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大切なことは歩み寄り。「僧侶は横柄 5割」に思うこと(足立信行・T-sousai代表)【死に方のココロ構え⑦】

2022.06.29

足立信行(あだちしんぎょう)

株式会社 T-sousai 代表取締役社長。1982年、京都府生まれ。在家の家に生まれる。18 歳の時に高野山で僧侶になることを決意。2005年高野山大学人文学部密教学科卒業。2006年高野山専修学院卒業。2007年高野山金剛峰寺布教研修生修了。高野山で修行をする中で僧侶や寺院の役割を考え、一度下山。葬儀の重要性に気づき、2008年 大手互助会系の葬儀会社に入社。葬儀の担当者となり、年間約 120 件の葬儀を手掛ける。2012 年IT 企業に入社。エンジニアとして活動。2017年、僧侶と葬儀会社の担当という経験から、お互いが遺族や故人のために協力し祈りの場所として本堂などで葬儀をあげ、安価で心あるお寺葬の構想を企画。葬儀の告知、WEB、導入などから実施、施行までをワンストップできる株式会社 T-sousai を創業し、現職。

T-sousaiホームページ

※前回(「DMMのお葬式」全サービス終了。儲からないから葬儀社をやめる?)はこちら

「僧侶は横柄な態度」が5割

葬儀に関わる僧侶の実態調査

 先ごろ、全日本仏教会(全日仏)と全日本葬祭業協同組合連合会(全葬連)の「葬儀に関わる僧侶の実態調査」が公表されました。全葬連に加盟する葬儀社1,269社を対象に、2021年9月~10月に実施されました。回収率は236件、18.6%とやや低めですが、全日仏と全葬連が共同で調査に乗り出すことは初めての試みであり、業界の内外に関わる方々の注目を集めました。

 設問は全部で10問。「回答葬儀社の所在地」に始まり、「僧侶が携わらなかった葬儀の割合」や「遺族側のお布施の納得感」など全日仏単独で調査を実施することがはばかれる問いが出されました。中でも問3の「僧侶が失礼な態度である、遺族に寄り添いがないと感じた状況」という調査が多くの業界紙で取り上げられることとなり、話題となりました。

 調査によれば、「僧侶が失礼な態度である、遺族に寄り添いがないと感じた状況」があるかどうか、という設問に対し、「大いにある」が25件で10.6%、「少しある」が93件で39.4%と、僧侶が失礼な態度であることが5割を超えるものとなりました。「失礼な態度だと感じた状況・具体的内容」の最も上位が「遺族に対し横柄な態度、言葉遣いである」が55.1%あり、僧侶の遺族に対する対応が悪いという結果が出ました。
 おそらくこのアンケートに出てくる「僧侶」は葬儀社が遺族に紹介をするいわゆる「手配僧侶・派遣僧侶」ではなく菩提寺の僧侶だと思います。「手配僧侶・派遣僧侶」がこのようなご遺族に横柄な態度をとればクレームになるためです。

「式に遅れてきたにもかかわらず『遅れて申し訳ありません』の一言もなく遺族も嫌な思いをした。」
「ご遺族、スタッフに対し、こちら側がわからないようなことがあると小馬鹿にしたような物言いがある。」

 等、かなり具体的なことまで言及されており、葬儀社側からの踏み込んだ回答に驚いた僧侶も少なくないのではないかと思います。

僧侶の都合は無視してよいのか

 私自身、日々葬儀社として施行を実施し、経営を営む人間ではありますが、僧侶でもあるため、両方の視点から考えさせられることが多いアンケートでした。先述の「失礼な態度だと感じた状況・具体的内容(自由回答)」を読みますといくつかの回答は首肯できるものの、反対に疑問に思ったこともいくつかありました。
 例えば、「日程について、火葬場が空いているにも関わらずご遺族の都合よりも自分の都合を優先する。」との回答があるのですが、さも、僧侶が自分の都合を優先するのが悪いことのように書かれています。私はこの回答に疑問をもちます。今の日本は、ひとりで住職をしているお寺が多く、その中で、先約の法事や、年中行事や宗団の集まりがあり、多忙な毎日を繰り返している。そこで突発的な葬儀が入った時に、お寺側の都合を優先することのなにが悪いのでしょうか。「手配僧侶・派遣僧侶」であれば葬儀社は必ず日程を聞いてきたり、都合をきいてきたり、難しければ他のお寺に依頼します。主に菩提寺に向けられたと考えられる、このような悪しざまな言葉にいささか差別的なものを感じるのは私だけでしょうか。

 また、葬儀社側も遺族の日程を最優先しすぎるあまり、菩提寺の都合を全く聞かず、火葬場や式場を勝手に決める担当者もいます。葬儀社に入社した際に直属の先輩から「菩提寺がある場合は必ず菩提寺の日程が最優先」と教わりましたので、当社ではそのことを当たり前として葬儀を施行しております。遺族の日程や、火葬場・式場の日程も大切ですが、菩提寺の都合も大切です。全ての都合の良い日が葬儀の日程であり、遺族や葬儀社だけで仏式葬儀が行われるのではないことを改めて考えるべきではないでしょうか。

 時間に遅れたり、遺族に寄りそうことをしない僧侶は論外ですが、過剰な利益を求めて遺族から訴えられる葬儀社や景品表示法違反まがいの葬儀社など、葬儀社側も悪質で、目をひそめるような会社も多いのは現実としてあります。菩提寺がいるにもかかわらず、安易に直葬をすすめたり、葬儀後のことをおもんばかることができない担当者います。
 横柄な僧侶がいることは確かですので、決して僧侶を擁護したり、弁護したりするつもりはありませんが、横柄な態度の葬儀社がいることも事実です。

お寺葬
葬儀社は儀式と司ると同時にディレクション能力も要求される

誰のための葬儀なのか 何のための葬儀なのか

 僧侶に対してこうあってほしい、こうあらねばならぬ、という理想像を掲げることは自由です。しかし、平安時代や鎌倉時代ならいざしらず、令和の時代の多くの僧侶は家族を持ち、副業をしながらでも寺院を支え、誰にも言えない辛苦と闘っているひとりの人間です。徳が高く、柔和であることを求めるのは自由ですが、僧侶の身になって考える視点も大切だと考えます。
 僧侶と葬儀社がお互いにひとりの人間として認め合い、お互いが専門家であることに敬意を表しながら付き合っていくことが求められています。その上で故人様のための葬儀はなにか、ご遺族のために最適な葬儀はなにか。誰のための葬儀なのか。何のための葬儀なのかを、僧侶と葬儀社が手をたずさえて、今一度考え直す時期がきていると思います。

 アンケートの後半では、問8で「今後の葬儀に際しての僧侶の必要性」を聞いています。それによると、「絶対に必要である」28件11.9%、「必要である」152件64.4%と、実に8割近い葬儀社が「葬儀に僧侶は必要である」と回答しています。葬儀社も僧侶の役割を積極的に認めています※。
 僧侶と葬儀社の双方が全て正しいとは限らず、大切なのは歩み寄りです。お互いを尊重し合う関係性を育むことが求められています。

僧侶と葬儀社が、お互いを尊重し合う関係性が必要では?
僧侶と葬儀社が、お互いを尊重し合う関係性が必要では?

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コメント一覧

  1. 時代が変わっても、僧侶は聖職という考えが未だ存在しているから、彼らの所作に必要以上期待をするから頭がくるのではなかろうか。僧侶も所詮人の子と思えば、何も疑問が生じない。

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  1. 時代が変わっても、僧侶は聖職という考えが未だ存在しているから、彼らの所作に必要以上期待をするから頭がくるのではなかろうか。僧侶も所詮人の子と思えば、何も疑問が生じない。

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