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平家ゆかりの阿弥陀さま、1300年の物語 ‐ 定義如来西方寺 住職 大江田紘義さん(仙台市青葉区)

2020.06.10

 ここ定義西方寺じようぎさいほうじにいらっしゃるご宝軸(掛け軸)の秘仏・阿弥陀あみだ如来によらいさまは、現在の中国、世界遺産にも登録されている五台山ごだいさんに起源を持ち、のちに日本に贈られました。
 その縁起を、この場をかりてご紹介いたしましょう。

大江田 紘義(おおえだ こうぎ)

仙台生まれ仙台育ち。大学を卒業後はホノルルにあるハワイ浄土宗別院に6年勤務。その後自坊に戻り副住職、2014年6月より住職を拝命し現在に至っております。趣味は犬の散歩(特に早朝の境内)とワークアウト。

定義如来西方寺寺院ページ

はじまりは1300年前の中国

 今から約1300年前、時は西暦769年。中国の五台山に法照禅師ほつしようぜんじという、大変素晴らしい徳の高いおしょうさまがおりました。禅師はある日、感ずるところがあって、文殊菩薩もんじゆぼさつとゆかりの深い五台山竹林寺ちくりんじというお寺で修行をしておりました。修行中のあるとき、禅師の目の前にその文殊菩薩さまが姿をあらわし、禅師にこう言いました。

「阿弥陀如来さまは西のかなたにいらっしゃって、救われたいと願って阿弥陀如来のお名前をお称えする人(つまりは「なむあみだぶつ」とお称えする人)は誰でも平等に、たとえ迷いや苦しみを心に抱える人でもどんな人でも、そのまま、そして今世も来世も永遠にお救いくださる仏さまである」

 そして禅師に向かってじきじきに「南無阿弥陀仏」とお授けになり、さらに、阿弥陀如来さまが描かれたご宝軸をお授けになりました。

 それ以来、禅師は人々にこの文殊菩薩さまから直接いただいた教えを熱心に伝え広めました。その後、禅師は育王山いくおうざん径山寺きんざんじというお寺にこのご宝軸の阿弥陀如来さまとともに入られましたが、径山寺でもこの阿弥陀如来さまはお寺の宝として、広く人々の信仰を集めました。

平清盛の息子・重盛に贈られた阿弥陀さま

 それから約300年の時が流れ、舞台は平安時代の日本に移ります。平家物語で知られる時代です。
 平清盛たいらのきよもりの長男で、平重盛しげもりという方がおりました。重盛公は仏教に対してとても信心深く、人格者で思いやりがあり、また学問や武道にも秀でていました。内大臣を務め、人々から小松殿こまつどのと呼ばれ尊敬を集めておりました。

 争いごとが絶えないこの時代、重盛公は乱れた世が平和になることを祈願して、先の育王山径山寺にたくさんの黄金を寄付します。径山寺のおしょうさまである仏照徳光禅師ぶつしようとつこうぜんじは、この重盛公の並々ならぬ思いに感銘を受け、お寺に伝わる阿弥陀如来さまのご宝軸を重盛公に送献されました。

 海を渡り日本に来られた阿弥陀如来さまのご宝軸を重盛公はたいへん喜び、日夜この阿弥陀さまに礼拝し、世の中の平和、天皇はじめ平家一族の安泰を祈りました。
 重盛公は西暦1178年の秋、42歳の時に重い病気にかかります。自身の死期が迫っていることを悟ると、親子2代で自分に仕えてくれていた平貞能さだよしを枕もとに呼びました。貞能公にこのご宝軸を授け、「この阿弥陀さまを永くのちの世まで伝えて、供養とともに世の人々が後生永遠に救われるように祈るように」と伝え、亡くなります。


 この遺命を受けた貞能公は、生きている時の重盛公と同じように日夜礼拝し、重盛公の願いを守りました。

 やがて平家の時代も終わりを迎え、都を追われた平家は日本を西へ西へと落ちていきます。貞能公は重盛公のお墓が敵に荒らされることを憂い、重盛公の遺骨を高野山に移し納めました。
 壇ノ浦の戦いに敗れ、1175年、平家の世は終わりを迎えます。

 本軍を離れていた貞能公でしたが、平家一族が絶えたことを悟ると、どんな時も決して離さなかった阿弥陀さまのご宝軸を携え、何人かの部下を従えて、常陸国ひたちのくに(今の茨城県)に隠れ住みました。そこで一意発心、出家して髪を剃り「肥後入道ひごにゆうどう」として過ごされていました。

 まもなく源氏による追討が厳しくなってくると、貞能公は部下たちと北へ北へと移動し、そして最後、山深い現在の仙台市青葉区大倉の地にたどり着きます。ここでさらに名前を貞能さだよしから定義さだよしと改め、隠れ住まわれました。
 現在、このお寺のある場所を定義じようぎ、阿弥陀さまを定義如来というのは、貞能公の名前とその音が変わったことに由来するとされています。


 貞能公はその後も、朝に夕にこの阿弥陀さまを礼拝し、安徳天皇や重盛公をはじめとする平家一族の冥福、そして世の平和を熱心に祈り続けました。1198年7月7日に60歳で亡くなる時には、「私が死んだあとは墓の上に小さなお堂を建てて如来さまをまつり、後の世まで伝えるように」と遺言を残します。
 部下達は遺言のとおり小堂を建て、この如来さまをお祀りしました。それが現在の旧本堂貞能堂の場所にあたります。以来、子孫達はこの如来さまを大切に守り、他集落との交流も断絶してきました。

貞能公のお墓の上に建てられた貞能堂。山門等と共に登録有形文化財指定

江戸時代、伊達家の知世に開山した西方寺

 さらに約400年ののち、伊達家の知世になると、世間との交流も盛んになり、世の中に「定義阿弥陀如来」の名前が広く伝わるようになりました。それにともない、「すごい如来さまがいらっしゃるらしい」という評判が広がり、各地から如来さまへのお参りが増えていきました。
 1706年1月7日、貞能公重臣の子孫で早坂源兵衛はやさかげんべえという人が、如来さまの力が日に日に大きくなっていくことを感じ、出家を決意します。そして初代住職の観蓮社良念かんれんじやりようねんとして、西方寺が開山しました。

 以来、霊験あらたかな如来さまとして広く知られるようになり、多くの人々が各方面より、お願い事を持って定義に来られるようになったと伝わっています。

 どうぞ、ぜひ一度この定義の地に足をお運びになり、定義の阿弥陀如来さまに掌を合わせ、ご縁を結んでいただければと存じます。皆さまの生活が、阿弥陀さまとのご縁によって安穏でありますよう。

合掌

自然あふれる定義如来西方寺の境内。五重塔は貞能公の供養塔として建立された
お寺画像
宮城県仙台市
定義如来西方寺
800年の霊場 平家ゆかりの定義阿弥陀如来

寺院ページを見る

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まいてら登録寺院のお坊さんを総称して「まいてら住職」と言います。まいてら新聞では、それぞれのお寺の魅力を発信したり、皆さんの疑問・お悩みにどんどんと応えていきます。

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