタイミングでこの記事に出会えたことでスッと腑に落ちました。
    抜けた常にこの心の持ち方になるのは難しそうですが、悩んだときは思い出したいと思います。良い出会いをありがとうございます。

    1. 「よ」さま、コメントありがとうございます。
      そうですよね。なかなかこの心持ちになるのは難しいですよね。(私自身もそうです。)

      私は、子どもの頃から、心配性でくよくよ悩むことが多かったです。大人になったら楽になるのかなと、なんとなく思っていました。
      しかし、何歳になっても悩みは尽きず、思い通りにならないことばかりです。また、もっと高齢の方ともお話させていただきますが、それぞれに悩みが存在することを聞かせていただくばかりです。
      それならば、一旦悩みは無くならないと認めた上で、うまくつきあっていくしかないのかもしれません。

      私自身、日々の生活の中では、そうは言ってもなかなか記事に書かせていただいたような穏やかな心持ちにはなれません。
      しかし、幸い私はお寺での毎朝のお勤めのように、このことを思いださせていただく機会があります。ゆっくりで良いので、少しずつ心を楽な方に向けていくことができたらいいな、と思っています。

      1. 私も今、全てが思い通りにならないで生活環境と仕事の変化から凄いストレスで毎日鬱状態でよく息苦しくなって薬を飲みなんとかやってます。過去、6年程自由に生活出来て楽しかった時の事とどうしてでも比べてしまい、前はこうだったとか、朝起きてから一つ一つが全てが嫌でそう思う事が重なりもうストレスが凄いです。今、修行なのかな?とか思いながらも乗り越えれそうにもない毎日に全く無気力になってます。昔の記憶がない子供ならこの環境しか知らなかったら当たり前に受け入れるのでしょうが、だいぶ中高年になると昔と比べあのときああしてればとか後悔ばかり戻れない事ばかり考えて悲観的になるばかりです。

        1. 「春」さま。しんどいご様子が伝わってきます、私自身、ネガティブな思考をよくする方で、悲観的な考え方をよくします。仏教の教えを聞いて、「ネガティブにならなくてもよい」と知ることができている今でも、自然とネガティブ思考に陥ってしまいます。ただ、仏教を聞いたおかげで、ほんの少し心が楽になる時間があります。「過去や未来ではなく今をみる」「極端に良いこと悪いことを避ける:中道」「すべては原因があるから起こる:縁起」「すべては必ず変化する:諸行無常」そんな教えを聞きながら、事実と感情を切り離してみる時間を持てるといいなあ、とか、負の感情に陥ってしまったら体を動かし(散歩、ジョギングなど)思考しない時間をつくるなど、ちょっとずつやっている状況です。

    2. 人間は過去と未来の事を考えるのに多くの時間を使ってしまい、それが苦悩になるのですね。
      わたしも過去を後悔して考える質です。また、心配性です。
      クヨクヨしてしんどい思いをします。
      本当に現在に集中でき、悲観的にならないようになれば良いですね。
      人にどう思われてるか気になり、心の病にもなりましたが。
      写経は、今に向き合う事なのですね!
      心を常に落ち着かせ、整えるのは簡単ではありませんが、しんどいのが減るように、何かに集中できる自分になりたいです。
      一切皆無、
      思い通りになったことは有難い。
      思い通りにならなかったこと、あたりまえ。という考えは、本当になるほどと、良い考えに出会えてありがとうございます。
      無理せず、少しでも気楽になれると良いのですが。

      1. sweet♬さま、コメントありがとうございます。
        世の中は日々変わっていきますが、人の心は、お釈迦さまの時代より変わらないのでしょうか、、、「自分の心」であるのにままならない。仏教的には「自分の心」というのが誤った見方ということでしょうか。(縁の中にあって周りとともに変化し続ける私だけのものではない私の心)
        しかし、苦悩はなくならずとも、「知っている」だけで軽くなる、ということもあるように思います。仏教的価値観も知りつつ生きていきたいと思います。

    3. 最近、心が疲れがちです。父親の具合がよくないのですが、母親と折り合いが悪く何年も会えていないところに、仕事でプレッシャーが重なり、何もかも思い通りにならないところに体が負けがちで、心の病気になりかかってます。
      思い通りにならなくて当たり前、思い通りになった場合は感謝という考えを繰り返し思い返し、このしんどさを乗り越えたいと思います。
      若い頃に浄土真宗の方と関わりがあったのですが、執着を捨てることが大事と聞きました。少しでもやってみたいと思います。

      1. もここ様、ご家族もお仕事もしんどいとのこと、聞かせていただきました。家族であっても他人である以上、逆に家族であるからこそ、関係が難しいこと、いろいろなところで耳にします。どうぞまずはご自分こそを大切に。今までとは全く違うリフレッシュ方法を探してみる、遠くへ行ってみる、疲れて寝るまで運動してみる、等、様々な方法を試されても良いかもしれません。
        そして、「しんどさを乗り越える」という考え方から、(乗り越えるのではなく)しんどさと共に生きていく(一生つきあっていく)、という考え方にするとひょっとしてちょっとは楽になるかもしれません。また、自分の人生は自分で歩むしかない(他人の人生は歩めない、代われない)ということも何かの参考になるかもしれません。
        心と身体はつながっています。取れる方でのお休みをとることができるとよいですね。

        1. 私は大学院生です。自分の勉強不足が原因なのですが、教授に「そんなことも分からないのか」となじられたり、露骨なため息をつかれたりしています。そうすると段々教授や研究室が怖くなってしまい、大学に行きたくないと思うようになってしまいました。それでも企業から内定を頂いているので、大学を修了しないといけないという義務感と板挟みになり、どうしようもなく辛かったです。しかし、人生とはこんなものだと思ったら、少しだけ心が軽くなりました。本当にありがとうございます。
          辛くても苦しくても人生なんてそんなものなんですね。
          今日もきっと教授に怒鳴られるとは思いますが、諦めて友人を誘って夜に焼肉でもしてしまおうと思います。
          「そんなもの」という心構えをポジティブに活用していけるようがんばります。

          1. Stさま、コメントありがとうございます。しんどいご様子、聞かせていただきました。立場が上の人からのこころない言葉、理不尽なことに憤りを感じます。
            人を傷つけた方は気にしていなくても、傷つけられた方はずっとしんどい思いをしていることが多いのではないかと想像します。相手は気にしていないのに、自分がずっと嫌な気持ちでいるのはしゃくにさわるので、気の持ちようとしては、コメントしていただいている通り、気にしない、忘れる、反面教師として自分を成長させる、などで自分の心の安定を持てるといいなと思います。
            ただ、助けを求めることができるようであれば、助けを求められたらいかがでしょうか。教授本人ではなく、大学に訴えるとか。学生の権利だけでなく人権も侵害している可能性があります。また、それはハードルが高いようでしたら、ご友人に助けを求められればいいなと思います。
            どうぞ無理をせず、ご自身の心も体も大切にしながら、お過ごしください。

  2. 「一切皆苦」は大好きな言葉で、書かれている説明もスッと染み入りました。
    私は嫌なことがあったりすると、紙に「一切皆苦」「諸行無常」をひたすら書き続けるという人が見たら驚くようなことをしているのですが、実際にそうしていると気持ちが落ち着くのでやっています。
    正式に修行なさっているお坊さんも写経をすると思いますが、どのようなことを考えながら写経に臨んでいますか?(何も考えない?)
    素人の習慣にこのような言葉を使うのも無礼かもしれないとは思っているのですが、生活に良い効果を感じているので意識していることなどあれば教えてほしいです。

    1. 「なり」さま、コメントありがとうございます。
      「一切皆苦」「諸行無常」を書き続けると気持ちが落ち着くとのこと、素晴らしいですね。お教えいただいてありがとうございます。

      人間は「過去」と「未来」のことを考えることに多くの時間を使っており、それがそのまま迷い(苦悩の原因)であると言われることがあります。私自身は全くその通りだと思っており、一日の大部分を「あれを言わなければよかった」などの「過去」の後悔、「次の法話は何を話そう」などの「未来」の不安、に費やしており、なかなか心が落ち着きません。

      そこで、「現在」に集中することができれば、それらの悩みに迷うことがないので、そのようにできればなあ、と思います。
      「写経」はまさに「今」に向き合うこと。「心が落ち着く」という人が多いのもうなずけます。ただ、私自身は、浄土真宗のお寺に生まれ育っておりますので、写経はやったことがありません。浄土真宗の文化の中には写経がありませんので、考えたこともないというのが実情です。最近は、西本願寺からも写経の本が出版されましたので、やってみても良いかなと思います。
      今のところ、私が頭の中の雑念を空にして、「現在」に向き合えるのはプラモデル制作(ガンプラ)、とても面白いマンガ・小説読書、めちゃめちゃ面白いテレビ、「お笑い」などです。(振り返ってみると、時間が経過しています。)「読経」は心を落ち着けることができたりできなかったり。

      意識的に「あまり他ごとを考えないようにしよう」と思うのですが、なかなか難しいです。私は結構くよくよする質で、毎日しんどい思いをしています。
      最近は、「過去」の事実は変わらないので、反省するけどくよくよしない。「未来」の不安はやることはやって、どうしようもないことはしょうがない。と割り切ることで、心を整えていきたいと考えています。なかなかできませんが。

  3. 『一切皆苦』とても素敵な言葉だと思います。私が子供の頃ならばイライラしてる人達を余り見た記憶が無いですが、コロナ前よりもイライラしてる人達を良く見かけます。どうしてなのでしょうね。それも、他人に対して『思い通りにならない事』へのイライラなのでしょう。赤信号で停まっていて、脇道から来た車に譲るのではなく、詰めたり、クラクションを思いきり鳴らしたり。この数年で本当に日本人の心は荒んでるなと気づきました。恐らく、それは私もなのでしょう。この『一切皆苦』は、私の好きな言葉になりそうです。思い通りにならなくて当たり前。そう思う事で、色んなイライラから解放されると思います。素敵な言葉を、ありがとうございました。

    1. 最近、イライラが目に付くのですね。確かに、私も社会に対してそう思うこともあります。一方で、遠くお釈迦さまの時代から、人は同じ苦悩を抱えているようです。
      仏教は他者よりも自分を見つめるもの。「正しさ」や「べき」」を追求していくよりも、「ぼちぼち」を心がけていった方が、安楽な心で過ごせるような気がします。仏教にふれた方から、少しずつ周りの方に、楽な気持ちが伝わっていくと良いな、と思います。
      コメントありがとうございました。

  4. ありがとうございます。
    家族、自分、職場、健康…。
    本当に一切皆苦です。
    思うようにいったら、
    ありがとう。
    思うようにいかなかったら、
    あたりまえ。
    気が楽になります。感謝します。

    1. コメントありがとうございます。私自身もあらゆることが思うとおりにならない日々を過ごしております。「気にしない」ことも難しいのですが、「気にし過ぎない」ようにできたらいいな、と思いつつ、それも思い通りになりません。
      自分を外から見つめる視点を持ち、「今、思い通りになっていないね」と事実だけを見つめる(良かった悪かったと価値判断をしない)のもいいかもしれませんね。

  5. 読んでホッとしました。
    ありがとうございます。

    思い通りにならなくて、相手が憎らしくて堪らず。私は怒ると分かりやすく体に痛みが出る性質で今日殆どが苦しくて仕方ない日でした

    思い通りにしようとするほど辛かったです。思い通りにならないのが平常だと、なら元々なんのトラブルも起きてなかったんだなって楽になりました。

    1. しんどいことがおありだったのですね。
      二つの考え方があります。
      心は現実に影響を与えない:病気になるかならないかは心とは関係ない。
      心は現実に影響を与える:心の持ち方によって(手洗いうがいをしようと心がけるなど)病気になる可能性を減らせる。

      しんどい現実はなかなか変わらないかと思います。
      しかし、後者の考え方をすると、
      心が楽になり安定すると、日常生活が楽におくれるようになるかと思います。

      そうであったらいいなあ、と思っています。

  6. 一切皆苦が当たり前、なるほどこれはいい考えだと思いました。しかし、まだ疑問があります。なぜ一切皆苦の世の中を私たちは生きなければならないのでしょうか。世の中一切皆苦、と思えばこれからの辛いことを耐えることはできそうですが、なぜそこまでしてこんな世の中を生きなければならないのか、と毎日考えてしまいます…。

    1. りもね様
      コメントありがとうございます。しんどい毎日を暮らしておいでなのですね。まずはりもね様が生きておいでで、私の人生にも関わりをもってくださったことに感謝します。
      「なぜ苦しい世の中を生きなければならないのか」私も考えます。その悩みにとらわれてぐるぐると考えをめぐらせ、余計に落ち込んでしまったこともあります。
      あらゆる人に共通する答えはないのかなぁ、と今は考えています。そもそも「生きなければならない」は誰の意見でしょうか。何によって決められているのでしょうか。生きることだけではなく、あらゆることが「しなければならない」と強制されると、苦しいですよね。自分に強制しているものは何なのか、本当に強制されているのか、見つめ直してみるのもいいかもしれません。
      科学には科学の、法律には法律の、他の宗教には他の宗教の、それぞれ答えがあったりします。その中で何を受け入れていくか、他人の答えではなく自分の答えが見いだせると良いですね。
      仏教的には「生まれたから」という根本原因がありますね。でも「生まれたから、生きていかねばならない」より「「生まれたから、生きている」と考えた方が私は楽な気がします。また、「生きている」というより「生かされている」という受け取り方もあります。もしもこの世に私一人なら私は生きていくことができません。着るもの、食べるもの、住むところ、全て他の人が用意してくれたものがあるからこそ私は生きていられます。私はこの世の様々なものに生かされています。
      仏教は、心を楽にする受け取り方を教えてくれます。例えば「雨」という事実は変わらなくても「雨はうっとおしい、いやだな」と思うか「めぐみの雨だ、ありがたい」と思うか。これからも生きていくという事実は変わらなくても、少し楽な心もちで暮らすことができるといいですね。仏教など、普段とは違う価値観にふれてみてください。ご自身の答えを探し出すヒントがあるかもしれません。
      あと、心が疲れたときは、身体から整えるのもおすすめです。ランニングなど体を動かして疲れればぐっすり眠れますし、健康的な生活は心も整えます。そして休むこと。
      どうぞ無理をせず、ほどほどに生きていけるよう、願っております。

  7. こんばんは。32歳男です。
    私には手放したくても手放せない執着している物(内容は伏せさせていただきます)があります。
     財産や物、地位、名誉とかではございません。しかしどうしても心に引っかかってしまっております。3年前になりますが、当時勤めていた会社を退職しようやく出来るという念願の事だったのですが、家庭の事情により直前で出来なくなってしまいました。
     その後1年以上その事で苦しみ心が荒れる日々を送りました。このままでは毎日が辛いと感じ出来ずに終わってしまった事(執着している物)を忘れてしまおうと決意し、忘れる努力もしてまいりました。
     その結果現在は以前程の苦しみ、執着心は無く心も穏やかになり落ち着いた毎日を過ごす事が出来ていると感じます。しかし、日々過ごしていると何かのきっかけで咄嗟に執着している物事を思い出してしまい心が苦しくなる時があります。
     自分ではその物に対する執着心を手放したつもりでもまだ完全には忘れられていないのかなと思う事があります。
     1度心にしがみ付いてしまった執着心、欲を手放す方法というのはございますでしょうか?もし完全に手放す事が不可能でもその心と上手く付き合っていく方法は何かございませんでしょうか?
     わかりにくい文章で申し訳ございません。是非何かご教示頂けたら幸いです。自分はもう苦しみたくありません。よろしくお願い致します。

    1. Kさま
      コメントありがとうございます。しんどいことを話してくださってありがとうございます。
      以前にしんどいことがおありで、現在もそのことに悩む日々があるとのこと、聞かせていただきました。

      Kさまのご事情とは全く違うと思いますが、私自身も過去を振り返ってくよくよしがちな性格です。「あんなこと言わなければよかった」などと何回も思い返して後悔し、自分を責めることが多くあります。しかし、行ってしまった事実は変わることはないですし、それを知っていてもどうにもできません。
      一般的に、人は「過去」や「未来」のことを考えている時間がとても長いと聞いたことがあります。「現在」目の前のことだけを考える、そのようにできたら良いのになあ、と思います。

      さて、仏教の真理では「一切皆苦」つまり、必ず苦しみはある、と教えていただいています。しかし、苦しみをなくしたくて、先人たちは様々な修行をして「悟り」=苦しみの存在しない目覚めの境地、を目指しました。それでも、現世で悟りに近づくことはあっても、悟りに到達した人はいなかったと聞いています。それほどに人間の苦悩、煩悩は深いものなのでしょう。

      さて、Kさまの心を軽くするためにどのようにしたらよいのか、一つにはグリーフケアの考え方が良いかもしれません。
      「苦しみ」はなくせないものと知り、「苦しみ」とともに歩む人生であると知ること。
      苦しみをなくすのではなく、かかえやすくする、と考えること。
      くわしくは
      教西寺のホームページの
      「グリーフケア」
      「大切な人をなくした人のための権利条約」
      をご覧ください。

      二つには、具体的な行動として、次のようなことをお勧めします。
      健康な生活をすること、
      適度な運動をすること、
      お寺に実際に足を運びおはなしをすること。

      誰もが自分の人生は代わってもらえない、代わってあげられない。Kさまのご人生を歩まれますこと、応援しております。

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  1. 一切皆苦という考え自体は知っていましたが、このタイミングでこの記事に出会えたことでスッと腑に落ちました。
    抜けた常にこの心の持ち方になるのは難しそうですが、悩んだときは思い出したいと思います。良い出会いをありがとうございます。

    1. 「よ」さま、コメントありがとうございます。
      そうですよね。なかなかこの心持ちになるのは難しいですよね。(私自身もそうです。)

      私は、子どもの頃から、心配性でくよくよ悩むことが多かったです。大人になったら楽になるのかなと、なんとなく思っていました。
      しかし、何歳になっても悩みは尽きず、思い通りにならないことばかりです。また、もっと高齢の方ともお話させていただきますが、それぞれに悩みが存在することを聞かせていただくばかりです。
      それならば、一旦悩みは無くならないと認めた上で、うまくつきあっていくしかないのかもしれません。

      私自身、日々の生活の中では、そうは言ってもなかなか記事に書かせていただいたような穏やかな心持ちにはなれません。
      しかし、幸い私はお寺での毎朝のお勤めのように、このことを思いださせていただく機会があります。ゆっくりで良いので、少しずつ心を楽な方に向けていくことができたらいいな、と思っています。

      1. 私も今、全てが思い通りにならないで生活環境と仕事の変化から凄いストレスで毎日鬱状態でよく息苦しくなって薬を飲みなんとかやってます。過去、6年程自由に生活出来て楽しかった時の事とどうしてでも比べてしまい、前はこうだったとか、朝起きてから一つ一つが全てが嫌でそう思う事が重なりもうストレスが凄いです。今、修行なのかな?とか思いながらも乗り越えれそうにもない毎日に全く無気力になってます。昔の記憶がない子供ならこの環境しか知らなかったら当たり前に受け入れるのでしょうが、だいぶ中高年になると昔と比べあのときああしてればとか後悔ばかり戻れない事ばかり考えて悲観的になるばかりです。

        1. 「春」さま。しんどいご様子が伝わってきます、私自身、ネガティブな思考をよくする方で、悲観的な考え方をよくします。仏教の教えを聞いて、「ネガティブにならなくてもよい」と知ることができている今でも、自然とネガティブ思考に陥ってしまいます。ただ、仏教を聞いたおかげで、ほんの少し心が楽になる時間があります。「過去や未来ではなく今をみる」「極端に良いこと悪いことを避ける:中道」「すべては原因があるから起こる:縁起」「すべては必ず変化する:諸行無常」そんな教えを聞きながら、事実と感情を切り離してみる時間を持てるといいなあ、とか、負の感情に陥ってしまったら体を動かし(散歩、ジョギングなど)思考しない時間をつくるなど、ちょっとずつやっている状況です。

    2. 人間は過去と未来の事を考えるのに多くの時間を使ってしまい、それが苦悩になるのですね。
      わたしも過去を後悔して考える質です。また、心配性です。
      クヨクヨしてしんどい思いをします。
      本当に現在に集中でき、悲観的にならないようになれば良いですね。
      人にどう思われてるか気になり、心の病にもなりましたが。
      写経は、今に向き合う事なのですね!
      心を常に落ち着かせ、整えるのは簡単ではありませんが、しんどいのが減るように、何かに集中できる自分になりたいです。
      一切皆無、
      思い通りになったことは有難い。
      思い通りにならなかったこと、あたりまえ。という考えは、本当になるほどと、良い考えに出会えてありがとうございます。
      無理せず、少しでも気楽になれると良いのですが。

      1. sweet♬さま、コメントありがとうございます。
        世の中は日々変わっていきますが、人の心は、お釈迦さまの時代より変わらないのでしょうか、、、「自分の心」であるのにままならない。仏教的には「自分の心」というのが誤った見方ということでしょうか。(縁の中にあって周りとともに変化し続ける私だけのものではない私の心)
        しかし、苦悩はなくならずとも、「知っている」だけで軽くなる、ということもあるように思います。仏教的価値観も知りつつ生きていきたいと思います。

    3. 最近、心が疲れがちです。父親の具合がよくないのですが、母親と折り合いが悪く何年も会えていないところに、仕事でプレッシャーが重なり、何もかも思い通りにならないところに体が負けがちで、心の病気になりかかってます。
      思い通りにならなくて当たり前、思い通りになった場合は感謝という考えを繰り返し思い返し、このしんどさを乗り越えたいと思います。
      若い頃に浄土真宗の方と関わりがあったのですが、執着を捨てることが大事と聞きました。少しでもやってみたいと思います。

      1. もここ様、ご家族もお仕事もしんどいとのこと、聞かせていただきました。家族であっても他人である以上、逆に家族であるからこそ、関係が難しいこと、いろいろなところで耳にします。どうぞまずはご自分こそを大切に。今までとは全く違うリフレッシュ方法を探してみる、遠くへ行ってみる、疲れて寝るまで運動してみる、等、様々な方法を試されても良いかもしれません。
        そして、「しんどさを乗り越える」という考え方から、(乗り越えるのではなく)しんどさと共に生きていく(一生つきあっていく)、という考え方にするとひょっとしてちょっとは楽になるかもしれません。また、自分の人生は自分で歩むしかない(他人の人生は歩めない、代われない)ということも何かの参考になるかもしれません。
        心と身体はつながっています。取れる方でのお休みをとることができるとよいですね。

        1. 私は大学院生です。自分の勉強不足が原因なのですが、教授に「そんなことも分からないのか」となじられたり、露骨なため息をつかれたりしています。そうすると段々教授や研究室が怖くなってしまい、大学に行きたくないと思うようになってしまいました。それでも企業から内定を頂いているので、大学を修了しないといけないという義務感と板挟みになり、どうしようもなく辛かったです。しかし、人生とはこんなものだと思ったら、少しだけ心が軽くなりました。本当にありがとうございます。
          辛くても苦しくても人生なんてそんなものなんですね。
          今日もきっと教授に怒鳴られるとは思いますが、諦めて友人を誘って夜に焼肉でもしてしまおうと思います。
          「そんなもの」という心構えをポジティブに活用していけるようがんばります。

          1. Stさま、コメントありがとうございます。しんどいご様子、聞かせていただきました。立場が上の人からのこころない言葉、理不尽なことに憤りを感じます。
            人を傷つけた方は気にしていなくても、傷つけられた方はずっとしんどい思いをしていることが多いのではないかと想像します。相手は気にしていないのに、自分がずっと嫌な気持ちでいるのはしゃくにさわるので、気の持ちようとしては、コメントしていただいている通り、気にしない、忘れる、反面教師として自分を成長させる、などで自分の心の安定を持てるといいなと思います。
            ただ、助けを求めることができるようであれば、助けを求められたらいかがでしょうか。教授本人ではなく、大学に訴えるとか。学生の権利だけでなく人権も侵害している可能性があります。また、それはハードルが高いようでしたら、ご友人に助けを求められればいいなと思います。
            どうぞ無理をせず、ご自身の心も体も大切にしながら、お過ごしください。

  2. 「一切皆苦」は大好きな言葉で、書かれている説明もスッと染み入りました。
    私は嫌なことがあったりすると、紙に「一切皆苦」「諸行無常」をひたすら書き続けるという人が見たら驚くようなことをしているのですが、実際にそうしていると気持ちが落ち着くのでやっています。
    正式に修行なさっているお坊さんも写経をすると思いますが、どのようなことを考えながら写経に臨んでいますか?(何も考えない?)
    素人の習慣にこのような言葉を使うのも無礼かもしれないとは思っているのですが、生活に良い効果を感じているので意識していることなどあれば教えてほしいです。

    1. 「なり」さま、コメントありがとうございます。
      「一切皆苦」「諸行無常」を書き続けると気持ちが落ち着くとのこと、素晴らしいですね。お教えいただいてありがとうございます。

      人間は「過去」と「未来」のことを考えることに多くの時間を使っており、それがそのまま迷い(苦悩の原因)であると言われることがあります。私自身は全くその通りだと思っており、一日の大部分を「あれを言わなければよかった」などの「過去」の後悔、「次の法話は何を話そう」などの「未来」の不安、に費やしており、なかなか心が落ち着きません。

      そこで、「現在」に集中することができれば、それらの悩みに迷うことがないので、そのようにできればなあ、と思います。
      「写経」はまさに「今」に向き合うこと。「心が落ち着く」という人が多いのもうなずけます。ただ、私自身は、浄土真宗のお寺に生まれ育っておりますので、写経はやったことがありません。浄土真宗の文化の中には写経がありませんので、考えたこともないというのが実情です。最近は、西本願寺からも写経の本が出版されましたので、やってみても良いかなと思います。
      今のところ、私が頭の中の雑念を空にして、「現在」に向き合えるのはプラモデル制作(ガンプラ)、とても面白いマンガ・小説読書、めちゃめちゃ面白いテレビ、「お笑い」などです。(振り返ってみると、時間が経過しています。)「読経」は心を落ち着けることができたりできなかったり。

      意識的に「あまり他ごとを考えないようにしよう」と思うのですが、なかなか難しいです。私は結構くよくよする質で、毎日しんどい思いをしています。
      最近は、「過去」の事実は変わらないので、反省するけどくよくよしない。「未来」の不安はやることはやって、どうしようもないことはしょうがない。と割り切ることで、心を整えていきたいと考えています。なかなかできませんが。

  3. 『一切皆苦』とても素敵な言葉だと思います。私が子供の頃ならばイライラしてる人達を余り見た記憶が無いですが、コロナ前よりもイライラしてる人達を良く見かけます。どうしてなのでしょうね。それも、他人に対して『思い通りにならない事』へのイライラなのでしょう。赤信号で停まっていて、脇道から来た車に譲るのではなく、詰めたり、クラクションを思いきり鳴らしたり。この数年で本当に日本人の心は荒んでるなと気づきました。恐らく、それは私もなのでしょう。この『一切皆苦』は、私の好きな言葉になりそうです。思い通りにならなくて当たり前。そう思う事で、色んなイライラから解放されると思います。素敵な言葉を、ありがとうございました。

    1. 最近、イライラが目に付くのですね。確かに、私も社会に対してそう思うこともあります。一方で、遠くお釈迦さまの時代から、人は同じ苦悩を抱えているようです。
      仏教は他者よりも自分を見つめるもの。「正しさ」や「べき」」を追求していくよりも、「ぼちぼち」を心がけていった方が、安楽な心で過ごせるような気がします。仏教にふれた方から、少しずつ周りの方に、楽な気持ちが伝わっていくと良いな、と思います。
      コメントありがとうございました。

  4. ありがとうございます。
    家族、自分、職場、健康…。
    本当に一切皆苦です。
    思うようにいったら、
    ありがとう。
    思うようにいかなかったら、
    あたりまえ。
    気が楽になります。感謝します。

    1. コメントありがとうございます。私自身もあらゆることが思うとおりにならない日々を過ごしております。「気にしない」ことも難しいのですが、「気にし過ぎない」ようにできたらいいな、と思いつつ、それも思い通りになりません。
      自分を外から見つめる視点を持ち、「今、思い通りになっていないね」と事実だけを見つめる(良かった悪かったと価値判断をしない)のもいいかもしれませんね。

  5. 読んでホッとしました。
    ありがとうございます。

    思い通りにならなくて、相手が憎らしくて堪らず。私は怒ると分かりやすく体に痛みが出る性質で今日殆どが苦しくて仕方ない日でした

    思い通りにしようとするほど辛かったです。思い通りにならないのが平常だと、なら元々なんのトラブルも起きてなかったんだなって楽になりました。

    1. しんどいことがおありだったのですね。
      二つの考え方があります。
      心は現実に影響を与えない:病気になるかならないかは心とは関係ない。
      心は現実に影響を与える:心の持ち方によって(手洗いうがいをしようと心がけるなど)病気になる可能性を減らせる。

      しんどい現実はなかなか変わらないかと思います。
      しかし、後者の考え方をすると、
      心が楽になり安定すると、日常生活が楽におくれるようになるかと思います。

      そうであったらいいなあ、と思っています。

  6. 一切皆苦が当たり前、なるほどこれはいい考えだと思いました。しかし、まだ疑問があります。なぜ一切皆苦の世の中を私たちは生きなければならないのでしょうか。世の中一切皆苦、と思えばこれからの辛いことを耐えることはできそうですが、なぜそこまでしてこんな世の中を生きなければならないのか、と毎日考えてしまいます…。

    1. りもね様
      コメントありがとうございます。しんどい毎日を暮らしておいでなのですね。まずはりもね様が生きておいでで、私の人生にも関わりをもってくださったことに感謝します。
      「なぜ苦しい世の中を生きなければならないのか」私も考えます。その悩みにとらわれてぐるぐると考えをめぐらせ、余計に落ち込んでしまったこともあります。
      あらゆる人に共通する答えはないのかなぁ、と今は考えています。そもそも「生きなければならない」は誰の意見でしょうか。何によって決められているのでしょうか。生きることだけではなく、あらゆることが「しなければならない」と強制されると、苦しいですよね。自分に強制しているものは何なのか、本当に強制されているのか、見つめ直してみるのもいいかもしれません。
      科学には科学の、法律には法律の、他の宗教には他の宗教の、それぞれ答えがあったりします。その中で何を受け入れていくか、他人の答えではなく自分の答えが見いだせると良いですね。
      仏教的には「生まれたから」という根本原因がありますね。でも「生まれたから、生きていかねばならない」より「「生まれたから、生きている」と考えた方が私は楽な気がします。また、「生きている」というより「生かされている」という受け取り方もあります。もしもこの世に私一人なら私は生きていくことができません。着るもの、食べるもの、住むところ、全て他の人が用意してくれたものがあるからこそ私は生きていられます。私はこの世の様々なものに生かされています。
      仏教は、心を楽にする受け取り方を教えてくれます。例えば「雨」という事実は変わらなくても「雨はうっとおしい、いやだな」と思うか「めぐみの雨だ、ありがたい」と思うか。これからも生きていくという事実は変わらなくても、少し楽な心もちで暮らすことができるといいですね。仏教など、普段とは違う価値観にふれてみてください。ご自身の答えを探し出すヒントがあるかもしれません。
      あと、心が疲れたときは、身体から整えるのもおすすめです。ランニングなど体を動かして疲れればぐっすり眠れますし、健康的な生活は心も整えます。そして休むこと。
      どうぞ無理をせず、ほどほどに生きていけるよう、願っております。

  7. こんばんは。32歳男です。
    私には手放したくても手放せない執着している物(内容は伏せさせていただきます)があります。
     財産や物、地位、名誉とかではございません。しかしどうしても心に引っかかってしまっております。3年前になりますが、当時勤めていた会社を退職しようやく出来るという念願の事だったのですが、家庭の事情により直前で出来なくなってしまいました。
     その後1年以上その事で苦しみ心が荒れる日々を送りました。このままでは毎日が辛いと感じ出来ずに終わってしまった事(執着している物)を忘れてしまおうと決意し、忘れる努力もしてまいりました。
     その結果現在は以前程の苦しみ、執着心は無く心も穏やかになり落ち着いた毎日を過ごす事が出来ていると感じます。しかし、日々過ごしていると何かのきっかけで咄嗟に執着している物事を思い出してしまい心が苦しくなる時があります。
     自分ではその物に対する執着心を手放したつもりでもまだ完全には忘れられていないのかなと思う事があります。
     1度心にしがみ付いてしまった執着心、欲を手放す方法というのはございますでしょうか?もし完全に手放す事が不可能でもその心と上手く付き合っていく方法は何かございませんでしょうか?
     わかりにくい文章で申し訳ございません。是非何かご教示頂けたら幸いです。自分はもう苦しみたくありません。よろしくお願い致します。

    1. Kさま
      コメントありがとうございます。しんどいことを話してくださってありがとうございます。
      以前にしんどいことがおありで、現在もそのことに悩む日々があるとのこと、聞かせていただきました。

      Kさまのご事情とは全く違うと思いますが、私自身も過去を振り返ってくよくよしがちな性格です。「あんなこと言わなければよかった」などと何回も思い返して後悔し、自分を責めることが多くあります。しかし、行ってしまった事実は変わることはないですし、それを知っていてもどうにもできません。
      一般的に、人は「過去」や「未来」のことを考えている時間がとても長いと聞いたことがあります。「現在」目の前のことだけを考える、そのようにできたら良いのになあ、と思います。

      さて、仏教の真理では「一切皆苦」つまり、必ず苦しみはある、と教えていただいています。しかし、苦しみをなくしたくて、先人たちは様々な修行をして「悟り」=苦しみの存在しない目覚めの境地、を目指しました。それでも、現世で悟りに近づくことはあっても、悟りに到達した人はいなかったと聞いています。それほどに人間の苦悩、煩悩は深いものなのでしょう。

      さて、Kさまの心を軽くするためにどのようにしたらよいのか、一つにはグリーフケアの考え方が良いかもしれません。
      「苦しみ」はなくせないものと知り、「苦しみ」とともに歩む人生であると知ること。
      苦しみをなくすのではなく、かかえやすくする、と考えること。
      くわしくは
      教西寺のホームページの
      「グリーフケア」
      「大切な人をなくした人のための権利条約」
      をご覧ください。

      二つには、具体的な行動として、次のようなことをお勧めします。
      健康な生活をすること、
      適度な運動をすること、
      お寺に実際に足を運びおはなしをすること。

      誰もが自分の人生は代わってもらえない、代わってあげられない。Kさまのご人生を歩まれますこと、応援しております。

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