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コロナ禍は現代の「群盲評象」。生命の大循環に沿ったライフスタイルに改める時(法華寺住職・庄司真人)

2021.05.09

庄司真人 (しょうじ しんじん)

平成30年4月、住職就任。関西学院大学文学部・兵庫教育大学大学院卒。公立中学校社会科教師として18年勤務後、退職。現在は臨床心理士、学校心理士、特別支援教育士の資格を持ち、寺務と並行して公立学校カウンセラーとして勤務。僧侶本来の姿勢は、人の悩み、苦しみに寄り添うことであるとの思いから、宗教と心理学の両面から檀信徒の方々に向き合っている。

法華寺寺院ページ

新型コロナ禍で浮かび上がる現代の「群盲評象」

 有名な仏教説話の一つに「群盲評象ぐんもうひようぞう」というものがあります。要は、目の不自由な人達が、それぞれに触ったところだけを感じとり、「象とは〇〇みたいなものだと」言い張ったり、互いに争ったりして、自分の意見に固執しているという話です。鼻を触った人は「象とはホースのようだ」と言い、足を触った人は「象とは丸太のようだ」と言い、耳を触った人は「象とは薄くて平べったいものだ」と言っているのです。

 私は、住職と並行してスクールカウンセラーの仕事もしていますが、専門家が集まる会議では、よく似たことを感じることもあります。
 例えば子供が不適応な行動を繰り返していた場合、ある福祉の専門家は「虐待の問題」に原因を求め、ある医者は「本人の発達の問題」だと言います。そして、ある教師は「本人のわがまま」だと言い、各専門家は、原因探しに躍起となり、「その子に対して今、ここから何をすべきか?」が置き去りにされてしまうという構図です。

 今回の新型コロナウィルスの件についても、私はこの説話と同じようなものを感じています。専門家と呼ばれる人の中で、意見が真っ向から分かれています。

 政治的判断に明け暮れる行政の長
 命の大切さを訴え、徹底した感染防止を訴える医者
 ゼロリスクを求めることによる経済破たんを嘆く経済学者
 ワクチンを強く推奨する学者
 ワクチンの長期的治験の無さに対する不安を伝える学者
 徹底した手洗い、マスク着用等、子どもに厳しい清潔環境を強いることは、自然ウィルスに対する免疫力の低下を生むと主張する学者
 表情の読み取りにくいマスクは、子どもの心身に悪影響という教育関係の人

 社会の中でも反応や受け止め方は千差万別。年代や立場、職業によって様々です。まさに現代の群盲評象です。

全ての生命は大循環の中にある。大循環に抗う現代人

 対立する意見や考え方があるのは、当たり前のことで、「一方の善は、一方への悪」ということも多々あります。しかし「こうであるべき」「こうでないといけない」という考え方は、仏教の立場からは離れた考え方です。この世の利害、人の意見、感情を越える考え方を仏教は持っています。これを「無分別智むふんべつち」といいます。
 例えば「命あることが第一義」、「死は敗北である」とする考え方では、人生は行き詰まります。生まれたら、死ぬ。それは、何百、何千、何万、何億年という悠久から続いている真実です。医学の進歩が素晴らしいことはその通りですが、「人間の生命は至上である」という意見は、正しいようで、地球全体から見れば、どうなのでしょうか?

法華寺の苔庭

 地球上には、絶滅したものも含めると5千万種、現在4千万種もの生き物がいると言われています。そのすべてがつながり合い、連鎖しています。
 ミミズやヤスデなどが有機物をかみ砕き、それを目に見えないバクテリアや土壌酵素、カビなどが分解し、酸素や二酸化炭素、硝酸塩、燐酸りんさんなどの無機物が生成され、新たな命の土壌となります。ひとさじの土の中には一億もの微生物がいると言われています。
 そして、その連鎖の源となるエネルギーは太陽の熱と光です。水は循環し、落ち葉の堆肥によって木々は育ち、新芽がでます。生命の流れは一方通行ではなく循環です。地球上の生命はすべて循環しているのです。この「大いなる循環」に抗って、無理を押し通す現代人は、「群盲評象」の構図と重なっているように私は感じています。

僧侶は現代的な生活を正し、お寺を生命の大循環を感じる場に整える

 新型コロナウイルスの発生源は分かりませんが、元々は自然界のどこかに潜んでいたものであるとすれば、新型コロナ禍は、人間と自然界の適切なつながりと棲み分けが崩れたことで引き起こされたもののように思います。それは、この大循環に抗うライフスタイル(生活様式)を押し通す現代人が自ら生み出したものとも言えます。

 資源やエネルギーの大量消費を前提とした私たち現代人のライフスタイルは、持続が困難であることは明らかです。僧侶もそのライフスタイルの一端を担っています。その点は深く反省しつつ、私自身は生命の大循環を深く意識した生活を実践することが求められていると感じています。

 私の朝は、早朝の山寺の空気を胸いっぱい吸い込むことから始まります。法華寺には580年前からこんこんと湧き出つづけているご霊水があり、水原堂みずもとどうでの毎朝の読経と掃除を通じてその水資源に感謝と祈りをささげています。また本堂では、何百年にもわたるお寺の営み、さらに何万年もの命の流れを感じながら朝勤行をいたします。
 法華寺が取り組む「教員のためのリトリートカフェ」や「心の塵をはらうお掃除の会」に参加される方、また普段お参りに訪れる方々が、自然豊かな法華寺において生命の大循環を体感できるよう、お寺の営みを丁寧に整えることを大切にしていきたいと思います。

毎年美しく映える法華寺の紅葉
お寺画像
大阪府南河内郡
取要山 法華寺
霊水の湧く寺院 (筧の霊蹟)

寺院ページを見る

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庄司 真人

平成30年4月、住職就任。公立中学校社会科教師として18年勤務後、退職。現在は臨床心理士、学校心理士、特別支援教育士の資格を持ち、寺務と並行して公立学校カウンセラーとして勤務。僧侶本来の姿勢は、人の悩み、苦しみに寄り添うことであるとの思いから、宗教と心理学の両面から檀信徒の方々に向き合っている。

コメント一覧

  1. 貴重なお話をありがとうございました。私も同感です。阪神淡路大震災の時も感じましたが、これは人間に対する警告では無いかと思いました。あれからも、残念ながら人間は自然の中に溶け込もうとしていなかったんですね。私の尊敬する北海道の徳村彰さん(通称オジジ)は、森はマンダラだと言っておられます。人間が自然を保護するなどと言っているのは傲慢だ。人間が自然に守られているのだと。また、ぜひ庄司先生のお寺に行ってみたいです。

    1. 返信、ご感想、ありがとうございます。法華経の話の中に、「すべての人、生き物は悟りを開くことができる。ただし、うぬぼれの強い者は、悟りの境地から遠く離れている」という内容があります。私自身も自戒をこめながら、人として何ができるのか模索しております。ご来寺いただける機会があれば嬉しいです。

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  1. 貴重なお話をありがとうございました。私も同感です。阪神淡路大震災の時も感じましたが、これは人間に対する警告では無いかと思いました。あれからも、残念ながら人間は自然の中に溶け込もうとしていなかったんですね。私の尊敬する北海道の徳村彰さん(通称オジジ)は、森はマンダラだと言っておられます。人間が自然を保護するなどと言っているのは傲慢だ。人間が自然に守られているのだと。また、ぜひ庄司先生のお寺に行ってみたいです。

    1. 返信、ご感想、ありがとうございます。法華経の話の中に、「すべての人、生き物は悟りを開くことができる。ただし、うぬぼれの強い者は、悟りの境地から遠く離れている」という内容があります。私自身も自戒をこめながら、人として何ができるのか模索しております。ご来寺いただける機会があれば嬉しいです。

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