亡き人に支えられ私たちは生きている。長引くコロナ禍に供養の本質を追い求める(法華寺住職・庄司真人)
2021.09.10
庄司真人 (しょうじ しんじん)
平成30年4月、住職就任。関西学院大学文学部・兵庫教育大学大学院卒。公立中学校社会科教師として18年勤務後、退職。現在は臨床心理士、学校心理士、特別支援教育士の資格を持ち、寺務と並行して公立学校カウンセラーとして勤務。僧侶本来の姿勢は、人の悩み、苦しみに寄り添うことであるとの思いから、宗教と心理学の両面から檀信徒の方々に向き合っている。
今年は無参列のお施餓鬼法要だった
昨年から続くコロナ禍で、各寺院での法要はリモート、ライブ配信、人数分散・制限など様々な工夫がなされています。法華寺でも、8月15日のお施餓鬼法要は、檀信徒様のご参加はお断りし、住職、招待寺院、徒弟(弟子)の5名のみで営みました。7月中旬までは、昨年同様「予約・分散型」を準備して進めておりましたが、8月の大阪府・緊急事態宣言発出となり、やむを得ない事となりました。
「亡き人を供養する。魂の依り代であるお塔婆に手を合わせる」
「その前で自分の今を報告する」
お寺は、何百年にわたり、そういった供養が営まれてきた場所です。そこではお香が薫じられ、山の草木が風に揺れ、読経や鉦・太鼓の音が響きます。法華寺は客殿からの眺望、山から湧き出るご霊水の清らかさ、リモートだけでは決して伝えられないものがあります。
そういった意味で、今回の判断を残念に感じた檀信徒様も少なくなかったと思います、何より住職である私自身が残念でなりませんでした。法要前後に近況をおうかがいしたり、お話したりすることもできず、今年のお施餓鬼法要は終わりました。
法要の様子を動画・写真・DVDで檀信徒に報告
少しでも、法要を味わっていただこうと、知り合いのYoutuberさんにお願いして、動画を撮っていただくことになりました。それを、法要後のお礼状に動画のQRコードをつけたり、ホームページで配信したりしました。
また、ネット環境が整っていない方には、写真やDVD送付というかたちを取りました。リアル法要にはその空気感は及びませんが、少しでも「山寺 法華寺の施餓鬼法要」を味わっていただきたいと考えたのです。
親友の急逝。供養を通じ、支えてくれる多くの亡き人を感じる
何百という塔婆を読み上げる中では、故人それぞれのことが思いだされます。私が子供時分からお世話になった方、急に亡くなられた方、長患いだった方、お若かった方、身寄りのなかった方、それぞれのお塔婆には住職としての思いがあります。
私は5年前に一人、この5月に一人、高等学校以来付き合いの深かった、かけがえのない親友を急な病死で失いました。60歳を前に、二人ともさぞ無念だったと思います。私は、相当な喪失感に苛まれながら、僧侶として「供養の本質」を追い求めました。その親友の塔婆も立てて供養をしました。「通夜・葬儀」「供養」は単なる台本を読む場ではなく、「存在する死後の魂に語りかける本物の儀式」であるということ。そのことを、我々僧侶は、かけがえのない人の死を通すことによって、より深く実感することになるのでしょう。
二人の親友を失った私は、「右手、左手を失った気持ち」だったのですが、今は二人から「両脇を支えてもらっている気持ち」が少しずつ芽生えてきています。そう思うと、親友二人に加え、亡き祖父・亡き祖母・生前に会ったことのない何人もの先祖に当たる人々にも、私は支えてもらっているのだとより強く感じるようになりました。早朝、何百年も変わらない境内の佇まいを眺めながら、「これからも供養の本質を追い求めていくことが、僧侶としての私の役目である」という思いが浮かんできます。