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縁起のまなざし – 四天王寺・令和の大観音開眼法要に参列して(井出悦郎)

投稿日:2026.02.28 | 更新日:2026.02.28

聖徳太子の命日に、新たな祈りが始まる

 二月二十二日。旧暦では開基・聖徳太子の命日にあたるこの日、四天王寺してんのうじの境内は特別御朱印を求める人々であふれていました。春の近さを感じる空気の中で、参詣者の列は絶えることなく続き、その光景は単なる記念行事というよりも、時代の節目に立ち会っているような昂揚感が伝わってきました。

御朱印の行列でにぎわる四天王寺境内(撮影:浅田政志氏)
御朱印の行列でにぎわる四天王寺境内(撮影:浅田政志氏)

 私はこれまで数多くの仏像に手を合わせてきましたが、仏像の「開眼かいげん法要」に参列するのは初めてです。
 日本には、木造・石像を問わず無数の仏像が存在しますが、その一体一体に、時代ごとに人々が願いを込め、魂を入れる儀式が行われてきたはずです。全国津々浦々の仏像の背後には、数え切れない祈りの歴史が折り重なっています。

 過去から現在へと連なってきたその流れの「起点」に立ち会えることは、参列を超えて、祈りの時間軸の中に自分の一瞬が差し込まれる体験とも感じました。

琥珀の眼に宿る、慈悲の質感

令和の大観音(撮影:浅田政志氏))
令和の大観音(撮影:浅田政志氏)

 令和の大観音は聖観音しようかんのん
 その姿を前にして、まず心を奪われたのは「玉眼ぎよくがん(瞳)」です。仏像としては初めてといわれる琥珀焼の玉眼は、光を内側から含み、潤みを帯びているように見えました。まるで涙をたたえているかのようで、観音の慈悲が物質として立ち現れているように感じられました。

印象的な琥珀焼の玉眼(撮影:浅田政志氏))
印象的な琥珀の玉眼(撮影:浅田政志氏)

 この観音様の眼を見ていると、「包まれている」という感覚が生まれるような気がしました。こちらが見ているのではなく、見守られている感覚。そのまなざしの前では、自分の内側のざわめきが自然と静まり、ほのかな温かさが湧いてくるようでした。まさに慈悲のまなざし。

 観音は母性的徳性を象徴する存在です。そして、その開眼法要の導師を務められたのは、現代を代表する尼僧とも称される曹洞宗・青山俊董あおやましゆんどう老師でした。女性が社会のあらゆる分野で活躍する令和という時代に、女性の導師が観音の開眼を導く。青山老師のお姿そのものに、時代の象徴性を感じました。

開眼法要で、令和の大観音に魂を宿す「点睛(目を描きいれる)」をされる青山俊董老師(撮影:浅田政志氏)
開眼法要で、令和の大観音に魂を宿す「点睛(目を描きいれる)」をされる青山俊董老師(撮影:浅田政志氏)

 四天王寺の歴史を振り返れば、織田信長おだのぶなが公の生母・土田御前つちだごぜん藤堂高虎とうどうたかとら公の妻・久芳院くほういんなど、女性の存在がお寺の歩みを支えてきました。令和の観音像は、そうした歴史の系譜とも響き合っているように思えます。

十一万の祈りと、裏方への光

 今回の建立は、インターネットを通じて全国の人々が御朱印を求め、その志を懇志とするかたちで実現しました。なんと、合計十一万枚の御朱印。祈りがデジタルの回路を通じて広がり、現実の仏像建立へと結実する。このプロセス自体が、令和らしい縁起の姿とも言えます。

 法要中、観音像を優しく仰ぎ見る住職・倉島さんの横顔が印象に残りました。五年以上の歳月をかけ、この日を迎えられた喜びと充実が、静かなまなざしににじむよう。達成の誇りというより、安堵と感謝のような柔らかさが横顔から伝わってきました。

開眼法要で表白(法要の趣旨・思い)を読み上げる倉島住職
開眼法要で表白(法要の趣旨・思い)を読み上げる倉島住職

 法要後、倉島さんは関係者一人ひとりに感謝状を手渡されました。仏師・冨田珠雲とみたじゆうん氏をはじめ作家陣のみなさんに渡されるのは当然ですが、五人目に名を呼ばれたのは、御朱印の発送を地道に続けてきた裏方の檀家・亀井佳代子かめいかよこさん。「住職!早く書いて!発送遅れてる!」と倉島さんを連日叱咤されたそうです。表舞台で目立つ人だけでなく、陰で支える人に光を当てる。その倉島さんの姿勢は、この観音像の慈悲とも重なるようにも見えました。

倉島住職から感謝状を贈られる亀井佳代子さん(撮影:浅田政志氏)
倉島住職から感謝状を贈られる亀井佳代子さん(撮影:浅田政志氏)

縁起に気づくということ

法話をされる青山老師(撮影:浅田政志氏)
法話をされる青山老師(撮影:浅田政志氏)

 法要後の青山老師のご法話も、とても印象的な時間でした。青山老師のお話を私が語るのは大変僭越ですが、青山老師は一貫して「縁起えんぎ」をテーマに法話をされていたと、私なりに受け止めさせていただきました。

「私たちは天地いっぱいの働きの中に生かされている。それに気づけるのは人間だけ。」

 イタリア・アッシジの聖フランチェスコ聖堂で開かれた国際会議において、青山老師は懐中時計を落とした際、小さな軸が外れて時計が止まった体験を引き合いにして、「一即一切いちそくいつさい一切即一いつさいそくいち」を語られました。小さな軸(= 一)がなければ全体(= 一切)は動かない。世界は関係性の網の目という縁起で成り立っている。時計が壊れたその一瞬に縁起を見られた青山老師の慧眼に感服しました。

 九十三歳の青山老師は、病もまた人生の財産だと語られました。「下り坂には下り坂の風光がある」とも。そして道元禅師の言葉を引かれました。

人人分上にんにんぶんじよう豊かに備われりといえども修せざるにはあらわれず、証せざるには得ることなし。」

「慈悲は外に求めるものではない。すでに与えられている働きに気づくこと。その気づきこそが修行であり、証しである」ということでしょうか。

 観音の功徳を願うよりも先に、私たちはすでに観音の慈悲の働きの中に生かされている存在であり、その縁起(つながり)に目覚めること。今回の開眼法要は、新しい仏像の誕生を祝すことを通じて、私たち自身の気づきのまなざしを開く儀式なのかもしれないと感じました。

令和の大観音と青山老師(撮影:浅田政志氏)
令和の大観音と青山老師(撮影:浅田政志氏)

「日々の行いは、人生の見えないノミとして刻まれる。」

 青山老師のこの言葉も胸に深く響きました。この世界のいたるところに遍満している慈悲の働きに気づける人間として成長できるよう、日々の一瞬を大切に生きていきたい。そう思わされる青山老師のお言葉でした。

 令和の大観音は、これからの千年、数えきれない人々の祈りを受け止めていく存在として時を刻んでいきます。その始まりの日に立ち会えた喜びと気づきを、静かに心に刻みたいと思います。

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三重県津市
四天王寺
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