新型コロナとともにある2020年のお盆。施餓鬼法要を迎えるにあたり思うこと(法華寺 住職 庄司真人)
2020.06.18
庄司真人 (しょうじ しんじん)
平成30年4月、住職就任。関西学院大学文学部・兵庫教育大学大学院卒。公立中学校社会科教師として18年勤務後、退職。現在は臨床心理士、学校心理士、特別支援教育士の資格を持ち、寺務と並行して公立学校カウンセラーとして勤務。僧侶本来の姿勢は、人の悩み、苦しみに寄り添うことであるとの思いから、宗教と心理学の両面から檀信徒の方々に向き合っている。
新型コロナウイルス対策のための「分散・時間予約型」。メリットがたくさん
私がお預かりしている法華寺(大阪府南河内郡)では8月に入ると、14日までは檀信徒様の家々にお盆のお参りをし、その後15日に「施餓鬼法要」を営みます。他のご寺院同様、法要の準備や檀信徒さんのお迎え準備など、慌ただしい時期になります。
昨年は、「当日、大型台風直撃」という予報が出て、暴風雨対策に奔走しました。とことんまで対策し、それでも無理なら、中止もやむなしという開き直りで迎えた施餓鬼法要でした。当日は、神仏の慈悲をいただき、夕方までは雨風も微々たるもので、法要は無事終了。胸をなでおろした記憶があります。間一髪、暴風雨は日暮れと共に始まりました。
さて、今年は、新型コロナウイルスへの対策です。色々思案の末「分散・時間予約型」で施餓鬼法要を執り行うこととなりました。
その計画を具体的に進めていくうちに、今まで気づかなかった改善点、分散・時間予約型のメリットがいくつも出てきました。
- 一座一座、丁寧に読経できること
- 正午前後の混雑を解消できること
- 人数が分散することにより冷房完備の客殿、庫裏の広間を待合や休憩にゆったり使えること
施餓鬼法要で立てる塔婆は、浄土から降りてきた霊魂が地上で座る場所
施餓鬼法要では、お塔婆を立てて、亡くなられた方の供養をします。お塔婆の由来は、古代インド、お釈迦様のご遺骨の上に、サンスクリット語で「ストゥーパ」という塔を建てて供養したことから始まります。これが「卒塔婆(そとば)」の語源です。
古来の寺院の伽藍の成り立ちも含め、仏教は「塔」と共に伝わってきたのです。さらに、法華経の神力品には、『仏のために塔を建てて供養すべし』と繰り返し記されています。
「塔婆」には、亡くなられた方の戒名(法号)が記され、追善供養の場に立てられます。私自身は、この「塔婆」は亡くなられた方の霊魂の依代であるとの信念を持っています。依代とは、神霊が招き寄せられて乗り移るとされているものです。
霊山浄土におられる亡き人たちは、呼ばれると、供養を受けに降りて来られます。その際に「座る場所」であり、「霊魂の背骨」と表現できるものが塔婆です。塔婆には名前が書かれているので他の霊魂は依れません。塔婆に座って霊魂は安定し、読経やお香の供養を受けられるのです。生きている我々が、その場に、「自分の椅子や居場所」がなければ、落ち着かないことと同じです。
お墓(石塔)やお位牌も、その機能は霊魂の依代です。
以前『千の風になって』という歌が流行り、「私はお墓に居ません。風になっています」という内容の歌詞が有名になりました。流行当時から、私は日本の霊魂観とは相いれないと感じていました。なぜなら、それは宗教も民族も違う古いアメリカインディアンの歌の和訳だったからです。
「葬儀や法事は、遺族の悲しみのケアであり、遺族のための儀式である」という考え方も間違いではないと思いますし、現代において葬儀・法事を前向きに行なっていくためにも大切な考えでもあると思います。
しかし、私自身は「亡くなられた方の霊魂をお呼びして、きちんと依代に安定していただき読経やお香の供養を受けていただくこと」、「故人の生前の想い残しを慰め、故人の冥途での幸福(冥福)を祈ること」が本来の第一義であると思っています。その第一義を大切にした上での、遺族のための儀式であると考えます。
先祖・家族だけでなく、諸霊の冥福を祈り、供養することが施餓鬼法要
施餓鬼法要には、お身内やご先祖の供養のために参集されますが、その日は終戦記念日と同じ日でもあり、「今の日本の礎となった戦災死没者の方々」への思いを捧げていただければ幸いです。加えて、「災害横死の方々」、「不慮の事故で亡くなられた方々」、「この世への未練が強い方々」、さらには、生前「むさぼりのこころ」が強すぎて「餓鬼」としてあの世で苦しむ霊魂に対しての塔婆も立てます。施餓鬼法要に参加し、共に諸霊の冥福を祈ることで、法界萬霊・全ての諸霊の供養となることをぜひ知っていただければと思います。
今年の夏も暑くなるかもしれません。新型コロナウイルスに気をつけながらも、ご先祖様や亡き人に思いを向けながら、ゆったりとお盆をお迎えください。