新型コロナ禍に向き合う般若心経①「色即是空 空即是色」‐ 大源寺 住職 桑海一寛さん(岐阜県安八郡)
2020.04.17
新型コロナウイルスの感染拡大を受け、世界中に不安や絶望感が蔓延しています。そんな「ままならないこの世」を生きる助けになることばとして、臨済宗・大源寺(岐阜県)の桑海一寛住職が紹介してくれたのは「色即是空 空即是色」。般若心経の一節です。
桑海 一寛(くわうみ かずひろ)
日本大学法学部法律学科卒業。愛知県犬山市の瑞泉寺僧堂にて修行する。住職となって20年の間、兼職をしながらお寺を運営する異色の僧侶である。住職となってから本堂や鐘楼の修復に携わり伽藍の維持に努めてきた。
尺度を認識しながら、それを気にするな。一見矛盾した教えの深み
「色 」とは「形あるもの」「目に見えるもの」、「空 」とは、「とらわれるいわれのないもの」という解釈です。
この世に生きているかぎり、物事を測る尺度というものから離れることはできません。小学校の頃から通知表があり、受験のときは偏差値というものがあり、社会に出てからも出身校や年収というものに、少なからずとらわれておられるのではないでしょうか。
けれども、このような物事の尺度というものは絶対的でしょうか。
絶対的なものではなく、実は一時的かつ相対的なものなのです。
私も、挫折や失敗を繰り返してきました。父が自死の母子家庭で育ち、いじめられた経験もあります。その後も職場の人間関係の問題から3年ほど心の病に苦しみました。まともに仕事ができない状態で、周囲からの視線が痛くつき刺さる毎日でした。
こんな自分でいいのかと思い悩んでいたときに、奈良の薬師寺の管主であられた高田好胤師の「かたよらない、こだわらない、とらわれない、般若心経の空のこころ」という言葉に救われました。「色即是空」をかみ砕いたお言葉です。
また、以前、名古屋市の職員として生活保護を担当していたときのことです。受給者の方に「大変でしたね。ぼくも経験したことですよ。ご無理なさらずに」と言うと、ホッとした顔をされました。
「こんな自分でもいい」と受容することで、心の中から余計なものが取り除かれて、すっきりした気持ちになります。「仕事ができない」「気分がすぐれない」自分を受け入れてしまえば、心が楽になるのです。
ただし、すべての尺度を捨ててしまえというわけではありません。
「空即是色」と、反対の語句が続いていることに着目してください。「尺度を認識しながら、尺度を気にするな」と一見矛盾したことを申し上げておりますが、自転車を漕ぐときの平衡的な感覚を想像していただくと、ご納得いただけるのではないでしょうか。
「家族を養うために、稼がなければならない」。かといって、体を壊したら養うことはできません。また、この世に生きていると、思い通りにいかないことや理不尽にもたくさん遭遇します。現在世界中を襲っている新型コロナウイルスの感染を前に、絶望感にさいなまれることも何度もあるでしょう。
そんなとき「どうしてこうなるのか」と嘆くばかりでなく、「色即是空 空即是色」の経文を思い出して、事実として受け入れ余計な力を抜いてみることから始めてみてはいかがでしょうか。
【まいてら編集部のおススメ】ご自宅で般若心経の写経をしませんか?
以下リンク先から台紙をダウンロードし、プリンターで印刷します。その上に写経用紙、または半紙を置き、透けて見えるお手本の文字をなぞるようにして写経しましょう。
外出やお参りができるようになりましたら、どこかのお寺に奉納されてはいかがでしょうか?
※般若心経の台紙ダウンロードはこちら
SNSに≪…エッセイの序に「E=mc2 は、般若心経と同んなじやな」…≫とあるのが見付かる。
≪…「色しき」とは「形あるもの」「目に見えるもの」、「空くう」とは、「とらわれるいわれのないもの」…≫で、数の言葉⦅自然数⦆を、1 2 3 4 (「色しき」)とその本性(「空くう」)で数の言葉が[四則演算]と【一蓮托生】となっているコトを【正則構造】というらしい。(「宇宙と宇宙をつなぐ数学」加藤文元著より)
【一蓮托生】が仏教用語から来ているのと「般若心経」とで数の言葉⦅自然数⦆を『HHNI眺望』したい。