大竹一の大樹が目印 堂縁に老若男女が集う
大竹一の大樹が目印 堂縁に老若男女が集う
フーテンの寅さんは自由気ままな旅暮らし。たまに帰ってきては言いたいことを言い騒動を起します。そんな寅さんを、おせっかいな周囲の大人たちが心配します。大家族の時代は家の中に様々な考え方があり、ダメな大人もみなが気にかけていました。核家族の時代になると多様性は失われ、生産性が重視され、常によい子であることを求められます。お寺は一旦日常を離れることのできる場所、ありのままただ居るだけでいい場所でありたいと思っています。
見どころ
高台の縁側に座ってのんびりと瀬戸内海を一望
広島市、宮島、江田島、遠くに周防大島を望みます
1866年長州征討の際に残された砲弾
西国街道沿いにある史跡の中で、数少ない戦跡の一つ
樹齢400年。大竹一の大樹「くすのき」
佐伯郡史(1918)の大樹の項に紹介されています
常に爽やかな風の吹きぬける「きりにわ」
本堂と庫裡を結ぶ坪庭。岩に生える紅葉は自然の姿
南向きの山門は海風の吹き抜ける薬医門造
築270年。長州征討当時は扉に銃弾跡が多数ありました。
施設・設備
本堂は完全イス席。宮島を望む縁側は絶景
1749年建立。演奏会・映画、地域行事など開催
客殿は畳の大広間・板間それぞれ32畳。
厨房・冷暖房完備で、イベント各種会合に対応
永代供養墓「あいみん」2015年建立。
遠・近を問わず協同でお世話するこれからのお墓
閻魔様が祀られ、善苗堂と呼ばれる大師堂
西国八十八か所霊場の一番札所でにぎわった
歴史
亀居城跡
西国街道沿いにあり、長州との国境を守る小方城は1608年に完成。山の形は海に向かって亀の頭、左が甲羅のように見えることから亀居城と呼ばれました。しかし1611年わずか3年後謎の廃城となり、築城犠牲者の慰霊のために移築されたのが西念寺との説があります。
お念仏によって圓通閣から西念寺へ
亀居城廃城後、無常の風吹くこの丘こそ念仏の道場にふさわしいと一人の僧が修行に励まれました。光明院代2世運譽上人。かねてから彼を尊敬していた国守福島正則は上人を慕う人々の願いに応じ自身の菩提寺圓通閣を移築しこの地へ。
市域では最も古い六尺地蔵
西念寺境内には小さな薬師堂、大師堂があり、薬師堂後ろにあるお地蔵さんは6尺の大きさでは大竹市内で最も古いものです。原爆投下時には本堂の障子がすべて吹き飛んだといいます。楠と並んで幕末の動乱・戦争を見てきた生き字引です。
どんなときにも心に「かるみ」を
幕末「蕉門の十哲」志田野坡が大竹に幾度も立ち寄ったことがきっかけで、1864年にけごろも社が結成され清遊倶楽部現在のてらこや句会へと続いています。「俳句日記」をテーマに初心者向けの句会を行っています。
ご縁の方の声
- くすの木近くで見ると大きいです。子供たちはトトロの木みたいだねと喜んでいます。(30代女性一般)
- 小高い丘にあり景色がいいですね。宮島や、瀬戸の島々も見渡せて風が気持ちいいです。(40代女性)
- 友人と除夜の鐘を撞きに来ています。寒いですが町を見下ろしての鐘つきは爽快です。ぜんざいも美味しかったです。(20代女性)
- 西国街道を巡るツアーで来ました。けごろもの碑・亀居城跡など様々な史跡の中で戦跡は珍しく、歴史好きにはうれしい場所です(60代女性一般)
- 住職さんがお世話されている400年のおおたけ和紙アカリワークに参加しました。動画による説明で和紙の精製工程がよくわかりました。
お参りの方へ
お越しになられる際はご一報下さい。山門を入ってすぐの額のかかった玄関右側のインターホンを押してください。
寺名(ふりがな) | 西念寺(さいねんじ) |
宗派 | 浄土宗 |
住職名 | 正木耕太郎(まさきこうたろう) |
郵便番号 | 739-0623 |
住所(地図) | 日本、広島県大竹市小方2丁目10−3 (地図) |
電話番号 |
0827-57-7561 ※お問合わせの際は「まいてらを見た」とお伝え下さい |
FAX | 0827-57-0031 |
ホームページ | https://chikaizansainenji.com |
駐車場 | 8台 |
交通 | お車で大竹IC下りて山陽本線沿いの道を南へ1分 電車で…山陽本線玖波駅よりタクシーで「西念寺」まで5分 バスで…山陽本線玖波駅より、こいこいバスで「おがたぴあ前バス停」下車。陸橋経由で徒歩5分 |
まいてら相談デスク
050-3591-4106
法要の依頼方法やお布施など、お寺に聞きにくいことをご相談ください。
相談時間は平日の10 - 16時になります。