お寺づくりの担い手にせまるインタビュー

おてらびと物語 〜安心のお寺を創る〜

お墓はないが人は集う。「祈り、集い、学び」のお寺を目指す– 弘法寺 副住職 渡邊弘範さん(大阪府和泉市)

2016.07.29

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面白くないのではなく、自分が面白くするかどうか

いずみの国のいつくしみ市
子供の健やかな成長と安寧を願った青葉まつり(弘法大師の誕生祭)の様子

お寺に檀家がお参りする最大の理由は「先祖のお墓があるから」だ。逆説的に言えば、お寺にお墓がなければ、お参りは激減する。しかし、お墓がない弘法寺には多くの人がお参りする。その理由は何故だろうか?

面白くないとみんなが言うものを、こうしたら面白いんじゃないのと思って、行動することを大切にしています。

「面白きこともなき世を面白く」と歌った高杉晋作の面長さにも似た、弘法寺副住職の渡邊弘範(わたなべこうはん)さんはそのように言う。弘法寺の行事は挙げれば軽く両手を超える。

  • 弘法大師(空海)の縁日に行われる大師講をはじめとした毎月の「定例行事」
  • 呼吸を整え、心を静めて坐る瞑想「阿字観(あじかん)」
  • 日曜朝にお参りの方と一緒の読経と、法話を行なう「朝修行」
  • 東日本大震災を支援する、歌・笑い・トーク・祈りのある「月の明かりコンサート」
  • 本堂でスイーツと一緒にほっこり過ごす「お寺café」
  • 和泉市の音楽連盟有志がクラシック音楽を奏でる「昼下がりコンサート」
  • 出店、コンサート、お坊さんによる地獄のはなし等、子どもも大人も楽しめる「夏祭り」
  • エコ&オーガニックのナチュラルマーケット「いずみの国のいつくしみ市」
  • 「聞いて、話して、皆でワイワイ」がコンセプトの仏教・文化講座「いづみ座」
  • 本堂で赤ちゃんとママが触れ合う「お寺でベビーマッサージ」

今や老いも若きも集う弘法寺だが、そこに至るには渡邊さんの紆余曲折があった。
工学系の大学院を卒業後、渡邊さんはバックパックでインドを放浪。電車でチベットのお坊さんと出会い、ダライ・ラマ法王が18年ぶりにカーラチャクラというチベット密教最奥義の灌頂(儀式)をブッダガヤで行なうことを知る。

2003年にカーラチャクラ灌頂が行われた時のインド・ブッダガヤ
2003年にカーラチャクラ灌頂が行われた時のインド・ブッダガヤ

ブッダガヤに行くと多くの人がずらーっと並び、ダライ・ラマ法王に手を合わせていました。日本で袈裟を来て檀家さんにお参りする仏教とは明らかに何かが違うと感じました。日本にいたらお坊さんになろうか迷っているのに、仏教が求められている風景を見て、お坊さんになりたいと心底思いました。

その当時の渡邊さんには、お釈迦様が説いた原始仏教こそが仏教であり、日本仏教は仏教とは違うという仏理想主義があったそう。しかし、いざお寺に帰ってお坊さん業を始めてみると、お墓や供養についての話ばかりで、それまで学んだ仏教を伝える機会がなく、これで一生が終わるのかという喪失感を味わった。
そんな日々が続いたある日、渡邊さんが本堂で瞑想していた時、ある気付きが訪れた。

少欲知足。足るを知るという言葉が頭に浮かびました。こんなに広い本堂があり、境内もあり、裏山もある。こんなに自分は足りている。面白いか、面白くないかという目線で見ていましたが、面白くないのは自分が面白くできていなからという見方に変わったのです。逆に面白くないところのほうが可能性がめちゃくちゃあると感じました。ぱーんと視界が開けました。

渡邊さん、31歳の発心だった。その時に高野山で学んだ仏教・密教がすとんと腹に落ちたそう。

結局は世界がどのような見え方をするかということ。あらゆる所に曼荼羅があり、あらゆるところに輝く可能性や仏性があると思えるようになりました。それ以来、これ面白くないよね、と言うくらいだったら、こうしたら面白くなるんじゃないのと言うようになりました。

過去からの存在に敬意を払い、土地神を敬うことが大切

「面白くする」という視点に気づいた渡邊さんだが、今のような形に至るには紆余曲折があった。面白さを追い求めると、過去から大切にしてきたものと小競り合いが起きる。その摩擦は渡邊さんだけでは解決できないものだった。過去から受け継がれてきたもの、例えば檀家さんと新しい芽を開くにはどうすればよいかと悩む渡邊さんは、檀家から信頼される画家・藤原重夫さんに相談した。

藤原重夫さんと始めた仏教・文化講座「いづみ座」
藤原重夫さんと始めた仏教・文化講座「いづみ座」

お寺をもっと開きたいと相談したら、藤原さんも「開かれたらいいね」と。ではトークショーをしましょうということになり、藤原さんの話が面白いので、檀家さんが一杯集まりました。トークショーで藤原さんが「お寺はもっとひらかなあかんなぁ」と一言言ったら、檀家さん全員が「そうですねぇ」と深い納得。何を言うかよりも誰が言うかということが大切だと感じました。

信頼される人の発言で、檀家の気持ちのベクトルが変化した瞬間だった。その後は、檀家さんに「新しいことをしているらしいね」と言われたら、「重夫さんが開いたほうがいいと言ってくれましてねぇ」と返すのが口癖に。弘法寺では様々な催し物が花を開いていった。
新しさは新旧の交わりの中に生まれる。過去に敬意を払い、過去とのつながりを担保する存在の大切さは修行した高野山でも同じだった。

例えば、1200年続く高野山では、法要の最初は、地主神である丹生(にう)・高野(こうや)の両明神をお祀りするところから始まります。高野山は丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)の神領を賜ったからです。過去のものに敬意を払うからこそ、色々なものが上手くいくのだと思います。

最近の渡邊さんは弘法寺が拠って立つ根源的なものに目が行くようになっている。例えば、「月の明かりコンサート」などの弘法寺の催し物は様々な機会に取り上げられるが、催し物の土台を見てほしいという思いが強い。

弘法寺のある万町という土地には意賀美神社(おがみじんじゃ)という、この土地の鎮守さんを祀る池田春日神社の末社があります。弘法寺が単独で存在しているのではなく、この土地全体の鎮守さんの上に弘法寺があり、その中で弘法寺は生きる人に力を与えるという役割を担っている感覚があります。

宗教学者の釈徹宗氏は「宗教の恨みは怖い」と指摘する。お祭りは三層構造になっており、中心に宗教的なものがあり、その外に宗教的なものを守る人、そしてその周りにお祭りで入ってくる人がいる。中心にある宗教的なものをなくしたら、どんなに人が集まってきていたとしても、そのお祭りは無くなる可能性が高い。

弘法寺のお祭りも色々な鎮守さんの上にあるお祭りであり、その基盤があってこそ色々な人の紐帯になっています。ギターやフルートの音が良いと思っても、その下にあるベースの通奏低音が実は場を支配し、深みを出しています。上の軽いものだけだと飽きて長続きしません。

土地の通奏低音とのつながりを強めていくことに、弘法寺のこれからが開けていくと渡邊さんは思っている。

夏祭りにしても、お大師さんのお勤めの後、土地神さまの上で提灯の残り火で遊ばせてもらっているという感覚です。お大師さんのお勤めを強調すると、弘法寺に人が来てほしいとなりますが、土地神さまの上で遊ばせてもらっているならば弘法寺のエゴではなくなります。夏が来たらみんなで土地神さまの上で遊びましょうよという感覚が広まればうれしいです。

そして、当初は渡邊さんの主導で様々な催しものを立ち上げてきたが、最近は徐々に変化していると言う。

周りから自然に湧き上がってくるものを大切にしています。私がやりたいことよりも、これをやりたいというリーダーの方が引っ張ってくれます。私も「いいですね、ぜひやりましょう」と後押しします。

弘法寺には欠かせない存在となっている中野さん
弘法寺には欠かせない存在となっている中野さん

例えば、弘法寺のいくつかの催しを引っ張るのは、お寺の近隣に住む会社員の中野満さん。催しに来たことをきっかけに弘法寺のファンになり、以来、弘法寺の様々な催しを支える縁の下の力持ちだ。中野さんからは、夏祭りの創作として、家内安全・病気平癒・健康長寿に感謝とお祈りをするお寺の催し「弘法寺ランド」の企画が提案されている。壮大な提案に渡邊さんも驚いたが、いつもの「いいですね、ぜひやりましょう」の一言で後押しをしている。どのような面白さに満ち溢れた空間になるのか、数年後の実現が今から楽しみである。

阿字観の素晴らしさが伝わることで、「祈り、集い、学び」という弘法寺の理想を実現したい

最近の弘法寺は「祈り、集い、学びの3つを大切にしているお寺です」と発信している。

元々は集いに目が向いていましたが、お寺の基礎には通奏低音となる祈りが欠かせません。そして、人が集うには学びも大切です。

実はこの3つのキーワードは、渡邊さんがお寺に帰ってきて悶々としていた頃のメモに書かれていたものだった。当時は根っこのない言葉だったが、紆余曲折の10年を経て、祈り、集い、学びという言葉には確かな息吹が吹き込まれている。そして、祈りという点については弘法寺の独特の考えもにじみ出る。

先祖供養は、お墓のない弘法寺にとって難しい問題です。できれば弘法寺は今のままでいきたいと考えています。先祖供養に限定するのではなく、お寺という舞台で、古(いにしえ)とつながる形で様々な人々が活動するお寺を目指していきたいです。

弘法寺では月に1回、阿字観の会が開催されているが、その根底には阿字観を含めた真言宗の教えの素晴らしさを伝えたいという渡邊さんの思いがある。

空手道場の子供たちへの阿字観指導
空手道場の子供たちへの阿字観指導

周りの支えに気付けることが阿字観の素晴らしさです。例えば、少年野球チームが阿字観に来た時には、阿字観をして野球はうまくならないけど、強くはなります、と話しています。つまり、一人がうまいから勝てるのではなくて、周りの支えがあることに気付けるからチームも強くなる。僕らはみんな違うのだけれどそれぞれが重要で、与えられた役割を担うことで全体が成り立っています。

阿字観に代表されるヨーガとは、結び付けるという意味があります。瞑想者と仏様が一体になることで、自分の中の仏に気付き、そして全ての人が仏を持つことにも気付いていきます。即身成仏は、自分だけがこの身このままで仏であると捉えることではなく、周りも全て仏と見られるかが判断基準です。周りが全て仏とは、色々な仏がいつも説法してくれているようなもので、この世界は気付きと学びの宝庫になります。

渡邊さんの原体験も「面白い面白くないではなく、面白くするかしないか」という世界観の転換だった。それまでモノクロに見えたお寺が、一気に色鮮やかなカラーに満ちる空間に見え始めた。阿字観を含めた真言宗の教えの素晴らしさを伝えたいという思いは、その原体験からも来ているのかもしれない。
阿字観は自分と周囲の仏性に気づいていく学びのプロセスであるが、阿字観は三礼(さんらい)という仏様に三度礼拝する祈りから始まる。阿字観を行なう人が集うということは、それは祈り、集い、学びという弘法寺の目指す姿の体現でもある。弘法寺に集う多様な一人ひとりそれぞれが仏であり、交流や阿字観を通じてそれぞれが自分とお互いの仏に気づいていく。弘法寺にお参りする一人ひとりが有意義に人生を歩むことを目指し、渡邊さんの挑戦はこれからも続いていく。

いずみの国のいつくしみ市
いずみの国のいつくしみ市

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お寺画像
大阪府和泉市
石尾山 弘法寺
石尾のお大師さんと呼ばれる古刹

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井出悦郎

井出悦郎

1979年生まれ、東京育ち。東京大学文学部卒。人間形成に資する思想・哲学に関心があり、大学では中国哲学を専攻。銀行、ITベンチャー、経営コンサルティングを経て、「これからの人づくりのヒント」と直感した仏教との出会いを機縁に、一般社団法人お寺の未来を創業。同社代表理事を務める

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