お寺が創る地域情報誌「あさぶじかん」。地域の「今」を記録する郷土史のような存在でありたい(内平淳一・覚王寺住職)
2021.09.28
内平淳一(うちひらじゅんいち)
覚王寺住職。昭和57年生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。北海学園大学大学院文学研究科修士課程修了。令和2年より第5世住職に就任。麻生商店街振興組合理事や保護司をするなど地域活動にも力を注ぐ。
お寺が地域情報誌を発行していると聞いたら、みなさんはどう思われますか?
覚王寺では2021年1月から地域情報誌「あさぶじかん」を発行しています。本稿では創刊に至った思いや、それを支えているご縁についてお伝えさせていただきます。
お寺は歴史の倉庫。次代に地域の歴史をつないでいきたい
以前から、門徒さんのお宅にお参りする中で昔話を聞かせてもらうことがよくありました。
今の人が知らない地元・麻生のことを聞かせてもらうことが多く、その中にはお寺が保育所だった昔の話や、私の祖母や伯母に縫物などを習った思い出などがありました。文章として読むことはあったのですが、生の声を通じて昔のお寺を感じることができました。
お寺は歴史の倉庫で、昔からの歴史をたくさん受け継いでいます。
門徒さんのお話しを聞くうちに、お寺として、次の世代に歴史をつないでいくことに貢献できないかとぼんやり思うようになりました。
そして、昨年からの新型コロナ禍。
膨大な情報がインターネットをかけめぐる一方、外出しにくい高齢者の情報源はテレビに限定されているように感じました。この時代にインターネットやテレビではない情報を、お寺らしい形で伝えられないかと思った時、良きご縁がつながりました。
覚王寺ではフリーマーケットをはじめ、様々な地域活動を行なっています。
そのご縁で知り合ったライターのにしむらさちこさんは、メディア紹介などを通じて、お寺の活動をずっと応援してくださっていました。
私の問題意識をにしむらさんに話したところ、地域の記憶を残して次世代につないでいきたいという思いをにしむらさんもお持ちでした。本業である書き物で地域情報誌を一緒に作れたらいいという話になり、意気投合。2020年の9月頃に盛り上がったこの企画は、デザイナーの小田小百合さんにも加わっていただき、約4ヶ月のスピード創刊に至りました。
創刊に至る苦労。地域との出会い直しの日々
創刊に必要なのは、まずは取材先。地域の人やお店です。
地域情報誌をゼロからつくる私たちには信頼がなかったので、ご縁づくりから始めました。
その際、お寺のご縁が活きました。お寺の名前を出した時に「あぁ、覚王寺さんね」という反応が取材時によく見られました。地道な地域活動で築かれてきたご縁があったからこそ創刊できたと深く感じさせられました。
そして、何よりも気づかされたのは、私たちが地元の魅力を分かっているようで分かっていなかったことです。記事を作る中で、私たち自身が地域の魅力を一つひとつ発見し、地域と出会い直しているようでした。
例えば、覚王寺の近くにはテレビでも取り上げられる、五差路という特長的な交差点があります。とても交通量が多く、地元の人も通りたくないやっかいな場所です。なぜ現在のような五差路になったのかというと、意外と歴史が複雑なことが分かり、それを分かりやすく伝えることにとても苦労しました。
「あさぶじかん」に込めた世界観
創刊にあたり「あさぶじかん」というタイトルにはこだわりました。
・地域で過ごす時間を楽しんでほしい
・今という時間、これまでの歴史という時間、そしてこれからの未来という時間。今という時間は過去と未来の交差点にあるということを伝えたい
・変化が速い現代において、ちょっと立ち止まる時間を持ってほしい
麻生という地域に関わる多くの人々に、このような願いを込めて、タイトルを命名しました。
そして、「あさぶじかん」の世界観を伝えるには表紙が大切です。
これもライター・にしむらさんのご縁で、フェルト作家のマナベハルミさんにご協力いただけることになりました。
春は春らしく、季節ごとの雰囲気を出しながら、フェルトのキャラクターが登場することで、柔らかく不思議な世界観を表現しています。思わず目に止まる、インパクトある表紙に仕上がっています。
号によっては覚王寺の庭で撮影するなど、撮影地でも麻生という地域にこだわっています。
少しずつ広がるご縁。手ごたえを感じる
「なんでお寺が地域情報誌を発行するの?」
お寺が地域情報誌を発行していることに多くの方が驚かれます。
一方、地域のお寺が出しているからこその信頼感もあり、お寺が出しているんだったら置いてあげようということにもなります。配布スポットは20ヵ所に広がってきました。
読んだ方からは、知らなかった地元の魅力を知ることが多いという声が寄せられていて、実際にあさぶじかんを持ってお店を訪ねる方もいるようです。
最近は少しずつ「ぜひ紹介してほしい」「取材してほしい」という声も出てきました。無理のないペースでご縁が広がっていくことを願っています。
仏教伝道の新たな可能性
今回「あさぶじかん」を創刊することで、私自身が仏教伝道のあり方を見つめ直す機会になりました。
お寺とご縁がない方々と一緒に情報誌を作ってみて、言葉が伝わらないことが多々あります。「内平さん、よく分からないよ」と言われ、正直へこむこともあります。誌面作りを通じて、多くの人に仏教を伝えていくことの難しさを感じています。
「あさぶじかん」の伝え方そのものが多様でありたいので、結果的に地域や仏教・お寺への関わり方も多様で会ってよいと考えています。したがって、お寺の視点では、あさぶじかんは仏教を間接的に伝えていくメディアと捉えるべきでしょうか。
お寺の人は、ご縁のある方々に100%の付き合いを求めがちですが、受け手の方々はそれを求めていないでしょう。地域の一人ひとりにとっては、それぞれの距離感でお寺との関わり方を持てることが理想です。
誌面には住職法話を載せていますが、それも押し付けるわけではなく、生活の1%、つまり生活の一部でもいいからお寺という存在を感じてほしいし、そういうあり方でも良いと考えています。まいてらも「お寺のある生活」を謳っていますが、「あさぶじかん」もお寺との付き合いをやんわりと伝えていきたいです。
目指すは郷土史のような存在。地域の「今」をずっと記録し続けたい
そして、「あさぶじかん」は郷土史のような存在でありたいとも思っています。
郷土史は普段は全く読むことがなく、日常生活では存在意義を見いだしにくいものかもしれません。しかし、「ある」ということが重要だと思います。昔のことを知りたいと思ったら、地域の生の声が色々載っている郷土史は最高の手がかりになります。
「あさぶじかん」も麻生の今を切り取り、生の声、記録を形に残していきたいと考えています。そのためにもネット社会が進む中で、紙という媒体にもこだわりたいです。
後世の人が、ふと「あさぶじかん」のページをめくった時、誌面から伝わってくる、昔の麻生に確実に存在していた「その当時の今」を感じてもらいたいです。そのような存在に「あさぶじかん」がなれるよう、まずは毎号を丁寧に発行し続けていきます。
みなさんもいつかどこかで「あさぶじかん」を手に取られるご縁がありますよう願っております。