仏教から見るコロナ禍。人間も動物もウイルスも、全てのつながりの共存を祈る(法華寺住職・庄司真人)
2021.01.22
新型コロナウイルスの蔓延は、世界を始め、この日本でも大きな影響を与えています。様々な職種、特に飲食業界や観光業界、それらに連なる業種の方々へのダメージは筆舌に尽くしがたいものがあると思われます。このような時世において、あえて仏教が持つ役割を考えたいと思います。
全ての生き物に真心をささげることが仏教の大切な役目
昨今、仏教は「心のお医者さん」「より良く生きるための教え」などウェルビーイングに関する領域がクローズアップされていますが、宗教学者の正木晃先生は、「最新の発掘仏教学から見ると、お釈迦様の頃から死を弔い、霊魂を供養することは仏教の大切な役割である」という意味あいを述べられています(出典:春秋社「お坊さんのための仏教入門」)。
仏教の意味合いは『衆生の済度』に集約されると私は思います。「衆生」とは生き物全て、「済度」は成仏・悟りの境地への導きです。つまり、あらゆる生きとし生けるものを救うということです。
生き物といえば、海洋の魚貝たち、プランクトン、昆虫、鳥、地上の動植物、微生物、細菌も生物です。ウイルスは生物ではないと言われますが、仏教的には、「石にも、水にも、空気にも、全ての存在に生命が宿る」と考えて良いでしょう。昭和の初めの話ですが、私の祖父、行法院日経上人は、パンクしたタイヤを蹴り飛ばした弟子に対して「タイヤにも命があることがわからないのか」ときつく叱ったそうです。
海洋汚染、大気汚染により死滅した生物の数は計り知れません。仏教では、このような生き物全ての霊を「六道四生法界萬霊」と言います。六道とは「地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天」として悟りに到達していないものたちのことです。四生とは「卵、胎盤、湿地、空気中」から生まれるもので、生き物すべての生まれ方のことです。これら全てに真心をささげて供養することが仏教の大切な役目だと私は強く信じています。
動物は、罪深い人間よりもすみやかに成仏する
昨今はペットたちの供養も大切になっています。家族同様に過ごした命を失うことは精神的に本当に辛いことでしょう。「動物が成仏するのか?」という論争が、数年前にある宗派で起こりましたが、その宗派も今では動物たちも供養すれば成仏できるという理論が主流です。
私が信仰する法華経には「全ての生き物は成仏する」と書かれているので、ペットの供養では、法華宗の教義にのっとり「頓生菩提」と唱えてお経をお唱えします。ちなみに人間は罪深く「追善菩提」と供養します。残された者が善意・善行を故人に送り成仏の助けとするのです。しかし、動物たちは、すみやかに成仏(頓生)するので、お経の文言が違うのです。
加えて私は、人間の利益のために使われた実験動物、食材としての動物たちも、しっかり供養すべきだと考えています。先進国での食肉の量は「足るを知る」限界をはるかに超えているようで、命をいただく有り難さは、人間の欲望にかき消されてしまっているようです。
全てのつながりの共存を祈り、自らの生き方を変えていく
法華経・方便品の教えには「すべてはつながり合って存在する」と記されています。厄介なウイルス、憎むべきとされるウイルスも、全ての生き物のつながりの中で存在しています。
「善か悪か」「生か死か」「ウイルスの蔓延か駆逐か」という二者択一論は仏教にはなじみません。悪があるから善もあり、死があるから光り輝く生もあります。ウイルスがあるからこそ、私たち人間もあり方を根底から問われます。新型コロナウイルスは私たち人間のあり方を写し出す鏡と言えるでしょう。
今回のパンデミックの先に何があり、その答えは何なのか誰にもわかりません。しかし、このような大変な困難な時にこそ「仏教」の教えが輝きを持つのではないかと私は感じています。二項対立を超えたより高い視点に答えを見出すことが、仏教としての大切な視点です。
今こそ、生物の中で「死・あの世」を想うことができる人間が「六道四生法界萬霊」に心を込めてその霊を弔い、全てのつながりの共存を祈ることが大切です。そして、その過程で出会った気づきとともに、全てのつながりとの共存が促進されるよう、自らの生き方・あり方を変えていくことが求められているのではないでしょうか。
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