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なにげない「ふと」が人生を導く(宝樹寺住職・林 義淳)

2025.08.08

「ふと、掃除をした」「ふと、山に登った」…そんなささいな行動が、人生を大きく変えることがあります。

 宝樹寺ほうじゆじの住職・林義淳はやしぎじゆんさん(福岡県・真宗木辺派しんしゆうきべは)は、「ふと」の積み重ねの中で、仏さまからのメッセージを受け取り、いまを丁寧に生きています。

 自堕落な生活から自らを救い出してくれたのは、「ふと」始めてみた掃除だった。

 この記事が「ふと」目にとまったあなたにも、誰かからのメッセージが届いているのかもしれません。

 林住職の「ふと」から始まる気づきの物語に、少しだけ耳を傾けてみませんか。

林 義淳(はやし ぎじゅん)

1971年、福岡県北九州市にて宝樹寺第2世住職の二男として生まれる。平成19年に宝樹寺第3世住職に就任。法務の傍ら、ひきこもりの若者を支援するNPO法人STEP・北九州の理事や保護司などを務め、社会貢献活動に努めています。

宝樹寺寺院ページ

どん詰まりの日々

 若いころの私は、体も弱く、ふしだらな生活を送っていました。宗門学校を卒業して僧侶の資格を得たあとも、久留米でパンクロックの音楽活動に明け暮れていたのです。

 音楽で稼ぐには到底至らず、メジャーデビューなんて夢のまた夢。でも、月に1度のライブにすべてを懸け、あとの29日は練習とバイト漬けの毎日。昼夜は逆転し、ろくに食べず、今思えば、いつ命を落としてもおかしくないような生き方でした。

 こんな生活がいつまで続くのか、どん詰まりの袋小路に入り込んでしまっていたとき、兄と母の病気をきっかけに、実家である宝樹寺に戻りました。

 積極的に僧侶になることを心に決めたというよりは、メンバーに対して、「バンドを辞める口実がひとつできたな」くらいのもので、先行きの見えない生活から逃げ出すようにお寺に戻ったのです。

バンド

若い頃
若かりし日の私(林)。パンクロックに明け暮れる日々を過ごす。

「ふと」始めてみた掃除

 寺に戻ってきたものの、不摂生を極めていた当時の私には、体力というものがまったくありませんでした。

 ためしに腕立て伏せをしてみても10回が限界。情けなくなり、洗面所で顔を洗い、一息つき、「オレには一体何ができるんだ」と絶望に近い感情に襲われている中で、「ふと」思い立ったのが、部屋の掃除でした。

「これならオレにもできるか」と、何の気なしに始めた掃除でしたが、やってみるとこれが意外と面白い。

 掃除機をかけて、ホコリが吸い取られ、やがて部屋が少しずつきれいになっていく。変化が目に見えて分かるのにあわせて、心まで晴れやかになっていることに気づきました。

 それまでの私は、パンクな生き方に魅せられていましたが、人の暮らしの中でも基本中の基本である掃除が、実は自分の心身を整えてくれるんだと、自然と気づかされたのです。

 掃除には、場を整えるだけでなく、心を整える力があります。禅宗では「作務さむ」と呼ばれる日常の労働が修行とされていますが、まさにその通り。掃除は自分の内面と向き合い、静かに心を鎮めてくれる。そして、きれいになったその場所は、自分だけでなく周りの人の心まで晴れやかにしてくれるのです。

 自らを律するという意味では、やっぱりあの時の掃除がすべての始まりでした。その後、体力と精神を鍛えるために居合道を始め、現在に至ります。「自分を律する」だなんて、パンクに生きていた頃の自分からは想像もつきませんが、今の私にはこれが自然な生き方となっているのです。

納骨堂の掃除
納骨堂を掃除する様子

 ちなみに、私にはちょっとした「メカ好き」の一面がありまして、掃除機というマシンにもすっかり惹かれていきました。

 掃除する場所に応じてアタッチメントを付け替える姿が、まるでアクション映画やアニメの主人公のようで。その「装備を変える楽しさ」もまた、掃除の奥深さを感じる魅力のひとつなのです。

「ふと」は、誰かからのメッセージ

 掃除をきっかけに健全な生活を取り戻し、僧侶としての毎日が始まったころ、それでも僧侶としての生活が始まったばかりの頃は、戸惑いや悩みも尽きませんでした。

 そんな時に「ふと」目に飛び込んできたのが、宝樹寺の背後にそびえる小文字山こもんじやまでした。

 毎日見慣れた標高366メートルの小さな山ですが、その日はなぜか、まるではじめて目の前に現れたかのような存在感を持って見えたのです。そして、ことばにならない呼びかけのようなものを感じ、深く考えることもなく山頂を目指しました。

 以降、事あるごとに、小文字山を上るようになり、気づくと、私に絡みついていた戸惑いや迷いも、少しずつほどけていったのです。

 思い付きのように「ふと」始めた掃除、「ふと」登ってみた山。このような「ふと」から始まる一歩が、やがて自分自身を支えてくれたり、人生の導きとなったりするものです。

北九州
小文字山の山頂から見下ろす北九州の街並み
小文字山での体験が、登山イベント「お坊さんと山登り」につながった。小文字山や隣の足立山を登る。

 あなたにも…

「ふと、あの人の顔が浮かんだ」
「ふと、あの本を手に取ってみた」

 そんなささいな感覚を覚えることがありませんか?

 それはきっと、あなたのことを想い続けている誰かからの“サイン”だと、私は思います。そして、その「ふと」した行動が、人生を意外な方向に導くこともあります。

 私の場合は…

「まずは掃除から始めてみようよ」
「山に登ってごらん」
「いつもあなたのことを見守っているよ」

 という阿弥陀如来さまの声が、「ふと」した形で届けられたのだと信じています。阿弥陀如来さまはいつだって私たちのことを心にかけておられ、私自身もそれを折に触れて実感しているからです。

 映画『インターステラー』に、宇宙の彼方にいる父が、地球に残る娘を救いたい一心で、五次元空間から必死に叫び続けるという名シーンがあります。

 父の叫びは、娘の心に「ふと」した違和感として届く。私は、最先端物理学の理論を見事に映像化したあのシーンを観ながら、いついかなる時でも、極楽浄土から私たちの往生を常に願われている阿弥陀さまのことを想ったものです。

 あなたの場合は、いかがでしょうか?

 日々の暮らしの中で、たくさんの「ふと」が、あなたのもとに訪れていると思います。もしもアンテナがそれを感じとったならば、それを素直に受け止めてみてください。

 もしかしたらその「ふと」は、あなたの幸せを静かに願い続けている、誰かからのメッセージなのかもしれません。

お寺画像
福岡県北九州市小倉北区
宝樹寺
こころ、ここらでひと休み

宝樹寺ページ

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