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お香典に新札はダメな理由は?葬儀のマナーを考える(足立信行・T-sousai代表)【死に方のココロ構え(11)】

2022.10.25

足立信行(あだちしんぎょう)

株式会社 T-sousai 代表取締役社長。1982年、京都府生まれ。在家の家に生まれる。18 歳の時に高野山で僧侶になることを決意。高野山金剛峰寺布教研修生修了。高野山で修行をする中で僧侶や寺院の役割を考え、一度下山。葬儀の重要性に気づき、2008年 大手互助会系の葬儀会社に入社。葬儀の担当者となり、年間約 120 件の葬儀を手掛ける。2012 年IT 企業に入社し、エンジニアとして活動。2017年、僧侶と葬儀会社の担当という経験から、お互いが遺族や故人のために協力し祈りの場所として本堂などで葬儀をあげ、安価で心あるお寺葬の構想を企画。葬儀の告知、WEB、導入などから実施、施行までをワンストップできる株式会社 T-sousai を創業し、現職。

T-sousaiホームページ

※前回(霊感商法を行う葬儀社には注意!)はこちら

葬儀の風習やマナーを伝えることは重要ですが・・・

 葬儀業界で最も検索ワードが多いのが「葬儀のマナー」です。葬儀の費用や葬儀社なども検索されてはいますが、昔から多いのが「葬儀のマナー」。それゆえ、マナーをブログに書いて検索を伸ばそうとする葬儀社は多くあります。

 葬儀は昔からある儀礼のため、とかくマナーや風習が多種多様で独特です。私の父方の実家は佐渡島ですが、「ちから飯」と言って葬儀の最中におむすびを食べる葬送の風習があります。当時、私は東京の葬儀社で担当者として現場に従事しておりましたが、このおむすびには驚きました。僧侶の読経の最中に突如、お皿いっぱいのおむすびが横から差し出されたのです。ご丁寧にお漬物まで添えられて。

 地域に根差した風習があり、地方独自のマナーがあることは素晴らしいことです。これらは亡くなった人のためのマナーや弔いの風習であったり、時に遺族のための儀礼であったりします。単純に「迷信」や「因習」と片付けてはいけませんし、心理的なグリーフの観点からも重要な意味合いを持つものも多いです。先述の「ちから飯」は故人がこれから旅立つ時の力をつけて欲しいという想いが具現化されたという説や、遺族が悲しみでご飯も喉に通らないのを儀礼にすると食べやすくなるという説など、諸説あります。
 ひと昔前までは、地域で名の知れた方が風習やマナーを遺族に伝えていたりしましたが、地縁が薄くなった今では、その役割を葬儀社が担っているところが多くなってきました。最近では、終活カウンセラーのような新しい形でマナーを伝える方が多くなってきています。いずれにしろ、伝統を重んじる姿勢は大切にしていきたいですね。

おむすび
伝えられる風習やマナーには現代に通じる意味があります。

香典に新札はダメなのか?葬儀のマナーを考える

 しかし、他方でどう考えてもこのマナーは必要なのかと、首をかしげることもあります。
 代表的なものが「香典は新札ではいけない」というもの。昔は新札が手に入ることは難しく、家に何枚か予め用意していました。それを人の死の香典の際に持っていくと、まるで死を待っていたかのように思われるので新札ではいけない、というものです。
 果たしてどうでしょうか。新札など令和の今は普通に流通していますし、おつりでもらったお札が新札というのも珍しいことではありません。それを新札の時は一度折り曲げる、などというのも何かよく分からないマナーです。一体、誰の何のためのマナーなのか。

 またよく聞かれるのが焼香の回数です。こちらもご多分にもれず「〇〇宗は2回」「〇〇宗は1回」「左手はこうやる」「右手はこうやる」など事細かに書いているものもありますが、これも果たしてどうなのでしょうか。
 正直、私は、高野山に7年間いて、自分が修法しゆほうする際の焼香は教わりましたが、葬儀で参列する方の焼香の作法など習ったこともなければ、聞いたこともありません。私だけが特別なのかと思い不安になって、他宗派の友人の僧侶にも聞いてみましたが、みな一様に、聞いたことがない、教わったことがないと口をそろえます。
 だいたい葬儀の際は読経している最中に焼香を終わらせなくてはならないので、参列者が多い時などは「気持ちを込めて焼香は1回でお願いします」と葬儀社がアナウンスします。あれはなんなのでしょうか。葬儀社が焼香の回数を決めてよいものなのでしょうか。せめて嘘でもいいから「導師様が気持ちを込めて焼香は1回でお願いしたいと言われましたので、是非、ご協力をお願いします」のような立て付けにしないと、葬儀社の判断で焼香の回数が決まってしまい、弔いの作法にバラつきが出るのではないかと思ってしまいます。

 法事が三月(みつき)にわたるのも「身に着く」からよくないとか、喪に服するときは神社にお参りするのはよくないとか、逆縁(両親より先にお子様が亡くなる)は火葬場に行くのはよくない、とか。
 それぞれ由来はあるのでしょうが、故人のためにならない、遺族のためにならない、参列者のためにもならないマナーとは一体なんなのか、非常に強い猜疑心をもって見つめています。

焼香
現代にそぐわないマナーははたして必要なのでしょうか。

知っているけどあえてやらない、という選択肢

 例えば、昔はこうだったが今はやらないとか、昔はこのように言われていたが今はしないと説明するなど、マナーと現状を埋め合わせることも大切ではないでしょうか。「昔は新札では香典を渡さないというのもありましたが、いまはやりません」など今と昔の習慣の違いを、葬儀社が説明してもよいのではと感じます。

 また、マナーの別の意味などを伝えてもよいのではないかと思います。例えば、火葬場に妊婦の方が行かないようにするのは、「悲しみは母体に影響があるため火葬場に行かない方がよい」とか、三月みつきに亘る法事も「法事は気持ちの整理のためにあるとも言われてますので、早めにされることもご一考いただいても良いかもしれません」など。
 当然その説明を聞いて、「いや、私は火葬場に行きたい」とか「私は、法事を三月(みつき)にまたがってやりたい」と思うのは個人の判断です。要はマナーだから守らなければならない、風習だからやらなければならいというのはおかしいということです。

 個人的にマナーとは、相手に不快感を与えない、自分を大切にする、この2つが基盤にあると思っています。執拗しつよう陋習ろうしゆうにこだわることは良いことなのか疑問ですし、ましてや出典や典拠の定かでないマナーも非常に多いのが実情です。
 このような場合に大切なのは「知っているけどあえてやらない」という心構えではないでしょうか。知っているけどあえてやらないというのと、知らないというのには雲泥うんでいの差があります。知っているけどやらないというのは、マナーに対し盲信していないということ。つまりは、一家言もつ見識があるということでしょう。
 子や孫のために、陋習ではなく、良き伝統や儀礼を守る姿勢を大切にしていきましょう。

マナー
盲信するのではなくなぜそのマナーをする意味があるのか考えてみませんか

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