まいてら僧侶のお題トーーク!秋のお彼岸、風は涼しく心は温かく
2017.09.19
今年も秋のお彼岸の季節がやってまいりました。
「もうお彼岸?もうすぐで一年が終わる・・・!!
ひんやりとした風がそんな焦りを思いおこさせる季節ですね。
「彼岸」とは、秋分・春分の日を「お中日(ちゅうじつ)」とし、その前後3日間を合わせた一週間のこと。今年は9月20日が「彼岸入り」、9月23日が「お中日」(秋分)、9月26日が「彼岸明け」となります。
多くの方がお寺へお参りに訪れるこの一週間。全国のお寺ではどんなお彼岸が過ごされているのでしょうか。
秋のお彼岸に生まれたエピソードや、お祈りの心について、まいてら寺院のお坊さんにお話を寄せていただきました。
今回も心温まるエピソードの数々、そろっています!
【なにげなくほめ合うしあわせ】静岡県 正蓮寺住職 渡邉元浄さん
渡邉 元浄
昭和55年6月生まれ。先代住職であった父の死後、22歳で住職に就任。幼稚園保育園の園長を勤めながら住職を預かり、子どもにもわかりやすい法話を心がけています。1児の父。趣味は音楽と小さな古道具。
秋彼岸の期間中は多くのお檀家さんがお寺におまいりになり、本堂へ寄られる方や、庫裏におしゃべりに来てくださる方、おはぎを作って持ってきてくれる方がおられます。
子供のころ、彼岸中に「なぜ知らない人がお布施やお米、おはぎを持ってきてくれているのか」「満足げに帰られるのか」と不思議でたまりませんでした。
今考えれば、言い古された言葉ですが「来た時よりも美しく」という言葉が腹落ちします。
寺族がお檀家さんを迎え、無財の七施で互いをもてなしあうことで、お檀家さんが季節ごとに溜まった悩み、愚痴や相談事をお寺に「置きにこられている」のだと感じ入ります。
「彼岸花、咲いたねえ」
「そうですねえ。えらいねえ。○○さんも、よくお越しになったねえ。えらいねえ。」
何気ない会話の中に、褒めあうしあわせを感じています。
いま思い出しましたが、私も子どもながらに三つ指をついてお辞儀してお檀家さんを迎えていました。
これは今でも私が大切にしていきたいことですし、僕がそう教えられてきたように、娘にも大切にしてもらいたいと思っています。
編集部より
「お檀家さんが季節ごとに溜まった悩み、愚痴や相談事をお寺に『置きにこられている』」とは、素敵な関わり方ですね。これこそ「お寺のある生活」。日本の四季をお寺とともに過ごす風景が目に浮かびました。
【おばあちゃんたちの後姿】長野県 長谷寺住職 岡澤慶澄さん
岡澤 慶澄
昭和42年長野県生まれ。平成4年、真言宗智山派総本山智積院智山専修学院卒業。平成19年より長谷寺住職。本尊十一面観音の本願である慈悲心を、「いのり・まなび・であい」というキーワードに活動している。
子供の頃、ですからもう40年以上も昔の頃の話ですが、当山の境内に大きな石の地蔵さまがまつられています。
毎年、お彼岸のお中日の昼前に、村のおばあちゃんたちがお地蔵さんの前に集まってござを敷いて、手作りのオハギとお団子をお供えしました。村の子供たちは、このあんこたっぷりのオハギとお団子を目当てにしてお寺に集まってきたものです。
わたしも、そんな子供の一人として、父親がお地蔵さまの前で村のおばあちゃんたちとお参りをしている間、ほかの子と一緒になってござの周りを駆け回っていました。今でも、ござに座ったおばあちゃんたちの後姿が蘇ってきます。
大人になってから知ったのですが、そのお地蔵さまは、明治の初めに、村に赤痢が流行して、たくさんの子供たちが死んでしまい、それを嘆いた母たちが、子供の守り神のお地蔵さんにオハギとお団子をお供えして我が子らの冥福を祈り、生き残った子らの無事成長を願って始まったそうです。
だからお彼岸は母と子がお地蔵さまの前に集まってお祈りをする縁日でした。そうやって、母から子へと、伝えられていた心があったのですね。
それも何時の頃にか、お参りしていたおばあちゃんたちも亡くなって、若いお母さんたちは外で働くようになるとなかなかお参りも出来なくなって、お彼岸のお地蔵さまの前にオハギもお団子も供えられなくなり、子供たちも来なくなりました。
お彼岸になると、お地蔵さまの前でござに座ったおばあちゃんたちの姿が懐かしく蘇りますが、懐かしい記憶だけではなく、消えてしまった大切な「祈りの場」を蘇らせたいものだと思います。
お寺を地域の人の「泣いていい場所、祈っていい場所」にしたい、そんな想いがお彼岸になると、少年の日の懐かしさと共に湧き上がります。
編集部より
秋分は太古からの祈りの時。地域の皆さんの想いが集まる場所としてのお寺の在り方を大切にしたいという岡澤さんの想いが伝わりました。「泣いていい場所、祈っていい場所」そんな存在があるのだと思えるだけで、心が温かくなります。
【お檀家さんにお伝えしたいと願っていること】大阪府 大蓮寺副住職 秋田光軌さん
秋田 光軌
1985年大阪生まれ、大阪大学大学院修了。当山副住職と應典院主幹を兼ねる。クラシック音楽をこよなく愛し、仏教と哲学とを行き交います。お酒は飲みませんが、大の麺類党。
浄土宗では「お彼岸」とは「日願(ひがん)」から来ているという話がよく聞かれますが、その根拠を尋ねてみますと、沈みゆく太陽を見つめながら念仏を唱える「日想観(にっそうかん)」というものがあります。
秋分の日は太陽が真東から昇り真西に沈むことから、陽の沈みゆく西方の彼方にある極楽浄土に思いを凝らすのに適している、と説かれてきました。
秋彼岸の日には極楽浄土を思い、私たちがご先祖様から伝えられてきた命のバトンを受け継いでいることを、確認する機会となればと願っています。
編集部より
「お彼岸」は昼と夜が半分ずつになるという「時間」の感覚でばかり考えていて、真東から日が昇り真西に日が沈むという「方角」の感覚は忘れがちかもしれません。高い建物に囲まれて生活し太陽の所在を意識しなくなっているからかな、と考えてみました。
【秋分の日はなぜ休日?】奈良県 善福寺住職 桂浄薫さん
桂 浄薫
昭和52年、善福寺に次男として生まれる。平成27年から善福寺住職。 得意のIT技術を活かし、地域・年齢幅広く仏教を伝える。 奈良高校卒業、大阪府立大学卒業、ソニー株式会社ではパソコンのサポート部門に従事。 退職後の平成19年、総本山知恩院で伝宗伝戒道場を満行。総本山知恩院布教師。
奈良は8月盆なので、秋のお彼岸とはひと月しか開いておらず、あまりに早くやってくるお彼岸に毎年ビックリします。
正直お坊さん側は「お盆がやっと終わったと思ったら、もうお彼岸か……」とテンションが上がらないこともあるのですが、逆にお檀家さんの方が律儀にお参りされていて、こちらが襟を正される思いがします。
ご先祖さまが帰ってこられるお盆への思いが強いのはもちろん、日本独自のお彼岸という習慣も皆さん大切にされていることを実感します。太陽が真西に沈むこの時期、夕日を眺めていると理屈を超えた感慨深さに浸ることでしょう。
ご先祖さまのおられるお浄土に思いを馳せ、そっと手が合わさり頭が下がるお彼岸をずっと大切に続けていきたいものです。
秋分の日はの制定は1948年(昭和23年)。「国民の祝日に関する法律」第2条によれば、「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ。」ことだそうです。
秋の行楽や運動会も良いですが、いま一度、祝日となっていることの意味を再確認するお彼岸としましょう。
編集部より
国民の祝日にはそれぞれに意味が示されていたとは!近年では「シルバーウィーク」の一要員として注目を集めていますが、秋分の日はそれだけにとどまらない大切な一日。「今年の秋分の日は土曜日じゃん」と肩を落とさないで!
【秋彼岸で思い出す風景】広島県 妙慶院住職 加用雅信さん
加用 雅信
1971年広島県生まれ。東京工業大学大学院修了。建築設計事務所で勤務の後、お寺に戻る。デザインやアート好きで、お茶をしながら話を聴くひと時を愛するお坊さん。カウンセリング、傾聴、グリーフケア他も学ぶ。
春と秋の彼岸お中日、春分と秋分の日には、昼と夜の時間がちょうど半分ずつとなり、太陽が真東から昇って真西に沈みます。
夕陽が沈んだ先にあるのが阿弥陀仏の西方極楽浄土です。
十万億の仏さまの国を超えた先にある極楽浄土を想って沈み行く夕陽を見つめながらお念仏する日想観というお念仏の唱え方があります。
秋の夕暮れ刻に、浄土宗の総本山知恩院の山門から西を向いて夕陽が沈みゆく中をお念仏したことがあります。お彼岸のお中日ではありませんでしたが、志しを同じくした仲間とのお念仏の時間はステキな思い出の一つです。
本来は「助けたまえ阿弥陀さま」とお念仏するのが本義です。ですがお彼岸に夕陽に向かってお念仏するのも、普段のお念仏を励ましてくれる特別なひと時になります。
もうじきお彼岸を迎えます。夕陽が沈んでいく頃、西を向いて極楽浄土と阿弥陀仏に心を寄せて日想観のお念仏をしてみませんか。
編集部より
大切な思い出とともに刻まれたお彼岸の記憶がなんとも美しいです。日想観のお念仏で特別なお彼岸を過ごしてみたい方、今年はぜひお寺で真西に沈む夕日を眺めてみてください。
まいてら僧侶の皆さん、ご寄稿ありがとうございました!
年に2度、必ずやってくるお彼岸。あわただしい毎日の中で、お彼岸という季節の節目が祈りの心や感謝の気持ちを優しく思い起こさせてくれるのだなと感じました。
季節と共にあるお寺の風景が温かいですね。
お坊さんのオフトーク満載!まいてらだより好評配信中
月に一度配信中のまいてらだより。
全国各地のまいてら僧侶の皆さんに、お寺で生まれる様々なエピソードを毎回寄稿していただいています。
是非ご登録ください!