葬祭業を志す方々へ(足立信行・T-sousai代表)【死に方のココロ構え(17)】
2023.04.14
足立信行(あだちしんぎょう)
株式会社 T-sousai 代表取締役社長。1982年、京都府生まれ。在家の家に生まれる。18 歳の時に高野山で僧侶になることを決意。高野山金剛峰寺布教研修生修了。高野山で修行をする中で僧侶や寺院の役割を考え、一度下山。葬儀の重要性に気づき、2008年 大手互助会系の葬儀会社に入社。葬儀の担当者となり、年間約 120 件の葬儀を手掛ける。2012 年IT 企業に入社し、エンジニアとして活動。2017年、僧侶と葬儀会社の担当という経験から、お互いが遺族や故人のために協力し祈りの場所として本堂などで葬儀をあげ、安価で心あるお寺葬の構想を企画。葬儀の告知、WEB、導入などから実施、施行までをワンストップできる株式会社 T-sousai を創業し、現職。
※前回(大江健三郎小説の中の「死」)はこちら
新卒がすぐにやめてしまう葬祭業界
4月に入り、新社会人と思われるリクルートスーツに身を包んだ方をちらほら見かけるようになりました。春の季節は多くの方が社会人になる季節で、見ていて新鮮な気持ちになります。不肖私も15年程前に葬祭業界に新卒で入社した時の、フレッシュな気持ちを思い出します。
葬祭業界の人材はほぼ中途採用で成り立っています。回遊魚のようにある程度スキルやノウハウを身に着けて別の会社に行くという方が多く、やがては独立するというのが葬祭業界のモデルケースではないでしょうか。当然、ひとつの葬儀社にずっと在籍する方もおられますが、それよりも辞めて次の葬儀社に移る方の方が圧倒的に多いです。業界特有のもののように感じます。
また、新卒の大半がすぐ辞めてしまうのもこの業界ならではだと感じます。私自身、いまは葬祭業の専門学校で講師をしておりますが、入社して1年経たないうちに、半数以上がもう別の業界に転職したと聞きます。葬儀社の友人に聞いても新卒の定着率は他業種と比較して著しく低いとのことです。
中途採用者が転々とするのは「独立する」という目標がありますが、新卒がすぐ辞めてしまうのはなぜでしょうか。労働環境の問題や賃金の問題もありますが、私は、新卒の教育という問題が最も根深いと思っています。葬儀社は新卒の教育は非常に不得手です。マニュアルというものがある会社もありますが、ほぼ無視されて、属人的な教育がなされています。葬儀担当者はみな職人気質なところがありますので、未だに「技術は見て盗め」と言う人間が多いのが原因と考えます。
葬儀社に入り葬儀全般を任せられる「担当者」になるには、実務経験が3年必要というところが多く、中には5年間という葬儀社もあります。5年間、雑用や下働きをしなければ、葬儀を任せられないとうことです。世の中にはどうしようもない葬儀社や担当者も少なくありませんが、第一線に立つまでにはどの担当者も相当程度の実務経験をもっています。それはマニュアルでは及びもつかないほど大量の知識と経験値が必要で、それ故に「見て盗め」になってしまうのでしょう。
新卒の方はなかなかそこが分からず、途中であきらめてしまうのではないでしょうか。
僧侶が葬祭業を学ぶ時代
僧侶の中には納棺の勉強や葬祭業の勉強をしたいという者もいます。病院の搬送からご安置、枕机の説明やお葬式の打合せ。祭壇の設営やご自宅用祭壇の設置など。少し前までは、僧侶がそういったことを学ぶ機会はあまりありませんでしたが、今は違い、隔世の感を持ちます。
僧侶が葬祭業を学ぶことはとても重要であると考える反面、かなりシビアな業務でもあり、覚悟が必要です。
僧侶の中には檀信徒や地域のためと思い、覚悟をもって学んでいる方がほとんどでしょうが、中には映画や小説、ドラマなどの影響で、安易な気持ちで取り組む人がいることも事実です。葬儀を主題にした作品はたくさんありますが、どれも脚色されたもので、実際はもっとつらく、緊張感が漂うものです。リアルで生々しい現実に立ち向かう実力を持つ者のみが許される現場です。
私自身の経験も含めてですが、僧侶が葬祭業をやる場合は、2つの意味でハードルが高いと考えています。
①僧侶は、裏方に回ることに慣れていない
僧侶は葬儀においては導師として存在するため、故人や遺族のため陰で仕事をすることに不慣れです。葬儀担当という仕事は確かに目立つ場面もあるでしょうが、概ね裏方の仕事です。華々しさとか衆目を集めることとは本来は無縁です。僧侶が葬祭業に立つ場合、つい導師という立場が出てきてしまい、故人や遺族のためよりも、自分の存在意義や仏教の理屈が前面に出ることがしばしばです。
私自身も葬祭業に携わった初めの頃は、仏教や儀式を重んじるあまり、お客様との距離間が分からず、随分悩みました。
②僧侶は、相手に心理的な威圧感を持たせてしまう
僧侶は自分が思っている以上に威圧感があります。伝統宗教が醸し出すオーラと言ってもいいでしょうが、有髪でも剃髪でもやはり「気」が違います。遺族が打合せの時に、そのような気をまとって来られると少し困惑してしまいます。そして、言葉のはしばしに出る高尚さも無意識に相手にプレッシャーをかけます。
私も僧侶の癖が抜けきらず、先輩によく怒られました。「足立の言葉はいちいち“ありがたい”のでよくない」というご指摘は、今の私もかなり気を付けているところでもあります。
葬祭業を仕事として考える人へ
どの業界でもプロとして活躍するためにはそれなりに大変であることは当たり前です。僧侶の世界も同じですし、葬祭業の世界も同じです。しかし葬祭業が特別だと感じるのは「死」という現象を対象にしているため、緊迫したものが常について回ることが挙げられます。何気ない言葉ひとつで大きなクレームになることや、伝統に関わる細かな作法や専門知識が求められるのもこの業界特有のものでしょう。新卒の方が辞めてしまうのも無理からぬことと思います。
業務は相当きつく、新卒は10人いて1年以内にやめる人がほとんどだと思います。しかし、私の経験からも、必死にくらいついていけばなんとかなります。努力して打たれ強く生きていれば、なんとか担当者になれます。仕事への思いも大切ですが、心の強靭さがなにより求められる業界ではないでしょうか。
葬祭業は不幸事ですので、あまりこう言ったことを公言するのはよくないのでしょうが、葬祭業は素晴らしい職業だと思います。私は葬祭業は大好きです。葬祭業は非常にやりがいのある職業です。
葬祭業を仕事とする方にはぜひ頑張っていただきたいと、本当に思います。
最後に何かアドバイス的なことを申し上げるのであれば、担当者は「疑似家族たれ」ということです。これは弊社の社員にもよく言っているのですが、会社の都合ばかりを優先していると担当業務は面白くありません。売上や利益や誘致率などを考えながら仕事をしていても途中でつらくなってきます。半面、お客様のためを100%考えることも長続きしないでしょう。お客様への思いが強すぎるので押し付けがましくなってしまいます。
ちょうどよいのが「疑似家族」です。私たち担当者はご遺族の家族には当然なれません。しかし、適切なアドバイスと、寄り添うことをモットーとしたプロとして立ち会うことはできます。家族でもなく業者でもない、「疑似家族」が最もよい立ち位置なのではと考えます。
「葬儀に詳しい親戚」とか「仲の良い葬儀社の友人」という立場でもいい。何かご遺族のためという思いと、専門家としての冷静な視点をもつことが求められるのではないでしょうか。
春に新しく葬祭業で仕事をされる皆様。頑張ってください。応援しております。