葬儀屋の霊感商法には注意!(足立信行・T-sousai代表)【死に方のココロ構え⑩】
2022.09.06
葬儀屋の霊感商法には注意しましょう。
具体的にはお葬式準備で祭壇などを販売する際、亡くなった故人を引き合いにし「この祭壇だとお父様は悲しむと思いますよ」「こちらの(高額な)方が喜ばれると思いますよ」といったセールストークをすることです。
葬儀屋の霊感商法の実態と対策、この件に関して現役の僧侶の考えをお話しします。
足立信行(あだちしんぎょう)
株式会社 T-sousai 代表取締役社長。1982年、京都府生まれ。在家の家に生まれる。18 歳の時に高野山で僧侶になることを決意。2005年高野山大学人文学部密教学科卒業。2006年高野山専修学院卒業。2007年高野山金剛峰寺布教研修生修了。高野山で修行をする中で僧侶や寺院の役割を考え、一度下山。葬儀の重要性に気づき、2008年 大手互助会系の葬儀会社に入社。葬儀の担当者となり、年間約 120 件の葬儀を手掛ける。2012 年IT 企業に入社。エンジニアとして活動。2017年、僧侶と葬儀会社の担当という経験から、お互いが遺族や故人のために協力し祈りの場所として本堂などで葬儀をあげ、安価で心あるお寺葬の構想を企画。葬儀の告知、WEB、導入などから実施、施行までをワンストップできる株式会社 T-sousai を創業し、現職。
※前回(よい「葬儀社」を選ぶポイントは?NGなこと&大切なこと)はこちら
葬儀社が行っている霊感商法
職業柄、葬儀や供養などの目に見えないものに携わっていますので、霊感や霊感商法に敏感になります。私は出家してかれこれ22年。高野山で7年間修行しましたが、霊が見えたり感じたりすることはありません。何度かいわゆる心霊体験に遭遇しましたが、それは私自身の信仰の部分ですので、取り立てて誰かに話したり、伝えたりすることはしていません。信仰は各人の自由ですし、社員にもそれを強要することもありません。
葬儀はいまでこそ「フューネラルビジネス(お葬式産業)」「エンディング産業」と呼称されますが、少し前までは「供養産業」「供養業界」と呼ばれていました。お葬式を含め、読経、墓石、返礼品やお料理など全般を指す言葉です。「供養産業」という言葉の示す通り、誰かを供養する、誰かを弔うことが主たる目的で、自ずと目に見えないものを取り扱うことになります。儀式そのものが目に見えないものに対する畏敬の心が必要ですので、そうならざるを得ないのですが、時折行き過ぎた、目に余る商法も出てきます。
私自身がある葬儀社に勤めている際に実際にあった話ですが、祭壇などを販売する際、亡くなった故人を引き合いにしたセールストークに出くわすことがありました。いわく「こんな小さな祭壇では亡くなったお父様が悲しみますよ」とか「この無料の棺だと恥ずかしくて、お母様はこちらの高額な棺の方が喜ぶのではないですか」など。供養という名のもとに高額商品を売り込む悪質かつ卑劣な商法と言えます。
消費者契約法第4条第3項第6号に、霊感商法は「霊感その他の合理的に実証することが困難な特別な能力による知見として、そのままでは当該消費者に重大な不利益を与える事態が生ずる旨を示して不安をあおり、消費者契約を締結することにより確実に重大な不利益を回避できる旨を告げること」と定義されています。
葬儀の場面で多くの遺族は悲しみと混乱の真っただ中にあり、正常な判断が困難になっていることが少なくありません。そのような状態にもかかわらず、故人という重要な存在を利用して不安をあおり、契約を迫ることは許されません。
霊感商法的なセールストークは他の葬儀社でもあるようで、弊社社員に尋ねたところ、業績を第一に考える葬儀担当者がしばしば使うようです(当然、業績を第一に考える担当者でも使わない人もいます)。端的に言えば、故人の意向を忖度して不安や恐怖をあおる霊感商法的な手法で売上を伸ばしていると言えます。営利企業ですのである程度業績を優先する姿勢は必要ですが、人の弱みに付け込んで不当に売上を伸ばすことは、会社が社会の公器である以上、認めるわけにはいきません。
無論、すべての葬儀社や葬儀担当者がそういったことを行っているとは言いませんが、いまだに霊感商法的なアプローチを行っている葬儀社がいることも現実だと考えられます。
葬儀社の見積もりを僧侶が見ることはできないのか
私自身はどんな組織であれ第3者のチェック機能がないと腐敗するという認識に立っています。それは企業であれサークルであれ宗教団体であれ同じです。完璧で不変的で永続的な組織はなく、外部から見られることにより組織の健全性が担保されると思っています。
クローズドな業界では健全な売上が育成されないことが起こります。葬儀社も同じで誰かがチェックをしたり、確認したりした方が健全になるのではないかと考えています。
そのひとつの解決策として、もし菩提寺などがあれば、お寺に葬儀の見積書を見てもらうことを提案しております。または、もっと直接的に葬儀社との打ち合わせの際に、僧侶が同席することも推奨しています。
遺族にしてみると葬儀の適正な価格、適切な商品など皆目分からない。そんな不安の中で横に菩提寺の僧侶がいることはどれほど心強いでしょうか。お寺でなければ、どなたか知り合いの方でもいい。とにかく、遺族とは違った第三者に見てもらうことが重要です。
死に関連する場面はどうしても秘匿にする風潮が根強いですが、可能な限りオープンにしていくことが葬儀社に求められる姿勢であり、その課題解決のために菩提寺や僧侶も時間を費やす必要があると考えます。
仏教の教理に基づいたチェック機能を菩提寺が果たすことが重要です。それが、故人を護り、遺族に安心を届け、葬儀社の霊感商法に歯止めをかけ、強いては、本来の仏教を次世代に伝える有効な手段だと考えます。
最終的には自分がどうしたいか
葬儀は最終的には自分がどうしたいかという点に集約されます。故人が遺言で「葬儀は小さくしてほしい」とか「葬儀はしなくてもいい」と書いていたとしても、喪主や親族、親戚が最終的には決めます。そういった意味で、故人の想いを十分大切にしなければならないものの、最終的には喪主や家族が決めなければなりません。
いくらプロである葬儀担当者から「お父様、悲しみますよ」や「お母様、喜びませんよ」と言われても、自らの想いを尊重させることが重要です。他人がどう言おうが自分はこうして見送りたい、親戚から何を言われようが自分はこうやって見送りたい。故人の意向や尊厳を最大限守る節度を大切にしながらも、自分自身の意思がないと葬儀社につけこまれる隙を与えてしまいます。
自分で葬儀を調べる。自分で葬儀を考える。事前に両親と話す。そうすることで、葬儀はよりオープンなものとなり、その結果、よい葬儀を営むことができるでしょう。
葬儀社を運営する中で、いろいろな方をお見送りしてきました。安価でもしっかりと後悔のない葬儀をあげることはできます。ある葬儀では、自宅に祭壇を設え、参列者もご家族だけのため、非常に安価におさめることができました。「安くてもしっかり見送れるんですね」と喜ばれた喪主様からの言葉は生涯忘れません。
葬儀社の式場を使ったり、豪奢な祭壇で飾ったり、多くの人数のおもてなしをしたい、というのであれば当然金額は高くなります。しかし、自宅で葬儀をあげたり、地域の集会所で葬儀をあげたり、お寺で葬儀をあげたりして、安くてもしっかりした弔いをすることは可能です。方策はいくらでもあるのです。
葬儀社の霊感商法に負けない、自分の意思を強くもつこと。そして、その意思を実現するために良識をもって伴走する、葬儀社や僧侶がいることを忘れないでいただきたいと思います。