【お坊さんの書棚④】『日本の教育はダメじゃない』自己肯定感の低さは仏教の影響?(大蓮寺住職・秋田光彦)
2021.05.10
秋田光彦(あきた・こうげん)
浄⼟宗⼤蓮寺・應典院住職 1955年⼤阪市⽣まれ。浄⼟宗⼤蓮寺 住職。パドマ幼稚園園⻑。 一般社団法人総合幼児教育研究会会長。1997年に塔頭・應典院を再建。近年地域ケアに関わる。相愛⼤学⼈⽂学部客員教授、アートミーツケア学会理事など も務める。 著作に『葬式をしない寺』『仏教シネマ』(釈徹宗⽒ との共著)、編著に『⽣と死をつなぐケアとアート』など。 最新刊は『ともに生きる仏教』(共著)。
日本の教育への誤った思い込みを問い直す
日本の子どもたちの自己肯定感の低さは、仏教の影響を受けているから、と聞いたら、驚くのではないだろうか。いや、否定的な見解ではない。修行のごとく、失敗しても子どもたちは一層がんばるというのだ。
ちくま新書の「日本の教育はダメじゃない」は、台湾大学で教えている日本人准教授・小松光氏と京都大学で教えている英国人准教授・ジェルミー・ラプリー氏の共著。二人とも、世界銀行や国連で働く国際派だ。
この本の面白さは、多くの日本人が思い込む「日本の教育はダメだ」観を国際比較データで問い直していること。勉強に興味がない、知識がない、学力格差は大きい、いじめ・不登校の多発等々、一つ一つそのバイアスをデータを駆使して覆していく。日本の教育のレベルの高さや、現場の教師たちのがんばりをきちんと評価している(国際的にも高い評価がある)。
人生は修行。自己への批判的な目が頑張りにつながる可能性
とりわけ興味深かったのは、冒頭に挙げた自己肯定感の問題だ。そもそも東アジア諸国では一般に欧米の子どもに比べ、自信のある子どもの割合は低く、その一方学力は高い傾向にある。それは、過剰な自信に溺れるのではなく、自己に対し批判的な目を向け続け、(自信を持てないからこそ)一層頑張ることと関連はないかと、いうのだ。
その基底にあるのが、キリスト教と仏教の違いがあるという。欧米人は、自己は固定的なものであり、「生来の能力」によって規定されると解釈する。つまり、失敗したらそこまでよと、がんばらないのだが、その根底にはキリスト教の「予定説」(人が救われるのは、人間の意志や能力によるのではなく、神の自由な恩恵に基づくというキリスト教の教理)が強く影響しているのであって、そこが「人生は修行」と考える日本人の仏教観と大きく異なる。失敗をも成長の機会と考える自己の捉え方の違いだと指摘する。
文中での仏教への言及は少ないので(河合隼雄が紹介されているが)、完全に理解はできないのだが、日本人の教育観や学習観、成長観に仏教が根底的な影響を与えているのだとしたら納得できる。別の章で「学びに必要な強制力」というくだりがあるが、重ねてみると面白い。
経済不調の原因を教育現場に求めることは間違っている
本書は「そこがすごいよ日本人」みたいなお調子本とは違う(それでもやはり「国家主義的」という業界内の批判は受けるそうだ)。安易な現状批判でも肯定でもなく、データを用いて正しく実態を認識した上で、日本の教育についての議論を始めようと呼びかける。
それにしても、優秀な人材(日本人の大人の学力は世界一だ)を使えない経済界が、不調の理由を教育界に求め、政治がそれに追従するというパターンは、教育現場を混乱させ、ますます教員たちを疲弊させていくだけではないか。本書の主張に強く同意する。
学校教育、なかんずく幼少期の教育は「人材育成」が目的ではない。経済や国家に役立つ人材を云々する前に、学びの主体として自ら考え、自ら生きる子どもをどう育てていくのか。英語だICTだと実用教育を急ぐ前に、努力、信頼、尊厳など成長の価値観こそ育みたい。人生は、学び続ける修行なのだ。