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秋彼岸にGo to Grave。大切な人のお墓は人生のパワースポット(井出悦郎)

2020.09.30

 秋のお彼岸に、山形県は庄内にある祖父のお墓参りに行きました。
 行こうかどうか迷いましたが、新型コロナで今年は近しい家族が誰もお墓参りに行かないことにもなりかねなかったので、思い切って行くことにしました。

飛行機から見える庄内平野

 庄内は稲刈りの季節。
 黄金色に彩られる風景を見ながら、墓石磨き。一通りの清掃が終わった後、家族みんなで手を合わせました。

娘と一緒に墓石磨き

祖父を想い、祖父に想われながら生きている

 祖父は私の人間形成に大きく影響を与えてくれた人です。
 小学校の頃は毎年夏休みになると庄内に長期滞在し、祖父と一緒に虫取りや畑仕事、自由研究、登山、将棋・囲碁、中国古典の話など色々な思い出があります。また、食卓では太平洋戦争の経験も話してくれ、「悦郎、戦争だけは行くもんじゃないなぁ。戦争だけはやってはいかんぞ」としばしば言っていたことが記憶に残っています。
 祖父はとても温厚な人柄で、誰に対しても分け隔てなく接し、80歳を超えても地域の要職を頼まれ、様々な人が近況報告や相談に訪れていました。園芸の趣味が高じ、雪深い庄内で「冬に蘭を咲かせる会」を立ち上げ、地元の中学校の卒業式で全卒業生に蘭のコサージュを手作りして贈っていました。その話がNHKで全国放映された時、テレビに映る祖父を誇らしく感じたことを覚えています。晴耕雨読と地域貢献を実践し、充実した晩年を過ごした祖父は、人生100年時代を先取りしていたように思います。

 祖父が94歳で亡くなる4ヶ月前、曹洞宗の研修会で庄内を訪れるご縁をいただき、祖父宅に泊まりました。衰弱が進んでいた祖父は歩くこともままならなくなっていましたが、起業した私の近況報告をとても喜んでくれたことが良き思い出として残っています。

 今でも困難にぶつかった時、よく祖父を思い出します。祖父は私の中で生き続け、いつも私のことを想ってくれていると感じます。
 誰しも生きている中で、誰かを想うことがあります。そして、自分が誰かを想うということは、自分もどこかで誰かに想われていることでもあります。
 想い、想われる関係によって人間は生きている。それは生ける者同士だけでなく、亡き人との関係においても成立しています。

 日本仏教では、私たち人間は仏さまに見守られている(想われている)存在であると、人々に説いて伝える場面が多くみられます。昔から日本人は亡き人が成仏じようぶつして仏さまになることを願ってきましたが、それは仏教以前に、生ける者が亡き人に想われているという根本的な感覚があったからなのでしょう。その感覚をイキイキと保つために、亡き人を仏さまという尊い存在と一体化させていくという考え・営みは、はるか昔のご先祖さまたちの偉大な発明だと思います。
 生者と死者の想念の交流は、時代を超えた人間の連続性を担保することでもありますし、私自身も祖父との連続性を感じることを大切にしていきたいと考えています。

お墓は亡き人とのつながりを象徴する、最も具体的でパワフルな存在

私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に 千の風になって
あの大きな空を 吹きわたっています
(「千の風になって」訳詞・作曲 新井満)

 以前、「千の風になって」という曲が流行りました。秋川雅史さんの美声とともに、特に「お墓に私はいない」という内容は多くの人の考えを揺さぶったのではないでしょうか。

 私自身も、祖父は私の心の中だけでなく、庄内の風にも吹いていると感じます。祖父はこの世界の色々なところに遍満し、のこされた家族を見守ってくれていると感じます。もっと言えば、祖父がこの世界に遍満しているかどうかという客観的事実よりも、「そう感じている自分がいる」という主観的事実が自分にとっては大切なのかもしれません。

 けれども、私は「お墓に祖父がいない」とは思いません。風だけでなく、祖父のお骨が収められたお墓も大切に感じます。私にとって、祖父がお墓にいるかいないかは問題ではなく、お墓を通じて祖父とのつながりを強く感じ続けることこそが大切と言えます。
 祖父を象徴する具体的なものがないと、祖父とのつながりは何かが欠落したような感覚になります。そう考えると、海に散骨して後悔する人が少なくないのも、亡き人との最も具体的でパワフルなつながりを喪失してしまうところに原因があるのかもしれません。

大切な人のお墓はパワースポット

 自宅から数百キロ離れているのでいつもはお参りできませんが、一年に一度のお墓参りは、祖父とのつながりを強く感じることでエネルギーがチャージされるような感覚があります。
 そういう点では、大切な亡き人のお墓は良きパワースポットと言えるかもしれません。家族でも、恩師でも、友人のお墓でも、この世界のどこかに手を合わせる象徴を持つことは、心を整え、生きる力を与えてくれると思います。

 今年のお盆に、私が経営支援するいくつかのお寺では、過去最高の本数の塔婆がお墓にあがったという、とてもうれしい報告がありました。
 コロナでお墓参りには行けなかったとしても、こういう厳しい時期だからこそ、塔婆はお供えしておこうという気持ちが働いているのでしょう。
 激変する時代にも、変わらず鎮座しているお墓。大切にしていく営みそのものが、他の何ものにも代えがたい生きるエネルギーを与えてくれると感じます。

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井出悦郎

井出悦郎

1979年生まれ、東京育ち。東京大学文学部卒。人間形成に資する思想・哲学に関心があり、大学では中国哲学を専攻。銀行、ITベンチャー、経営コンサルティングを経て、「これからの人づくりのヒント」と直感した仏教との出会いを機縁に、一般社団法人お寺の未来を創業。同社代表理事を務める

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