澍法雨(じゅほうう)~大地を潤す雨のように~ ‐ 髙願寺 住職 宮本義宣さん(神奈川県川崎市中原区)
2017.02.08
現代の世の中を、軽やかに、そして力強く生きていく上でのヒントとなるような「ことば」をお坊さんにご紹介いただくこの連載。第8回目にご登場くださったのは、神奈川県川崎市中原区の浄土真宗本願寺派・髙願寺住職の宮本義宣さんです。
宮本さんが選ばれたのは「澍法雨(じゅほうう)」ということば。耳慣れない表現ですが、このことばを掲げ、お寺でさまざまな活動をされている宮本さんのお話からは、私たちが日々の生活の中で抱える苦悩にどう向き合っていくか、そのヒントがたくさんありました。
書家の寧月さんのうつくしい作品とともに、ぜひ、じっくり味わってくださいませ。
川崎市最古の寺子屋発祥のお寺として
宮本 義宣(みやもと ぎせん)
1962(昭和37)年川崎市生まれ。本願寺派布教使。武蔵野大学通信教育部講師。中央仏教学院講師。東京仏教学院講師。元龍谷大学大学院実践真宗学研究科講師。元本願寺派中央相談員。
私が住職をつとめている髙願寺は、川崎市最古の寺子屋発祥のお寺です。そういった由来もあり、髙願寺では、定期的に、仏教講座をはじめとして、落語会や音楽会、ヨガ教室など、幅広い分野の催しを開いて、ご門徒さんや地域の方々、ご縁のある多くの方々にお参りいただいています。こういった活動全般を、髙願寺では「澍法雨(じゅほうう)塾」と総称しています。
「澍法雨」とは、「仏の教え(法)は、大地を潤す雨である」という意味のことばです。「無量寿経」というお経の一節に出てくる表現です。この場合の「大地」というのは、苦悩によって乾ききった私たち人間の心を指します。澍法雨塾をはじめとするお寺の活動が、縁ある方々の心を少しでも潤すことができれば、との願いをもって、日々行っております。
人生、思い通りにならないことの方が当たり前
ところで、お釈迦さまの教えの核は「人生は苦である」ということです。ここで言う「苦」とは、思い通りにならないことからくる苦悩です。これだけ聞くと随分厳しく、救いのない教えだな、と感じてしまうかもしれませんね。しかし、実際、私たちの人生は思い通りにならないことだらけです。老いたくないと思っていても、人間誰しも瞬間ごとに老いていくし、病気になりたくないと思っていても、病は向こうからやってくるし、死にたくないと思っていても、いつか必ず寿命は尽きる……。自分の命ひとつとっても思い通りにならないのです。ましてやほかのこととなればなおさらです。
それならば、いっそ、「人生は思い通りにならないことの方が当たり前なのだ」と肚をくくってしまおう、と。そうすれば、もう少し肩の力を抜いて、何事にも取り組めるようになるのではないでしょうか。思い通りになったときは、幸運に恵まれたことに感謝して、思い通りにならなかったときには、自分や周りを責めることなく、ただただ事実を受けとめて、また次に向かっていけばいい。そうやって真摯に生きていけばいい。お釈迦さまはそのことを伝えたいがために、「苦」を仏教の真ん中に据えられたのではないかと、私は思っています。
仏法を聞くためには、まずは五感を開くことから
「人生は、決して自分の思い通りにはならない」ということを、真正面から受け止めたときに、「苦」からの脱却の道が見えてくる……。これが仏法の基本です。しかしながら、その教えをことばだけで聞いたところで、なかなかすんなりとは受け取れないのが人間というもの。仏法を心身に浸み込ませるためには、まずは五感を開いて、リラックスすることが大事なのではないでしょうか。そういった考えをベースにして、私は、お寺でさまざまなイベントを開催しています。
澍法雨塾をはじめとするお寺の活動をきっかけとして、少しでも多くの方が、仏の智慧と慈悲とを自分ごととして理解し、日々をより軽やかに、そして力強く生きていくお手伝いができたら、こんなにうれしいことはないな、と思っています。機会がありましたら、ぜひ、一度、髙願寺にいらしてくださいね。心よりお待ちしております。