『典座 -TENZO-』富田克也監督×河口智賢×倉島隆行 クロストーク- 現代社会を正見するための補助線
2019.10.18
公開から一週間が過ぎた映画『典座 -TENZO-』。
先日はアップリンク吉祥寺(東京都)で上映後のアフタートークが開催されました。大盛況のトーク後、まいてら編集部(以下、編集部)が富田克也 監督と出演者の河口智賢 さん、倉島隆行さんに映画公開後の手ごたえをおうかがいしました。
話題作『ジョーカー』と同日封切り。現代社会の病巣を異なる切り口で描く2作
富田 『典座 -TENZO-』(以下『典座』)は変わった作りになっているので、観客がぎょっとしないかと心配していました。本作はドキュメンタリーとフィクションの要素が何の説明もなく入り混じっていますが、普通、観客はドキュメンタリーなのかフィクションなのかということを前提の約束事として見るわけです。しかし、本作はその見方が提示されるわけではなく、ありのままで終わります。けれどそういったこと以上に、なにかが確実に伝わっているという手ごたえがあります。
河口 テーマが仏教なので、公開前はお寺になじみのあるシニア層へ広げていくことを念頭に置いていました。しかし、実際はかなり若い方々が劇場に来られています。シニア層だけでなく、仏教って何? と思う若い世代に、仏教の入口として触れ、信仰の必要性に気づいてもらいたいと思っていましたが、若い方々の確かな求めがあるということに、公開してから気づきました。
富田 話題作の『ジョーカー』と同じ日に封切ったことにも同時代性を感じます。ツイッターで、『ジョーカー』と『典座』を並べるような感想が散見されて面白かったです。『ジョーカー』はアメコミを題材にしているにも関わらず、かなり突っ込んだやりかたで、切迫した社会を背景に勧善懲悪を超える物語を描いています。『典座』も原発問題をも含めた、今の切迫した日本社会を描いているという意味で、背景にしている「最悪な」社会状況は『ジョーカー』のそれと一致していると思います。『ジョーカー』は人が人をないがしろにしすぎると、ひどいしっぺ返しを食らうという寓話ですが、だからこそ『典座』は、また違う道を目指そうとしている作品だと思います。
--どのような道を示したいとお考えですか?
富田 ジョーカーにならないためにはどうしようってことですよね。例えば、僕らはお金を稼がないと生きていけない社会というものを、当たり前だと思っているわけです。それがないと生きていけないと。だから、お金という紙切れへの過度な信仰のベールは剥がしたかったですね。『典座』では、いずれにせよ私たちは、地面から出てくるものを食べ、世界の循環から生まれるものでしか生きていけない、紙切れよりも大事なものがあるということを描きました。当たり前のことに気づいて、ちょっとほっとするというか。とはいえ完全にそういう風に生きていくのは難しい、でも気づけば当たり前すぎて安心するというか、少しは気が楽になる。そういう映画になればと思っています。
3.11を経て、お坊さんたちは、周囲に求められはじめたという実感があるといいます。精進料理教室などで接する一般の人々から、「ところで、仏教とはいったいなんなんですか?」と質問されることが増えたと。それと、例えば現代社会の末端である私たちの住む地域、つまり地方都市の片田舎では、智賢さんのお寺(耕雲院)が定期的に開催している子ども食堂に、一度に人が100名も集まるという現象が起きています。何かが確実に変わろうとしています。
河口 確かに、子ども食堂をやってみて、地域の反応に驚いています。「私も何かできないか」と、多くの申し出をいただきますし。最近は地域の関係性が希薄化していると言われますが、人が集まる場を作ることで、現代社会や地域のさまざまな問題について、自然に意識が共有されていくと感じます。
世の中の求めを感じて、僧侶としての立ち居ふるまいも正される
倉島 アフタートークで誰も席を立たず、前のめりで話を聞いてくれたのには感動して、涙が出ました。本作が切迫して悶々としている世の中の一助になればという願いは、大上段でもないと感じます。
富田 トークショーつき上映とはいえ、帰る人は普通、必ずいます。帰る人が多いとけっこう傷つくんです(笑)。しかし、今回はそれがまったくありませんでしたね。
倉島 サイン会の時も忘れられない出来事がありました。あれは印象的でしたね。私が舞台挨拶で「ダライ・ラマ法王が『袈裟を着て形式ばるよりも、人のために活動しなさい』とおっしゃった」とコメントしました。そうしたら、ある女性がサイン時に、「私はお坊さんが綺麗な袈裟を着て凛と立っている姿が好きです」と涙ながらに語られたのです。その感想を聞いて、世の中が切迫しているからこそ、自分たちもしっかりしないといけないと背筋が伸びました。
富田 もう映画に出ちゃいましたからね、これからちゃんとしないといけなくなっちゃったよね(笑)。
倉島 映画が公開されているアップリンク渋谷の、近くにある「なか卯」で、河口さんと二人で親子丼を食べていた時です。お店の外に『典座』のチラシを持っている人がいて、我々とチラシを交互に指さして「あっ! あっ!」と驚いているのが目に見えました。河口さんと二人で「やばい! 五観 の偈 を言ってないぞ!」と、姿勢を良く食べ始めました。どこで見られているか分かりません。これからは蕎麦にしようかな(笑)
ホッとすると同時に背筋が伸びる。青山老師の圧倒的な存在
--カンヌと劇場の反応には違いがありましたか?
富田 いや、フランスでも日本でも、さほど変わりないと思います。やはり、みなさん青山老師の佇まいに驚いていますよね。
河口 多くの人にとって、スクリーンの青山老師に出会うことが救いになっていると思います。
富田 映画を作るにあたり、曹洞宗のことを知るのにどうしたらいいかと考えて、それなら曹洞宗で一番の人格者にお会いするのが手っ取り早いと、青年会のみんなに訊ねたわけです。そして名前が挙がったのが青山老師でした。
--作中で河口さんご自身が青山老師に感激し、恍惚 とした表情を浮かべていることも印象的です。
河口 感激して、あの場面は素のままでした(笑)。
富田 人に打たれるとはこういうことかと思いましたよね。仏法は人格相伝(編集部注:じんかくそうでん=師匠の人格をそのまま弟子に伝えること)によって2,500年受け継がれてきたと老師は話してくれたんですけど、まさにその老師自身によって人格相伝とはこういうことかと見せてもらいました。
河口 自分の素の表情は置いておいて(笑)、本作は自分に置き換えられる場面が多いと思います。食べるという行為など、日常に引き寄せられる要素がたくさんあります。仏教を遠いものにせず、身近なものにすることに一役買っていると思います。
富田 一部の求道者だけがやるというわけではなく、すべての人に道が開かれているのが仏教だと思います。僕は、前作の『バンコクナイツ』という映画の撮影のために東南アジアを長らく歩いたことで、主にタイでは今でも仏教が人々の生活の指針になっているのを知ることになりました。山梨の高校を卒業してその後東京に長く住んでしまった僕にとって、生活互助の残るバンコクの下町での生活はとても清々 しいものでした。僕は数年間にわたってバンコクの下町に住んでいましたが、そこは、困っている人がいたら助けるのがあたりまえの世界でした。親に捨てられた子を、近所の家族があっさり引き取ってしまう、助けるのに理由がない。その家族だって苦しいはずなのに、僕がおばさんに質問しても「じゃあどうするの。あたりまえでしょう?」と返ってくるのみ。すべてのものごとは繋がっているという感覚で人々が生きている日常でした。
その後、日本に戻るのと時を同じくして、『典座』の依頼をいただいたという流れでしたから、これはやるしかないと思いました。おかげで、青山老師と出遭うことができ、なにより、僕自身ホッとしちゃいました。でも、ホッとするとともに背筋が伸びる感覚があります。ほっとするということは、同時にちゃんとしなけりゃいけないと気づくことにもなるからです。
「私がここにいる」あたりまえのことに気づくきっかけになれば
--最後に「まいてら新聞」読者へメッセージをお願いします。
倉島 今日みなさんの話を聞いていたら、坐禅の「坐」も土の上に人と人がいるという文字だと気づきました。大地の上で営まれ、人と人だけでなく全てのつながりを実感するのが坐禅なのかもしれません。私たちは『典座』を通じて、たくさんの気づきに出会いました。ぜひ、他宗派も映画を作っていただき、それぞれの特長を見てみたいです。
河口 今、地元の市役所でも政教分離というハードルはありながらも『典座』上映に協力できないかと動いてくれています。そして、学校の現場でも先生が必要としてくれていることを感じます。少しでも多くの人が『典座』に触れる機会をつくっていきたいと思います。
富田 仏教ってほんとにシンプルで論理的だなと。「なぜ」ではなく、私がここにいるというあたりまえのことに気づかせてもらって、自分は気が楽になりました。そういうことを気づかせてくれるのが仏教だと思います。魔法でもなんでもないので、この後が大変ですが(笑)。『典座 』を見ることが、そういうきっかけになってくれればうれしいです。
誰よりも仏教を熱く語る富田監督。
映画を広めるために尽力する河口さん。
そんな二人を静かに温かく見守る倉島さん。
その他にも多くの人に支えられ、多くの願いを込められて世に出た映画『典座 -TENZO-』。
仏教には、多くの人が常識と考えている物事を、別の角度から眺めることで、異なった視点を与えてくれる力があります。本作で描かれる貧困や原発問題だけでなく、近年の度重なる自然災害は、私たち人間に日々の営みの再考を迫っているのではないでしょうか。ライフスタイルを変えることは簡単ではありませんが、その第一歩は「あたりまえ」に気づくこと。仏教でいう正見 に他なりません。この映画は、私たちをとりまく現代社会を正見するための補助線となるでしょう。
なお本インタビューは台風19号が接近する中で行われました。
未曽有の豪雨による甚大な被害となり、被災された方々には衷心よりお見舞い申し上げます。一日も早い復旧を心からお祈り申し上げます。