亡き人を思うことを通じ、自身の救いを求める心がお盆の根底にある(西法寺住職・西村達也)
2021.07.29
西村達也(にしむらたつや)
西法寺住職。1962年北九州市生まれ。龍谷大学文学部仏教学科真宗学専攻を’85年卒業。自坊法務の傍ら鎮西敬愛学園宗教科の非常勤講師を勤めた。’97年第十三世住職に。社会福祉法人慈恵会(済美保育園/旭ヶ丘保育園)理事長。
お盆の由来。目連尊者と母の物語
お釈迦様の活躍されたインドには雨季があります。長い雨の間、弟子たちは一堂にこもって修行に励みます。その最終日、7月15日には修行期間の反省会が催され、また盛大に法要が営まれました。
さて、ここからはお盆の行事の元になったお話。お釈迦様の優秀な弟子に目連尊者がいました。今は亡き、母のことが恋しく、秀でた神通力を使って会いに行きました。すると予想だにしないありさまを目の当たりにしたのです。母は餓鬼道に堕ち、ガリガリに痩せ細り、お腹だけが丸く腫れ、飢えと渇きに苦しんでいたのです。目連の差し出した食事をむさぼるのですが、ことごとく口元で激しい炎に変わり、助けようと為したことすべてが、逆に母を苦しめるのでした。
「お釈迦様、なぜ母は餓鬼道に堕ちねばならなかったのですか? どうしたら助けることができるのでしょうか?」 目蓮は、お釈迦様にすがりました。「目連よ、恋しい母を助けたいと一心に願うお前には、母の周りで同じように苦しむ無数の餓鬼たちの姿が見えていたか?」「かつて母は愛おしいお前を育てるとき、只々お前を大切に育てるという一心ではあったが、そこに他人を悲しませることはなかっただろうか?」「自分たちだけの幸せを願う先に、果たして人はほんとうに救われるのだろうか?」
そう言うと、お釈迦様は目連に、7月15日の法要での、仏・法・僧への供養を勧められました。
目連は、すべての人々の幸せを願い、法要に集まった人々に分け隔てなく施しをしました。そしてその功徳によって、母は餓鬼道から救われました。それを喜んで踊ったことが、盆おどりの始まりとか。
聖性に近づくことで自身の救いを求める心が、お盆の根底にあるのでは
私たちはお盆の時期に大切な人々を偲びます。そして連綿と続く先祖の歴史に思いをはせ、それぞれの故郷へと巡礼の途につく。一気にこの国全体の空気が変わり、景色が変わります。それはやはりこの国の人々が、日常生活を少し離れ、お寺やお墓、故郷におもむき、聖なるものに近づくことで自身の存在そのものの救いを求めているからではないでしょうか。
お仏壇に向かうとき、今は亡き大切な人々を偲ぶことを通して、その先には阿弥陀様がいらっしゃる。分け隔てなく、すべてのいのちを漏らさず救うと、はたらいてくださる阿弥陀様に願われているからこそ、その阿弥陀様の功徳によって、私の大切な人の救いも、そして私自身の救いも実現されるのです。ちょうど目連尊者の母や目連尊者そのひとのように。