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「お経がなくても成仏できますか?」 忘れられない東日本大震災の出来事(足立信行・T-sousai代表)【死に方のココロ構え⑤】

2022.04.22

足立信行(あだちしんぎょう)

株式会社 T-sousai 代表取締役社長。1982年、京都府生まれ。在家の家に生まれる。18 歳の時に高野山で僧侶になることを決意。2005年高野山大学人文学部密教学科卒業。2006年高野山専修学院卒業。2007年高野山金剛峰寺布教研修生修了。高野山で修行をする中で僧侶や寺院の役割を考え、一度下山。葬儀の重要性に気づき、2008年 大手互助会系の葬儀会社に入社。葬儀の担当者となり、年間約 120 件の葬儀を手掛ける。2012 年IT 企業に入社。エンジニアとして活動。2017年、僧侶と葬儀会社の担当という経験から、お互いが遺族や故人のために協力し祈りの場所として本堂などで葬儀をあげ、安価で心あるお寺葬の構想を企画。葬儀の告知、WEB、導入などから実施、施行までをワンストップできる株式会社 T-sousai を創業し、現職。

T-sousaiホームページ

※前回(理想のお葬式とは?私はこうして見送られたい)はこちら

震災での納棺ボランティア

 11年前の3月11日。東日本大震災が起こりました。
 当時私は東京で大手葬儀社のサラリーマンでした。たまたまその日は休日で外出し、駅に着いた瞬間に揺れたためか、すさまじく強い揺れはあまり感じませんでした。しかし、帰宅してテレビをつけるとニュースで震災の情報が流れ続け、言葉を失いました。職場と家が近かったので、帰宅難民になる会社の後輩を家に泊めたことを覚えております。

 震災から10日くらい経ったある日、上司から相談を受け、一緒に被災地に納棺のボランティアに行かないかと言われました。「行きます」と即答し、3月20日に被災地に向かいました。
 具体的な地名を出すことははばかられますが、東京から東北に向かう常磐道はガタガタでところどころにひび割れた道路が目立ちました。東京からの下り車線は自衛隊の車両ばかりで、上り車線は一般車両が列をなしていました。上司と何度も顔を見合わせながら、緊張して現地におもむきました。

 被災地では現地の葬儀社で納棺のボランティアをしました。自衛隊や消防の方々が瓦礫がれきの撤去作業を行います。撤去をしていく中で、亡くなられた方が見つかります。故人の身元確認が避難所で行われた後、葬儀社が搬送して納棺し、火葬されます。
 津波で亡くなった方、瓦礫に挟まって亡くなった方、逃げ遅れた方。様々な状態で亡くなられた方々の顔のケアや死化粧しにげしようを施すのが納棺ボランティアでした。当然、私に死化粧などの専門的な技術はありませんでしたので、専門の先生がなされましたが、1日に10名ほどの方を納棺しました。
 大きな余震が続く中、葬儀社の建物も揺れながらの納棺でした。物資もなく、ドライアイスもない状態です。小さなドライアイスを少しずつ当てていく、そんな日々が続きました。

被災地

遺族からの忘れられない一言。「お経がなくても成仏できますか」

 物資もドライアイスもない状態。当然、葬儀を上げることなど難しい。なによりも私たちが携わった被災地には、僧侶がいませんでした。
 多くの僧侶も自身のお寺が被災し、家族が行方不明という状況。なにもないという極限の状況下でできることは火葬を優先させることだけだったのかもしれません。

 被災地でのボランティアが何日か経過したある日、遺族の方から今も忘れられない言葉をいただきました。

「お経がなくても成仏できますか」

 11年経った現在であれば、物資もあり復興も進み、僧侶を呼べる状況にあります。「お経がなくても成仏できますか」という質問に「可能であればお坊さんを呼ばれて供養された方がいいですよ」と答えることが自然でしょう。
 しかし、あの時は僧侶がいませんでした。供養をしてほしい、弔いをしてあげたい、けれどもできない状況でした。切迫した状態の中で「いまは供養できないかもしれませんが、いつかお坊さんを呼ばれて供養された方がいいですよ」など、だれが言えるのでしょうか。

「いま供養してほしい」
「いまお経をあげてほしい」

 極限状態の中で、ご遺族のお気持ちは筆舌に尽くしがたいものがあります。そんな状況において、都合のよい言葉は空しいだけです。
 その時、私がどのように答えたかは忘れてしまいました。あの時の回答を今の自分が持ち合わせているか疑問です。自分に何ができるかを考えながら、今も生きています。

僧侶

新型コロナ禍で改めて考える僧侶の役割

 私自身も18歳で出家し、住職ではないものの僧侶として生きてきて、現在は葬儀社を経営しながら死に直面する場面が多くあります。自死の方、死産の方、孤独死の方。亡くなられ方は様々です。それぞれの方に手向たむけるべき弔いとは何かを考えながら日々を生きています。
 そして、改めて僧侶の役割を深く見つめなおしています。特に、新型コロナ禍の中で弔うこととは、お経を唱える僧侶の役割とは。

「お坊さんは葬儀しかやっていない」「法事や葬儀だけやっている」などの言説がよく見られます。
 確かに葬儀だけしかせず、布教活動をおろそかにしている僧侶を見ると首をかしげたくなることもあります。しかし、葬儀や法事が無意味であるとは全く思いません。むしろ、長い年月の中で日本人が大切に守ってきた葬送の伝統だと思っています。次世代に残すべき大切な遺産です。大切な家族が亡くなって悲嘆に暮れ、胸がはちきれそうになる。そんな時にお坊さんのお経があることで遺族が癒される。それほど大きな役割を僧侶は担っています。

 時折、「お経で癒される人は珍しい。社会にはそういった人は少ない」と言われる方がいますが、私は東日本震災で日本人の葬送に対しての本能を垣間見たように思います。即ち、「お経がなくても成仏できますか」という質問がそれです。お経があり、弔いをしてこそ、初めて死者を見送ることを人は納得できるのです。
 確かに、お経で癒される人が少なくなってきていることは事実なのかもしれません。だからこそ、死とは何かを改めて考え、僧侶の役割をもっと宣伝しなければならないと感じています。二度と震災の時のように悲しむ人を作らないために、いまできることは何か。真剣に考え行動しなくてはならないのです。

お寺葬

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