お寺はカオスの方がいい。いま、應典院が考えていること(應典院・齋藤佳津子)
2022.11.01
教育、福祉、アートなどを通じて、葬儀や法事にとどまらず、生老病死のさまざまな場面で、時に背中を押し、時に悩みに寄り添うお寺で知られる應典院(大蓮寺塔頭・大阪市)。だれもが気軽に看護師や保健師に相談できる「まちの保健室」の取り組みを中心に、應典院が目指す姿について、職員の齋藤佳津子さんにお話しいただきました。
齋藤佳津子(さいとうかつこ)
1967年京都生まれ。應典院・パドマ幼稚園主査。ボストン大学大学院でNPO/NGOの運営学を学んだ後、京都YWCAに15年勤務。2012年より應典院の職員に。大阪国際児童文学館特別研究者、(一財)社会的認証開発推進機構専務理事としても活動中。
まちの保健室 悩みや不安を気軽に話せる場所
まちの保健室は、2020年の6月から始まった取り組みです。毎月第4水曜日の午後、現役の看護師や、プラチナナース(定年退職前後の経験豊富な看護師)の方々に健康や育児に関する相談ができます。また、應典院には私たち終活カウンセラーも常駐しているので、介護や終活の悩みや疑問にも応えられます。
月に一度、わずか数時間の開催ですが、多い時には40名近くの方が足を運んで下さいます。幼稚園児のお迎えのママたち、地域の方々、SNSを通じて知った方など、参加者もさまざまです。健康相談だけでなく、血圧や体脂肪の測定も人気です。
とはいえ実際には、健康相談ははじめだけで、あとはおしゃべりの場になっています(笑)。「うちの旦那、定年退職して家にいるのに、家のこと何もしてくれへん」「うちの子ども、4歳になってもまだできへんことがいっぱいある」などと、ちょっとした愚痴や悩みで盛り上がる。でも、参加者の方の心が少しでもスッキリするなら、それで充分なんです。
学校の保健室も、体調が悪い子だけじゃなく、悩みや不安を感じて教室に行けない子が集まったりしますよね。同じように地域の方々のための保健室になればいいなと思います。
教育、福祉、アート。お寺の魅力はカオスにあり
ここ最近の應典院は、「まちの保健室」をはじめとする、福祉やケアの部分に力を入れていますが、そこだけにこだわっているわけではありません。
應典院は、教育、福祉、アートのお寺です。親寺の大蓮寺と協働して幼稚園の運営、コミュニティ・ケア寺院としての取り組み、再建から2020年までは演劇を中心とする文化芸術の発信。そして何より、お寺本来の役割である弔いや供養。これらを縦割りに分割するのではなく、それぞれをつなぎあわせて、うまく横展開できればなあと、考えています。
たとえば、まちの保健室には、とある大学の学生がインターンという形で参加してくれています。地域福祉の取り組みが、一方では教育の現場になっているわけです。
また、私が10年近く應典院のお仕事に携わって印象深かったものに、おじいちゃんおばあちゃんとお孫さんたちが一緒になって極楽地獄の絵図を描くワークショップがあったのですが、これも、アートを通じた死生観教育です。「人が死んだら三途の川を渡らなあかん」とおじいちゃんが川の絵を描くと、そのほとりにお孫さんがお花の絵を描く。とてもほほえましい光景でした。
「うちのお寺は福祉ケアをがんばります!」
「うちはアートに特化したお寺です」
…というように、なにかひとつにスタンスを決めてしまうよりも、お寺って、もっとごちゃまぜで、カオスである方が実は面白く、可能性がぐんと広がるのではと思うのです。なぜなら、生老病死、あらゆる場面を生きている人に向けて門を開くのが、お寺だからです。
應典院は少数精鋭。常に誰もが忙しく立ち回り、アイデアを出しては住職とああだこうだと議論しています。それでもお仕事は常に楽しく、手ごたえがあるものばかり。地域の人々の支えになるんだという想いと確信が、私たちを動かしているのだと思います。
いろいろなことにトライしていますが、常に手探りで、模索し続けています。それでも、これだけ積極的にあれやこれやと自らカオスを生み出そうとしているのは、やっぱり、住職も私たち職員も、どこか変化・変革を生むのが好きな「変人」だからなのでしょうね(笑)
これからも、地域の方々の生老病死に寄り添える場所を目指して参ります。