他人には分からない、苦しい気持ちを受けとめてくれるもの(西法寺 坊守・西村聡子)
2020.05.03
リハビリ・検査を拒む、入院先で出会ったAさん
8年前の平成24年6月下旬、私が40代半ばに膵臓の治療の為2ヶ月ほど入院した時のことです。4人部屋の向かいのベッドに骨折で入院された83歳のおばあちゃん(Aさん)がおられました。Aさんのところには決められた時間にリハビリのお迎えが来ます。ところがAさんは「リハビリに行きたくない」とベッドから離れようとしません。お迎えに来た看護師さんが困って「リハビリしないと歩けなくなりますよ、頑張りましょう」と声をかけるのですが「リハビリしたくない」の一点張り。
大腸検査をすることになった時も、2リットル飲まなければならない下剤を二口飲んだだけで「もう飲めない」とやめてしまう。心配したご家族が「お医者さまも準備して待っておられるのに」「検査を受ける人は、みんな飲みにくいのを我慢して飲んでいるんだから飲まなきゃ」と、いくら説得してもだめでした。
ある時Aさんの枕の下から何か紙のようなものがはみ出しているのが見えました。お守りのお札でした。その時私は「リハビリも検査も受けないでお札に助けてもらおうと思っておられるのか」と思いました。随分都合の良い考えだと感じたのです。
その後治療を終えた私はAさんよりも早く退院し、それきりAさんに会うこともありませんでした。
他人には分からない、苦しい気持ちを受けとめてくれるもの
つい最近、Aさんのことを思い出した時、はた、と気づくことがありました。
Aさんは、リハビリしなければ歩けなくなることは、言われなくても実感して分かっておられたのではないか。でも、どうしても苦しいリハビリに尻込みしてしまう。検査を受けて悪いところを見つけてもらったほうが良いことは分かっていても、どうしても下剤の一口が飲み込めなかったのではないか。それができない自分が嫌になったり、このまま病院で弱っていく恐怖や不安にさいなまれるけれど、「頑張れ!」「このままではだめですよ」と、Aさんのことを「わがまま」としか見ない人たちにはその気持ちを吐露することができなかったのでしょう。Aさんの苦しい気持ちを受けとめてくれるものは、枕の下にしのばせたお札だけだったのかもしれません。
Aさんとの出来事から8年が経ち私は50歳を過ぎました。以前に比べると体力や気力の衰えを感じるようになり、分かっていてもどうしようもない、自分が情けなくなることも増えました。
今、Aさんのことを振り返ると、老いにともなう様々な喪失に対するAさんなりのグリーフケアだったのかもしれないと、今はそのように受け止めるようになりました。