十如是 ‐ 本休寺 住職 岩田親靜さん(千葉県千葉市)
2020.01.21
前回に続き、日蓮 宗本休寺 (千葉県千葉市)住職・岩田親靜 さんが選んだのは「十如是 」。法華経 では数少ない、「悟りの本質」を示すことばだそうです。
ブッダは世界をどのように見ているのか?
われわれ日蓮宗の教えは、『妙法蓮華経 』(法華経)に拠 っています。法華経は菩薩 としてのおこないを重視していて、悟りの本質を示すところは少ないです。その数少ない悟りの本質に触れている部分が、「十如是」です。
「十如是」は、簡単に言うと「成仏した人物=ブッダは、世界をどのように見ているのか?」ということを示しています。
ここでは、ものごとを、相(外観)、性(性質)、体(本体)、力(能力)、作(作用)、因(直接的原因)、縁(間接的原因)、果(結果)、報(果によって生じる影響)そして本末究竟等 (本と末、「相」から「報」までが関連していること)という、10個の如是(かくのごとき)ことがらとしてあらわします。
われわれはどうしても自分の都合でものを見てしまうので、ありのままにものごとを認識することが困難です。ものごとの一つの面、方向にとらわれてしまい、正しく見ることは簡単ではありません。
それゆえに、仏教では涅槃 にいたるための8つの徳目すなわち「八正道 」の最初に、ものごとをありのままに見る「正見 」を据 えています。その正見の、具体的な姿を描いたのが「十如是」というわけです。
この十如是のなかでも異質であり、特に注目すべきは、関連を説く「如是本末究竟等」でしょう。
『生物と無生物のあいだ』で知られる分子生物学者の福岡伸一氏は、著書『世界は分けてもわからない』のなかで「この世界のあらゆる要素は、互いに連関し、すべてが一対多の関係でつながりあっている。つまり世界に部分はない」と書いています。ものごとを分析して見ながらも、もう一度全体として見ることが必要であることを、現代の分子生物学者も指摘しているのです。
ちなみに、そもそも『妙法蓮華経』の発生はインドで、サンスクリット語で書かれていました。それを中国で漢訳したものが、現在われわれの読んでいる『妙法蓮華経』です。
実はインドの原典には「十如是」という記述はなく、ものごとを5つ(「なにであり、どのようにあり、どのようなものであり、どのような特徴をもち、どのような固有な性質をもつのか」)に分析していました。この分析を、訳者が9つに増やし、最後に統合(本末究竟等)を示したのです。訳者の仏教理解が強く反映されているわけですが、昔からこの『妙法蓮華経』が名訳として親しまれ、今にまで読み継がれています。