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住職は元ドレッドヘア? 独自の視点であらゆる世代へひらかれたお寺をめざす – 光明寺 住職 渡邉徹範さん(栃木県足利市)

2019.11.26

取材・文 井上理津子

まるで観光スポットのような回遊式枯山水庭園

 浅草から東武 とうぶ特急で約1時間20分。栃木県足利 あしかが 市といえば、まず日本最古の学校・足利学校、そして、四季折々の花を楽しめる「あしかがフラワーパーク」が思い浮かぶだろう。しかし、光明寺 こうみようじ の山門をくぐり、妙な言いかただが、ここぞ「観光スポット」だと思った。
 
 まるで京都の寺に来たみたい。築150年を超える堂々たる本堂を背景に、白砂が敷き詰められた枯山水 かれさんすい 庭園が広がっていたからだ。静寂そのものである。風雅な岩が点在し、水面の波やうねりが、砂紋でみごとに表されている。しかも、その枯山水庭園を回遊できる小道をはさみ、玉竜たまりゆう が茂る中、古色を帯びた石塔や、もみじ、松、椿などの木々が端正な姿を見せる。春には400株ものぼたんの花も咲くという。
 

静寂につつまれた枯山水庭園「回光返照」

凜とした佇まいの築150年を超える本堂

「眺めて、癒される庭にしたかったんです」と、住職の渡邉 わたなべ 徹範てつぱん さん(42歳)が言う。「すっと心が鎮まってゆくような気がします」と返すと、渡邉さんはにこやかな表情を浮かべ、こう続けた。
 
「この庭を、禅宗の言葉から『回光 えこう 返照へんしよう 』と名づけました。人はみな、いろいろな関わり合いによって生きていますから、つい“外”を見て、人と比べたりするでしょう? それによって悩みが生まれます。一度リセットして、自分の心の内側に光を当ててみましょうという意味なんです」

 隅に配された台形型の石を指し、「あれを舟と見立て、右に行くのも左に行くのも自分の考え方ひとつ」とも。ストンと胸に落ちる。
 

舟に見立てた石を前に、にこやかに庭園を案内してくれる渡邉さん

 光明寺は、足利尊氏 たかうじ 方に属した今川氏直系の高僧・仏満禅師ぶつまんぜんじ を開祖とする、臨済宗りんざいしゆう 妙心寺みようしんじ 派の古刹こさつ である。この回遊式枯山水庭園「回光返照」は、開山650年を迎えた昨年に完成をみたそうだ。誰もが訪れることができる。
 
「かたわらに腰掛けて、何時間も眺めておられる方も、時折いらっしゃる」「毎晩ライトアップし、幻想的になりますよ」とのことで、ここはやはり穴場だ。つい「拝観料を取ってもいいのでは?」と俗なことを言うと、渡邉さんは「とんでもない。そんなこと考えたこともありません」と苦笑した。そして、「気に入っていただけて何よりです」と言ったあと、「私、若いころ、ファッションや美容に興味があったんです。美容院でバイトしていました。そちら方面の感性が、庭(の表現)に変わっただけだと思います」
 
 え? ファッションや美容に興味? 予期せぬ言葉が出てきたかと思いきや、「仏法を文字や言葉で伝えるには限界があるので、禅宗では体験を大切にするんですね。庭を眺めるのもそうだし、坐禅ざぜん 作務さむ (掃除などの作業)もそう。体験から入って、ふと、自分は『生かされている』と気づく……」と本質論がサバサバと出てきた。いったいどんなお坊さんなんだろう――。

ドレッドヘアに奇抜なファッション。「弾けた」大学時代を経て

 約300軒の檀家があるこの寺の次男。兄ともども、幼い頃は祖父や父について檀家回りをしたが、長じるにつれ遠ざかった。ファッションや美容への興味は、中学・高校時代から。工学部出の技術職からこの寺の娘だった母との結婚で僧侶に転じた父は、「広く外の世界を知ったほうがいい」と寛容だった。
 
「京都の花園大学に進んだのは、たまたま受かったからで(笑)、お坊さんになろうと思っていたわけではなかったんです。大学時代、はじ けました」

「弾けた」は、ファッション・美容に向けて。半端でなかった。ドレッドヘアにした時期もある。髪の毛を茶色、金色はおろか、水色、白色など「ほぼ全色」に次々と染め、モード系、カジュアル系、ストリート系などの洋服を個性的に着こなした。美容室でアルバイトしたのも大学時代だ。

「でも、まっすぐアパレルの道に進むために専門学校の資料を取り寄せなかった」のは、すでに兄が寺とは別の道へ進んでいたからだろうか。同級生たちが就活を始める頃、「まず、『自分ち、お寺あります』を活かして副住職になっておいてから、次に、もう一つのことをやろう」と思うようになり、卒業後、愛知県犬山いぬやま 市の道場に入った。臨済宗の道場での修行は、最低でも1年。渡邉さんは3年間修行した。
 

茶髪で「弾けた」最終期。卒業旅行先の米ニューメキシコ州にて

卒業旅行は同級生と。ニューメキシコ州の禅宗寺院で現地の修行僧らと交流した。右端が渡邉さん

「3時に起きて、坐禅、作務、お勤め……の毎日で、山で木を って、割ったまき でお風呂を沸かす作業もありました。『寝て一畳、起きて半畳』の生活で、弱音を吐きそうにもなりましたが、苦しい中で、どうしたら楽しくできるかを考えるようになるんですね。7人の仲間のうち、誰が一番重い木を運べるかを競うとか、小さな楽しみを見つけていって。坐禅のときは、心の中で『お腹減ったな』と繰り返したり、好きな歌を次から次に歌ったり(笑)。そういうことを365日やると、考えることがもう何も浮かばなくなくなってくるんですよ。ああ、これが無心ということかと、3年でやっと少しわかった」
 
 先ほど聞いた「体験から入って……自分は生かされていると気づく」という話は、論のみならず自身の体験談でもあったのだ。

 修行を終え、本山での試験にも合格して実家に戻る。「僧侶の兼職として、ファッション関係の仕事はふさわしいか」と自問し、「ノー」と結論を出した渡邉さんは、社会保険労務士を目指す。国家試験合格のための学校に通いつつ、跡継ぎとして、住職の父から教えを乞いはじめる。
 

愛知県犬山市の道場での修行時代。左端が渡邉さん

 ところが、2年ほどで大変なことになった。父が病におか されたのだ。全身の筋肉を自由に動かせなくなっていくALS(筋萎縮性側索硬化症)。治療困難な難病である。

「平成17年の秋におこなった晋山式しんざんしき ――お寺に新任の僧侶を迎え入れます、というお披露目の式典には、父は車椅子で出席しましたが、その半年後、平成18年3月に亡くなりました。60歳でした」
 
 難病、闘病、死を受け入れる。家族としてだけでも重いのに、寺に入って2年余りで跡継ぎとしての大きな責任を負った渡邉さんの大変さは想像に余りある。しかも、「実はその頃もう結婚していたのですが」とも。1、2年後に離婚。プライベートの悩みも抱えながら、大きな試練を余儀なくされたのだ。
 
「父の密葬をし、1か月後には宗門の先輩僧侶や檀家さんたち大勢をお招きして本葬をいとなまなければならない。みなさんに助けていただきつつ、必死でした」

 息つく間もない日々をやり過ごし、28歳で曰く「ペーペーの住職」となった。それは、社会保険労務士になるというもう一つの人生の青写真を、白紙に戻すことでもあった。
 

晋山式。渡邉さんは前列右から3人目。右隣が車椅子で列席した先代住職の父

 

禅Yoga、坐禅会……悩みの「若さ」を強みに変えて

 
「このお寺を一人でどう切り盛りしていくか、全力をあげよう」と決意した。先進的な取り組みをしている他の寺をまねたいとの思いもあったが、檀家の人たちと顔を合わせると、「先代住職の時はああだった」「先々代の時はこうだった」と言われるばかり。「今思えば、若いからと馬鹿にされたくないと、意地を張ってしまっていたと思います。空回りしました」
 

悩んだ当時のことを思い出しながら率直に語る渡邉さん

 無理もない。檀家の人たちにとって、渡邉さんは「孫」のような年齢だ。挙句あげく に、「若い住職に言われたくない」といった声まで飛んできた。悩んだ末に、渡邉さんは考えた。
「逆に、自分が若いことの強みは何だろう」と。
 
 まず、同世代の友人知人に「お寺って、どういうイメージ?」とヒアリングすることから始めた。
「嫌いじゃないけど、敷居が高い」
「特に行きたい気持ちにはならない」
「僕らの暮らしとの間には壁がある」
 そんな答えが返ってきて、「お寺は誰でも気軽に来られるところですよと発信していかなければ」という思いに駆られた。
 
「ちょうどそんな頃、町でばったり、ヨガのインストラクターとして活躍している中学の同級生に会ったんです。話すうち、ヨガの発祥も仏教と同じインドだし、コラボしたら面白いんじゃないかということになって……」
 
 今でこそイベントをする寺は少なくないが、10余年前はまだまだ珍しく、「お寺でヨガ」は栃木県初だった。口コミに加えて、ホームページやSNSで広報すると、ぽつりぽつりと参加者が集まり始める。単に「お寺でヨガ」に終わらせず、渡邉さんはこれを「形から入る仏教」への糸口にしていったのだ。東京で知り合い、それまで仏教にさほど関心がなかった妻と32歳で再婚したのも、その後押しになった。

「日本再発見」をキーワードに え、坐禅会も開催する。法話、読経、茶礼(抹茶と和菓子付きの座談会)と合わせた体験プランも設ける。さらに、ランチに母の和子かずこ さん(68歳)が手がけてきた精進料理を加え、「禅Yoga」と名づけた1日プログラムも企画した。
 
「体験することで、ふだん気がつかない新たな自分を発見できたりします」という呼びかけが、やがて“仏教初心者”の目にとまるようになる。
「坐禅会の参加者が一人だけで、マンツーマンでおこなった時期もありましたが、今ではとりわけ『禅Yoga』は人気が出て、東京や横浜から参加する人もいます。定員30人をオーバーして、お断りしなきゃいけない回もあるんです」
 
 冒頭に書いた枯山水庭園は、そんな経緯と並行して、つくられたのだ。元々、祖父が住職の時代に、ぼたんを植え始めたのがきっかけで、光明寺の境内に幾株ものぼたんが咲くようになり、「ぼたん寺」と呼ばれていた。それを生かし、ベテランの庭師の力を借りて、地域で唯一無二の庭に――。
 
「私自身、京都にいた頃、時間の許す限り、龍安寺りようあんじ 東福寺とうふくじ 建仁寺けんにんじ 南禅寺なんぜんじ などの枯山水庭園を巡りました」

 奇抜なおしゃれをして、庭園を眺めていた青年だったであろう渡邉さんが、すっかり板についた剃髪・作務衣姿でそう振り返る。
 

今では日常の多くの時間を作務衣姿ですごす

個人永代供養墓に、車椅子でも参りやすい「ぼたん樹木葬」。時代に合った提案をしたい

山々を背景にした開放的な墓地。北関東道足利ICから約5分

 本堂の裏に広がる墓地に案内された。起伏がまったくないように整備された、バリアフリーの墓地だ。
 花が供えられた墓が多く、檀家の人たちが日常的にお参りに来ているとうかが える。かたわらに古い小さな墓石群があり、大昔の個人墓も大切にされているのに目がとまる。なにせ室町時代から続く寺だ。「ゆく人・来る人」が数多あまた いただろうと、寺が紡いできた長い年月に思いを馳せながら進むと、墓地全体を見守るかのように、穏やかな顔つきの観音かんのん 像がすうっと立っていた。
 

永代供養墓は、合同墓と個人墓の2タイプ。合同墓の上に立つ観音様が見守る

「永代供養の合同墓です」と渡邉さん。なるほど。観音像が立つのは大きな台座の上で、その下が遺骨を収納する空間になっていた。「跡継ぎがいない檀家さんもいらっしゃいますので」とのことだが、「枯山水庭園を気に入って、ここに入るという、檀家以外の方もいらっしゃるのでは?」と水を向けると、「はい、増えてきています」と。つい価格を聞く。「1霊5万円からです」。
 
 合同墓の両側に、竿石の白い墓が合計40基ほど一直線に隙間なく並んでいる。幅約70センチ。コンパクトで、不動明王ふどうみようおう 釈迦如来しやかによらい 文殊菩薩もんじゆぼさつ 普賢ふげん 菩薩など仏様が立体的に彫られ、斬新な形だ。これは?
 
「永代供養の個人墓です。父が考えた案を私が形にしました」

 斬新なのは形だけでなく、契約の形態もだ。13回忌まで、33回忌までなど契約期間が柔軟に設定されていて、期間を満了すると、遺骨を合同墓へ移す仕組みだそう。
 

竿石に様々な仏様が彫られた永代供養個人墓。供養も管理も寺に依存できる

 さらに、「こちらが、たぶん日本初の……」と渡邉さんが指差したのが、ぼたん樹木葬墓地。しゃがまずに、また車椅子に乗ったままでもお参りできる高さの花壇形式だ。「東京で開催されている見本市『エンディング産業展』で知り合った業者さんと、アイデアを出し合って、今年の初めにできあがりました」
 

大人の腰ほどの高さに造られた、ぼたん樹木葬の墓地。

 枯山水庭園のみならず、イベントも永代供養墓も樹木葬も、渡邉さんならではの発想と美的感覚が大いに反映されていると見た。
「伝統を重んじながらも、今の時代に合ったことを提供したいと模索してきて、おかげさまで、檀家の方々にも理解いただけるようになりました」と会心の微笑みを浮かべた渡邉さんは、「でも、まだまだです」。自分に言い聞かせるように謙虚な言葉を口にした。
 

取材中、業者の人が翌日に納骨する骨壷を届けに来訪。ねんごろに受け取る渡邉さん

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井上 理津子

井上 理津子

奈良市生まれ。ノンフィクションライター。近年は、戦後史、墓、大衆文化などをテーマに執筆。『葬送の仕事師たち』『いまどきの納骨堂』『親を送る』『さいごの色街 飛田』など著書多数。日本文藝家協会会員。長く大阪を拠点にしていたが、2010年から東京在住。

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