200人がお寺に集う「宿題はよう おわらそうかい」。地域のご縁をつむぎ直す(西念寺住職・正木耕太郎)
2024.05.17
おだやかな瀬戸内海を見下ろす高台に立つ西念寺(広島県・浄土宗)。春休みと夏休みと冬休みに行われる「宿題はよう おわらそうかい」には、子どもから大人まで、総勢200人近くの人が集まり、コロナ禍以降の地域の恒例行事となりました。住職の正木耕太郎さんが、取り組みへの想いを語ります。
正木耕太郎
1967年東京生まれ。仏教大学英文科卒業。中学校非常勤講師を経て27歳の時住職拝命。月4回の念仏会、哲学カフェ、各種演奏家によるお寺音楽会、居場所づくり、ひきこもり支援など地域のボランティア活動に参加
「お寺で宿題」に200人⁉
西念寺は、大竹市小方にある400年以上続くお寺です。長い年月をかけて地域の方々の暮らしを見守り続けてきました。幕末から明治初期にかけては寺子屋としても開放されていて、いまでも雨戸に当時の子どもたちの落書きが残っています。
ところが、少子高齢化やコロナ禍などで、地域の人たちの交流がめっきり見られなくなりました。そこで、地域をなんとかしようと、大竹市社会福祉協議会や地域の人たちと一緒に立ち上げたのが「おがたつどいプロジェクト」(名前は西念寺のある小方地区に由来)。その一環で、お寺を中心とした子どもたちの居場所づくりの取り組みとして、2023年7月から「宿題はよう おわらそうかい」をスタートしました。
「お寺で宿題」という触れ込みで、いったいどれくらい集まるかと思っていたのですが、意外や意外、実にたくさんの子どもたちが参加してくれています。初回は約25人でしたが、回を重ねるごとにどんどん人数が増え、直近の会(2024年春休み)では、約130人の子どもたち、大人も含めると約200人が西念寺に集ってくれました。
内容はシンプルです。子どもたちは朝10時にお寺に集合。お堂いっぱいに机を並べて、それぞれの宿題を広げます。参加者のほとんどは小学生ですが、中高生もちらほら。意外にもみんな真剣に宿題に取り組んでくれます。分からないところを教え合う子もいれば、早く宿題を片づけようと猛烈な子もいます。
11時からはあそびの時間。工作、生き物観察、百人一首など、さまざまな遊びを用意していますが、子どもたちはなんせ元気。あちこちで自然と遊びが始まります。勝手にそこらを走り回ったり、だるまさんがころんだを始めたり。自由に遊んでいる姿を、大人たちもほほえましく見守ります。
そして、ボランティアの方々によるカレーを食べて、解散。中にはお昼過ぎまで境内で遊ぶ子たちもいます。
大人たちもやりがいを持って参加
「宿題はよう おわらそうかい」は子ども向けの行事ですが、地域の大人たちにもいい影響が生まれています。
家の中にこもっている高齢者の方は実に多く、お檀家さん宅にお参りするたびに「まだまだ元気なのにもったいないな」とずっと感じていました。だからこそ、行事の時はお檀家さんや地域の方々に積極的に声をかけて、ぜひとも手伝ってほしいとお願いしています。「あれやって下さい」「これやって下さい」とこちらから役割をお願いすると、大人たちもやりがいを持って取り組み、会を楽しんでくれています。
声をかけること、地域の中で居場所を作ること、役割を割り振ることは、お寺の住職がすべき大事なことだなと、最近強く感じています。
仏さまのまなざしを感じられる場所
地域の行事をお寺で行う際、わたしはあえて布教や伝道というスタンスをとらないようにしています。おしつけがましいのはよくないだろうと思うからです。
でも、こちらから何かを言わなくても、その場にいる人たちは、大人も子どもも、仏さまのまなざしや存在を肌で感じてくれているような気がします。
子どもたちは無茶なことをしがちですが、こちらから「それしちゃいけんよ」「あれに触っちゃいけんよ」と言わなくても大丈夫です。
それはきっと、お寺の本堂のど真ん中に、「でん!」と仏さまがおられるからではないでしょうか。お寺の荘厳は、仏さまを守り、仏さまが際立つように設えられていますが、子どもたちもきっとそれを肌で感じ、お寺という場を大切にする抑制が自然と働いているのだろうと思います。
また、会に参加してくれた方のおうちにご不幸があった時に、西念寺の行事が思い出深かったという理由でお葬式をご依頼された方もいます。
僧侶として無理に布教せずとも、お寺で楽しい思い出を作ってくれることが、結果的にお寺とのご縁を結ぶきっかけとなってくれている。こんなにうれしいことはありません。
参加者がどんどん増えていく中で、運営方法も考えていかなければなりませんが、その分、地域の人たちの知恵と力を借りることで、より深く地域のためになる取り組みを続けていけるのではないかと感じています。