建築家から僧侶に衣替え。自由に語れる空間づくりを求めて - 妙慶院 住職 加用雅信さん (広島県広島市)
2019.03.26
原爆の焼け野原から立ち直った妙慶院3代の歩み
平和大通りは、広島の人たちに「百メートル道路」の呼び名で親しまれている。
平和への願いが込められたこの道路では、毎年ゴールデンウィークに160万人もの動員数を誇るフラワーフェスティバル、さらにはカープやサンフレッチェが優勝した時にはパレードが行われている。
妙慶院は、そんな平和大通り沿いにある浄土宗のお寺だ。
「平和大通り」の名が採用されたのが昭和26年。
そして昭和29年、原爆で本堂を失った妙慶院も平和大通りの南沿いにあたる現在の地に悲願の本堂再建を果たした。
さらにその23年後の昭和52年。妙慶院は再度本堂を建て直す。都市型寺院の先駆け、ビル型のお寺だ。
住職の加用雅信さんは、先々代による戦後復興の苦労、そして先代による新たなお寺への挑戦を受け継ぎ、21世紀のあるべきお寺の姿に果敢に取り組んでいる。
先々代、私の祖父は大変な苦労の中で尽力し、終戦わずか9年で焼け野原に木造本堂の再建を成し遂げました。とは言え、良い資材もなく、丈夫な本堂とは言えなかったみたいで、23年後に鉄骨鉄筋コンクリート造で再々建しました。当時はビル型のお寺は圧倒的に少なく、全国的に見てもかなり早かったんじゃないでしょうか。
ビル型のお寺である妙慶院がいち早く取り入れたもうひとつに、納骨堂がある。
九州のお寺では納骨堂が多く見られますが、広島はお墓が圧倒的に多かったですし、いまも多いですよ。広島市内では、当時も今もお墓を全部やめて納骨堂だけというお寺はとても珍しいと思います。
ビル型のお寺と納骨堂。お参りのしやすさが喜ばれているという。
ビルですから、木造のお寺と違って気密性が高く、冷暖房がよく効きます。エレベーターがあるから足腰に自信のない方がお参りされるのにも負担が少ない。さらには天気に左右されることなくお参りできる。ビル型のお寺だからこその利点ですよね。
お寺の未来型のひとつかもしれないスタイルを、妙慶院は先取りしていたと言えるのかもしれない。
建築の世界からお寺の世界へ 人を相手に生きていきたい
加用さんは僧侶でありながら建築家でもある。高校卒業後は東京の大学に進み、海外留学も経て建築事務所に勤務した。あこがれの建築家の仕事は多忙を極め、心身ともに疲弊していったという。
建築事務所では朝から晩までずっとパソコンの画面と向き合い、徹夜や朝帰りも当たり前。そんな日々が続くと自分が会社にとって都合のいいひとつの「歯車」でしかないように思えたんですね。それがとても苦しかったです。
30歳で東京を離れて広島に戻って来た。建築家と僧侶と、両立できるのか、一つの道を選ぶべきかと迷った結果、人と人とが顔を合わせる場を求めていた加用さんは僧侶の道を選ぶ。
お坊さんは人が相手です。それは、パソコンの画面とにらめっこする仕事とは対極です。人を相手に生きていきたい。人の話を聴き、そしてお茶を飲みながらいろいろ話したい。もちろん建築の仕事も魅力的でしたが、両方を天秤にかけた時に、私はお寺に生まれたことに縁を感じたんです。きっとこれが私の歩む道なのだろうと。
また、僧侶というひとつの資格が、加用さん自身のアイデンティティを確立してくれたありがたいものだという想いもあったそうだ。
幼い頃から、自分は何もできない人間なのだとコンプレックスを持っていました。ところが大学3年の時、僧籍、いわゆる僧侶の資格を取ったことで、自然とコンプレックスが消えてなくなったんですね。周りの人の誰もが持ち得ないものを手に入れた気がして、私自身を安心させてくれたんです。ドラクエで言うところの、職業をひとつ手に入れたみたいな感じです。まさに「僧侶」ですよね(笑)
街中のいたるところでお坊さん 街の声に耳を傾ける活動的な日々
加用さんの日常はとても活動的なのだが、人々の中に自然にとけ込む加用さんのまわりでは、不思議と時間がゆるやかに流れている。
お寺の住職として、もちろんお檀家さんのお参りや葬儀や法事や年中行事も執り行っていますが、他に月1回「寺カフェ」というものをやっています。お寺に自由に来ていただいて、写経、写仏、切仏というものをしながら心を安らいでいただく。そのあとはみなさんでお茶をして、「ああだこうだ」とお話しをします。
かつては建築家としてハコモノを作っていた加用さんは、いまではそのハコモノの中で、人と人のつながるコミュニティの中心にいる。加用さんの取り組みはお寺の中だけにはとどまらない。広島の街に飛び出して、あちらこちらでお坊さんの格好をして人々の声に耳を傾ける。
月1回「坊主バー」もやっています。毎回テーマを決めて参加者さんのお話を聴いたりいろんな話をさせてもらったりしています。いわゆる布教などではなく、飲み物を片手に日々の悩みや想いを参加者で語り合うんです。
「坊主バー」の取り組みは地元の新聞に取り上げられ、それがきっかけで広島テレビのカルチャースクール(広テレ!キャンパス)でも「坊主カフェ」を開催するようになる。
これからのお坊さんは話すよりも聴くことが大切だと思うんです。周りに気を遣いすぎたり、空気を読みすぎたり、自分のことを自由に語ることが憚れる時代になっていますよね。「ちょっとこれ言うの重たくなるからやめようかな」とかね。でも、だれだってそれぞれストーリーを持っていて、話したいことがあるはずなんです。そこで、あえて何でも話していいですよという場所が提供できたらいいなと思うし、衣を着てお坊さんの格好していたら「お坊さんなら話しても大丈夫かな」とみなさんいろいろな悩みや、まじめな問題を語ってくださいますよ。
お坊さんは職業ではなく生き方だ
街に飛び出して、そこに集まる人々の声に耳を傾ける加用さんだが、実は自分からそのような場を作っていったのではなく、すべて向こう側からの誘いで始まったことだという。誘われてコミュニティにとけ込み、その中心に座って人々の話を聴き、求められる問いに答える。
平和をテーマにした国際的なワークショップや、チャリティコンサートの場所としてお寺の講堂を提供することもあれば、お寺を飛び出してテレビやラジオにも出演する。内に外に積極的に駆け回るそのモチベーションはどこにあるのだろうか。
やっぱり自分自身の存在確認がまずありますよ。いわゆる承認欲求です。色々な人の話を聴くことで、自分の存在がその人のためになるんだという実感、アイデンティティを感じられるからこそです。楽しくて面白い上に、自分が携わることで周りの人たちが喜んだり笑顔を灯したりしていただけたら、こんなに嬉しいことはないですよね。堅苦しい話はなるべく避け、求められない限り布教みたいな話もしません。一人の等身大の人間として耳を傾けるように努めています。それで充分だと思います。
さまざまな場所から誘いがかかってはイベントを通じてひとりでも多くの人に仏教に触れてもらう。加用さんの人柄からか、その取り組みは少しずつ広がりを見せている。多忙の毎日で、オンとオフとをどのように使い分けているのかと訊ねると「お坊さんは、職業ではなく生き方なんです」という答えが帰ってきた。
お坊さんてのはね、職業ではなく生き方なんです。だから、オンもオフもない。街を歩いてても、映画観てても、お茶してても、こんな頭ですし、どこ行ってもお坊さんだと見られるんですね。サンフレッチェやカープ観戦にスタジアムに行って応援しますが、そんな時でもお坊さんです(笑)
妙慶院の考える供養とお布施 「ちょっと多めかな」くらいが一番いい
まいてらのページに来てくださっている人の多くはきっと何かの理由でお寺を探している。そんな人たちに向けて、妙慶院の仏事や供養への考え方を語ってもらった。
まいてらさんを通じてご縁をいただいた人はすでにたくさんいます。特に多いのが水子供養ですね。広島は浄土真宗のお寺が多く、そのため水子供養をしているお寺が少ない。自坊では、水子さんのお葬式を執り行います。お母さんの胎内でたしかに生きた命です。きちんとお葬式を執り行って、ご家族と一緒にお念仏してご供養をいたします。
最近の寺離れには、お金にまつわる不信感が原因となっている面も否めない。なかなか聞きづらいお金についても、供養とお布施の観点から語ってもらった。
お布施の額を気にする理由に、「お寺に失礼があってはいけない」という意識が働くのであるならば、どんな金額でも『失礼』にはならないと言いたいですね。ただ、お布施の定額制はよくないと思う。なぜなら、金額を提示すると「あっ、これくらい安くていいんだ」「えーっ、こんな高いんだ」という意識が働いてしまうから。だからこそ「お気持ち」なんです。その人に見合った金額で、少しくらい背伸びをして「ちょっと多いかな」「このくらいが精一杯だな」というあたりのお金を包むのが、故人様に対して精一杯のご供養になると思います。
妙慶院では、戒名料も受け取らないという。
お葬儀のお布施はお供えいただいていますが戒名料は一切いただきません。戒名というのは、仏弟子になる際に戒を授かった証しの名前でして、本来は生前に授かっていただきたいものです。「いくら支払ったから弟子する」という話ではないんです。戒名や葬儀なんて要らないという人の本心には、お金に対しての不満や不信感がある。戒名は要らないという人には、「お葬儀で戒を授けるので戒名をお授けします。ただし戒名料は不要です」と言います。それでも要らないという人はほぼいません。そうした不満や不信感を取っ払わないことには、亡き人を悼み弔う想いが満たされないですからね。
お時間あったら、お茶飲みながらお話ししませんか?
最後に、「まいてらをご覧の方にメッセージを」と訊ねたら、「お時間会ったらお茶しましょう。いつでもお寺にお越しくださいね」と答え、次のように続けてくれた。
悩みは誰にでもありますよね。でも、遠慮してなかなか人には言えません。お寺はそれを安心して話せる場所で、お坊さんはそんな人の話に耳を傾ける存在。妙慶院がそんな場所であれたらなと思うし、私自身そんな僧侶を目指しています。いまの時代は結果が求められる世知辛い世の中です。でもみんな失敗ばかりだし、苦しんで、もがいている。泥臭くても、きたなくても、ぶさいくでも、心の奥底に抱えて吐き出せない想いを言葉にして自由に語ってただだけたらいいな、と願ってます。いつでもお話伺いますよ。
僧侶になれたことでアイデンティティが作られたと語る加用さんの言葉からは、自身が僧侶として生きる道を歩んでいることへの感謝の念があふれている。
そんな加用さんの目指す「自由に語れる場」。バーでも、カフェでも、どこでもいい。加用さんがそこにいることで、そこが「自由に語れる場」になる。かつて建築家としてさまざまな場を作ってきた加用さん本人が、いまでは場なのだ。
加用さんに会いたい人は、お寺でも、坊主バーでも、坊主カフェでも、参加してみてはいかがだろうか。終始笑顔で、穏やかにこちらの話を聴いてくれる加用さんの人柄を、ぜひとも肌身で感じてほしい。