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恐山 死者と会う場所

2019.07.18

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文:井出悦郎

過酷な自然環境の恐山

7月上旬、おおま宿坊 普賢院の宿泊とあわせ、日本三大霊場の一つ、恐山(おそれざん)にも参拝しました。

くねくねしたアップダウンの林道を車で進んだ先に、パッと現れた宇曽利湖(うそりこ)。

 

車窓から見える宇曽利湖

 

立ち込める硫黄の匂いと、目の前に広がる空間に、ファンタジーの世界に来たような感覚に。
恐山は硫黄によるダメージで、毎年のようにエアコンなどの家電製品を交換する必要があるそうです。
建物に使われる釘(くぎ)もステンレスでないと駄目とのことで、大きなお堂を維持するのには莫大な費用がかかりそうです。

死者の物語が「見える」

恐山の山門。正面奥に見えるのが地蔵堂

 

イタコも集まる夏の大祭(7月20日から5日間)を前に、境内は人がまばらでひっそりとしています。

地蔵堂に参拝し、本尊の地蔵菩薩に手を合わせました。
六尺三寸(約1.9メートル)の地蔵菩薩からは、今までどのお寺でも味わったことのない、妖気ともいうようなオーラを感じました。
夜になると地蔵菩薩は死者が成仏できるように恐山を徘徊するという、不思議な言い伝えがあるそうですが、さもありなんと思ってしまう雰囲気でした。
畏怖とは、この地蔵菩薩を前にすると自然と湧く気持ちかもしれません。

地蔵堂の横から始まるのは「地獄めぐり」。
目に見える物語として、死者の存在が深々と心に染み入ってくるようでした。

 

供養のために積まれた石を鬼が崩さないよう、鬼を転ばせるために結ばれた草
「賽の河原」に積まれた石

 

朝の極楽浜では、参拝者が死者に向かって大声で呼びかける光景がよく見られるそうです。
私も亡くなった家族を思い出し、対岸に向けて思わず叫んでしまいました。声はしばらくの間、山々に木霊(こだま)しました。

木霊を聴き、極楽浜でボーっとしているうちに、いつの間にか家族に会いに来たような、懐かしさ・うれしさ・悲しみが混じりあう気持ちが湧いてきました。
恐山全体が死者の物語に包まれ、その物語は五感から染み入ってきます。

霊場としての根本は「死者」と「祈り」

現在の恐山菩提寺の院代を務められているのは、かの有名な禅僧・南直哉(みなみじきさい)師。
恐山菩提寺の運営には色々と課題があるそうですが、南師は霊場である恐山は広告宣伝をすべきではないという方針を示されているそうです。

実際に参拝してみて、その意味が少し分かった気がしました。
旗を持ったガイドに先導された団体の観光ツアーも多いでしょうが、霊場寺院の根本は死者との関係を想い、個人的な物語とともに参拝することだと思います。
一人ひとりが大切な物語と向き合い、祈るには、観光でワイワイにぎわう空間は適していません。

最近、京都などは、インバウンドなどによる「観光公害」が問題になっています。
恐山の霊場としてのあり様や風情が100年後もその先もずっと続いていくには、死者を想い、祈る人がお参りし続けたいと思える環境を維持していくことが大切なのだと思います。
「死者」と「祈り」という、霊場としての大切な根本に気づかせてもらいました。

 

「地獄」を巡った先にある、白砂の極楽浜と透き通った宇曽利湖

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井出悦郎

井出悦郎

1979年生まれ、東京育ち。東京大学文学部卒。人間形成に資する思想・哲学に関心があり、大学では中国哲学を専攻。銀行、ITベンチャー、経営コンサルティングを経て、「これからの人づくりのヒント」と直感した仏教との出会いを機縁に、一般社団法人お寺の未来を創業。同社代表理事を務める

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