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「DMMのお葬式」全サービス終了。儲からないから葬儀社をやめる?(足立信行・T-sousai代表)【死に方のココロ構え⑥】

2022.05.10

足立信行(あだちしんぎょう)

株式会社 T-sousai 代表取締役社長。1982年、京都府生まれ。在家の家に生まれる。18 歳の時に高野山で僧侶になることを決意。2005年高野山大学人文学部密教学科卒業。2006年高野山専修学院卒業。2007年高野山金剛峰寺布教研修生修了。高野山で修行をする中で僧侶や寺院の役割を考え、一度下山。葬儀の重要性に気づき、2008年 大手互助会系の葬儀会社に入社。葬儀の担当者となり、年間約 120 件の葬儀を手掛ける。2012 年IT 企業に入社。エンジニアとして活動。2017年、僧侶と葬儀会社の担当という経験から、お互いが遺族や故人のために協力し祈りの場所として本堂などで葬儀をあげ、安価で心あるお寺葬の構想を企画。葬儀の告知、WEB、導入などから実施、施行までをワンストップできる株式会社 T-sousai を創業し、現職。

T-sousaiホームページ

※前回(「お経がなくても成仏できますか?」 忘れられない東日本大震災の出来事)はこちら

「DMMのお葬式」全サービス終了

 2019年2月に六本木の本社ビルで僧侶に対して説明会をしてから早や3年。「DMMのお葬式」が全サービスの終了を通知しました。2022年5月末日がサービスの完全終了予定で、同社は葬祭事業から全撤退をします。いわゆる「僧侶派遣」である「DMMのお坊さん」もそのサービスのひとつで、私の友人も登録しており、急な展開に戸惑いを隠せないでいます。

終活ねっと
終活ねっとの以前のトップページ

 同社がサービス終了を通知した文書には以下の文章があります。

「市場競争の熾烈化など事業環境が厳しさを増す中で、このたび誠に遺憾ながらライフデザイン事業から撤退することを決定しました。」

 撤退の背景やそもそもなぜ本事業を立ち上げたのかは本稿の目的ではありません。しかし、この通達を素直に読めば、「終活ねっと」を子会社化し収益化を図ろうという目算が外れたのが主な原因ということになるでしょう。2021年10月からサービスを開始してから今回の撤退。わずか1年足らずでの終焉となりました。

 事業なので継続するも撤退するも自由ですし、外野の私が今回のことを論評するつもりは毛頭ありません。今回の事案を見て感じたことは、自分自身、襟をただし改めてお客様に向き合うことが大切だ、ということくらいです。いかに資本力があり知名度があったとしても市場はシビアであり、企業の真摯さが問われていることを思い知らされました。

葬儀社として常に自問自答していること

 私自身はいまも葬儀社を営んでいる現在進行形の経営者です。同社の撤退を見て驚くと同時に、明日は我が身と考えおののき、業務に打ち込むことが重要と振り返りました。
 葬儀を事業として考え、社員のこと、社員の家族のこと、お客様の事、お寺様の事、お取引先様のことなど考えながら、経営をしております。当然、売上や利益のことを考えながら経営をしなければなりません。
 しかし、葬儀は収益事業、サービス業でありながら、公益性が高く求められる事業でもあります。死者を弔うことそのものが営利とかけ離れたところにある以上、葬儀社もどこかで売上、利益とは違った視点を求められます。遺族や故人に対して思い入れが強くなることがある。これも葬儀社特有の感情でしょう。

 葬儀社として常に自問自答していることが1つあります。それは「遺族の方の最期まで付き合うことができるかどうか」ということです。
 多くの葬儀社は会員制を重視して運営しています。事前に葬儀社の会員になり、事が起きた際にはその葬儀社に連絡する。互助会がそのはしりだと言われますが、生前からの顧客の囲い込みが葬儀社の主な営業スタイルです。当然、弊社にも会員制度があり、会員の方々に対して葬儀を施行しています。自問自答はこの時に毎回行います。

「この方の最期まで付き合うことができるかどうか。」

 会員制度は当然、会社が存続することが前提です。亡くなられた方やご家族のご負担を少しでも減らすことができる制度です。しかしその制度が効力を発揮するのは、近い未来のこともあれば、遠い先のこともあります。亡くなるというタイミングは予想がつかない場合が多いからです。
 明日かもしれないし、20年先かもしれない。その時に、会社がどうなっているかを考えます。会社がどうなっているか、事業がどうなっているか、私自身がどうなっているかを、自問自答します。

 会社を創業して会員制度を創るにあたり、最悪、自分の会社がなくなっても葬儀の施行をしようと考えていました。「私ひとりでもご家族のためにやり続けよう」。しかし、私も死ぬかもしれません。病気や事故で施行ができなくなるかもしれません。だから私は従業員を早めに雇用しました。売上や社内環境がままならないけれども、自問自答した結果として、社員を雇いました。自分が楽をするためでも、会社や売り上げのためでもなく、ご遺族、お客様の安心のために雇いました。社員を雇用し会社の永続性を担保することがサービスの供給につながり、会員制度を運営する葬儀社の責務と考えたからです。

社員
葬儀社として常に自問しながら経営をする

静かに、健やかに、遠くまで

 イタリアの経済学者のパレートが好んだ言葉にこんな言葉があります。

「静かに行く者はすこやかに行く。 健やかに行く者は遠くまで行く。」

 作家の城山三郎氏が好んだ言葉としても有名です。事業を営む上で忘れてはならない言葉として肝に銘じています。
「静かに行く」と派手さはない。有名ではない。しかし、そういった人間は無理をせず身の丈で生きるので「健やかに行く」ことができる。「健やかに行く」人間は健全で歩むことができるため、結果、派手であったり無理な成長を強いる人間より「遠くまで行く」ことができる、という意味です。

 事業は派手でなくても、無理して成長せずとも、静かに経営し、健やかに年を重ねる。その結果、未来まで会社を存続させることができると考えます。「儲からないから葬儀社やめます」というのは私の考えと大きく異なります。静かにやり続ければきちんと利益は出るし、健やかに生き続けることができます。なにより、会社を信頼し、自分を信頼してくれたお客様に対しての冒涜ぼうとくであると私は考えます。
 努力はしければなりませんが、無茶な成長や無理な成功に目を奪われるのではなく、「静かに、健やかに、遠くまで」行くことが、葬儀社には必要なのだと今回の一件を通じて感じました。

仏像
派手さや有名を取るのではなく「静かさ、健やかさ、遠く」を生きる

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