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自死について思うこと(足立信行・T-sousai代表)【死に方のココロ構え(15)】

2023.02.27

足立信行(あだちしんぎょう)

株式会社 T-sousai 代表取締役社長。1982年、京都府生まれ。在家の家に生まれる。18 歳の時に高野山で僧侶になることを決意。高野山金剛峰寺布教研修生修了。高野山で修行をする中で僧侶や寺院の役割を考え、一度下山。葬儀の重要性に気づき、2008年 大手互助会系の葬儀会社に入社。葬儀の担当者となり、年間約 120 件の葬儀を手掛ける。2012 年IT 企業に入社し、エンジニアとして活動。2017年、僧侶と葬儀会社の担当という経験から、お互いが遺族や故人のために協力し祈りの場所として本堂などで葬儀をあげ、安価で心あるお寺葬の構想を企画。葬儀の告知、WEB、導入などから実施、施行までをワンストップできる株式会社 T-sousai を創業し、現職。

T-sousaiホームページ

※前回(緩和されたコロナのご遺体 ―納体袋の上からのお別れー)はこちら

先輩の自死

 自死や尊厳死などの答えのない問題に取り組む際、可能な限り「私はこう思う」という個人的な体験から始めることを心がけています。答えのない問題は、もとより答えがありませんので、個人的な体験がヒントとなり、期せずして糸口が見つかることもあります。個人的な体験は、時に独りよがりで独善的な方法に至ることもありますが、多くの場合は個人の強烈な「うめき」から発生するため、一定の効果があることも事実です。いずれにしても口をつぐむのではなく、主体性を持つことが重要と感じます。

 今から12年前、私が28歳の時です。職場の先輩が突然、自死しました。歳が1つ上の先輩で、4年程の付き合いでした。仕事を丁寧に教えてくれたり、飲みに行ったり、夢を語り合ったり、幾度か数人で旅行にも行きました。文字通り公私共に信頼の持てる先輩で、その関係性はずっと続くものだと思っていました。

 5月の連休の真ん中に、先輩は東京から遠く離れたとある県で亡くなりました。亡くなったその日に遺体は発見され、翌日に先輩の元に向かいました。葬儀社というのは因果な仕事で、悲しみも押し殺して、亡くなった先輩のご遺体を自分たちで搬送しなければならず、先輩との間柄を封じ込めてプロとして対峙しなければなりません。
 なぜ先輩が自死を選んだのか、なぜ突然だったのか、なぜ遠い場所で亡くなったのか。色々な答えのない問いかけが出てきます。なぜもっと気付いてあげられなかったのか、自分を責めた時期もあり、今でも悲しみは続いています。そういった意味で私は12年経った今でも立ち直れていないのかもしれません。当然、ご家族の苦しみや悲しみは私以上のものがあるでしょう。

 例年、先輩の命日には、昔の職場の仲間と集まり、弔いを挙げています。亡くなった先輩の法事というほどのもではありませんが、思い出すことで少し前向きになれる。そんな気持ちになります。

先輩を忘れずにいることで前向きになる
先輩を忘れずにいることで前向きになる

生など選んでいない

 先日とあるマンガを読みました。自死をテーマにした短編のホラーマンガですが、希死念慮きしねんりよのある主人公がこんなセリフを言う場面が出てきます。
 
「だって、生きている人はみんな生きている方が良いと思って選択してるから生きているわけでしょ?死ぬことに賛成してくれる人はみんなもう死んじゃっているんです。もしかすると死んだ先には楽園があるかもしれない。だから僕は死んでる人に会いたい。あの世にいる人に死なない方が良いって言われれば、納得して生きてゆけるんです。」
『僕が死ぬだけの百物語』(作:的野アンジ)
 
 私自身もこれまで辛いことや大変なこともありましたが、「生を選んでいるから生きている」と思ったことはありません。「生きよう」と思ったことや「生きることを選ぼう」と能動的に選択したことなど1度もありません。このマンガの主人公の言うように「生きている方が良いと思って選択してるから生きている」ことなど私にはありませんでした。懸命に生き、懸命に暮らしているというのが実情です。

 星新一に『殉教』という短い作品があります。あの世と通信ができる機械を発明した科学者の話で、「あの世はいい!みなも早く来い!」と言って、世界中の人間が自死を選ぶというストーリーです。話の終盤に亡くなった遺体をブルドーザーで集める人間が出てきて、もう一人の別の人間と話し、その会話をもってこの物語は突如終了します。
『殉教』は、先のマンガの主人公の言う「もしかすると死んだ先には楽園があるかもしれない」という言葉を証明するようなもので、誰もが生を選ばず死を選択していくというものです。数多くの人々が死んでいきますが、それでも死を選ばず生きる人がいます。生きることの本質を突き付ける名作であると思います。この作品で星新一が何を言いたかったのかを知ることはできませんが、私はここでも同じ感情を受けました。すなわち「生など選んでいない」と。ではなぜ生きるのか。

殉教
『殉教』が掲載されている『ようこそ地球さん

役割があるから生きている

 私は仏教徒であるからなのか、これまで生きてきた人生からなのか分かりませんが、生きることは役割を全うすることだと思っています。全ての生命には生まれてきた役割(意味)があり、その役割(意味)を全うするために生きているのだと思っています。短い生命にも、長い生命にも、生まれてきた生命にも、生まれてこなかった生命にも、全てひとしなみに役割があると思っています。
 生きる理由はそこにつきると思っています。役割を全うするために生きる。けれども、役割は死ぬ時まで分かりません。懸命に生きることしかないのではないかと思ってしまうのです。

 明治の終わりに著された西田幾多郎の『善の研究』では「真の人格の実現が最高の善である」と説かれます。端的に言えば、自分の役割を追求し実現することが「善いこと」なのだと。
 西田幾多郎が言う「善悪」で生命を推し量ることは今の私には判断できませんが、「真の人格の実現」(人生の役割の実現)が重要であることはとても賛同します。全ての生命には役割がある。短い生命にも、長い生命にも。
 先輩の死から今年で12年目を迎えます。今年も昔の職場の仲間と集い、先輩の弔いをします。

 すべての生命の安からんことを祈念し、合掌

青空
先輩の御霊を祈り今年も集います

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