コロナ禍に始めたオンライン読書会。多様な考えに触れ、僧侶も気づきを得る(本休寺住職・岩田親靜)
2021.06.28
読書は人を豊かにしてくれますが、自分が読んだ本について語り合う読書会に参加することで、その豊かさはさらに広がりを持ちます。自ら読書会を主宰されている本休寺の岩田親靜住職(千葉県・日蓮宗)に、読書と読書会の魅力について語っていただきました。
読書会を通じて見えてくる「自分が知らなかった自分」
もっぱら読書を趣味としている人間です。仏教書はもちろんですが、思想書、ビジネス書、絵本、小説、タレント本まで、さまざまなジャンルのものを横断的に読むようにしています。
コロナ禍によって思うように外に出られなくなりました。室内にいながらできることとして、オンラインの読書会を始めたのです。
読書会では、まず参加者全員が自分の好きな本を1冊選んでその魅力を語り、それに対して「なぜその本を選んだか?」「その本のどこに魅せられたか?」などと、いろいろな質問を投げかけられます。
本来、読書は孤独な営みですが、投げかけにより対話(ダイアローグ)が生まれます。一人で行っていた読書が他者の視点が入ることで、より多角的な視野を生み、多様性を理解するきっかけになります。そして、自分について知ることにつながります。
「この本は、こんな読み方もあったんだ」
「実は私は、無意識のうちにこんな性格を持っていたんだ」
「あの人の考え方は素敵だな」
…などと、自分以外の誰かと語り合うことで、自分が知らなかった自分、自分とは違った考え方に触れることができます。多様性を感じることが、自分を冷静に見つめ直すことにつながるのです。
たとえば最近の読書会で私は、お笑い芸人ウーマンラッシュアワー村本大輔さんの『おれは無関心なあなたを傷つけたい』を取り上げました。彼はとにかく現場に行くことにこだわる。目で見て、肌で触れたものだけを言葉にし、笑いにしている。宗祖である日蓮聖人も天災や人災を経験し『立正安国論』を書かれています。弱きもの、声の小さい人々に寄り添う姿勢に近いものを感じました。
「自分自身に問う」その入り口としての読書会
お釈迦様は「正見」の大切さを説かれています。字の通り、正しく物事を見る、ということです。
正しく物事を見る。これがなかなか難しいのです。なぜなら、あらゆるものは移り変わっていきますし、人間は自我意識からは離れなれないからです。正しく見ていたつもりのものが実は歪んでいたり、自分自身が偏っていたり、そしてその歪みや偏りに気づいてないこともしばしば。
だからこそ、正見へと促す入り口として、自らを冷静に見つめる方法としても読書会は運用できるのではないかと思っています。家事や仕事や人間関係などに振り回されがちな毎日ですが、読書や読書会をきっかけに、じっと立ち止まり、深く考え、広い視野で物事を見ることができます。
自分の目で見る、自分の頭で考える、これが大切なのです。私は日蓮宗の僧侶ですが「お題目を唱えましょう」よりもまず先に「自分自身に問うこと」を説くお坊さんでありたいと思います。自分自身がどうありたいか、どのように生きていくべきなのかを考えなければならないからです。その答えは、あなた自身の中にしかありません。読書会はその答えへ促す一つの方法になりえるのではないかと考えています。
コロナ禍でなかなか思うように外出ができない日々はこれからも続いていくでしょう。どうぞ興味のある本を手に取り、ページをめくってみて下さい。そしてそこで知ったこと感じたことを、誰かに話してみてください。読書と読書会が、あなたの世界をひとまわり大きくしてくれると思っています。