悠久の歴史と祈り継がれ託されてきた「おもい」
悠久の歴史と祈り継がれ託されてきた「おもい」
当山は万人の平安を願うお寺として、平安初期に開創 されました。以来約1200年もの歴史を誇り、十和田湖伝説や七崎姫 伝説などの伝承にも彩られた古刹 です。永きに渡り有縁 の方々と共に歩み、有縁の方々により守られて参りました。宗祖 弘法大師 は「今」を生きる者の尊さを説き、生きるものの安寧 を願い、万人の心に寄り添われた方です。その御心を受け継ぎ、これからも歩みを進めてまいります。どなた様もお気軽にお参り下さい。
見どころ
本尊 ・愛染明王
宥瑗 により奉納(文化7年(1810))
七崎観音 【秘仏】
糠部 三十三観音 霊場15番札所 の観音様、年1度御開帳
南祖法師 尊像
十和田湖伝説の南祖坊 の御像
“青森円空 ”の彫った千手観音 坐像
奇峯学秀 御作 の観音像
薬師如来
関頑亭作の脱活乾漆
会津斗南藩 縁故者供養所
斗南藩の方々の墓石16基は激動の歴史を今に伝えます
施設・設備
本堂
令和4年落慶の建物は、意匠がこらされ見事です
観音堂
七崎観音はじめ多くの尊格が祀られます
地蔵堂
子安地蔵が祀られます。多目的に使用出来ます
位牌堂(ふれあい豊山館2階)
当山歴代先師と檀家各家の位牌が祀られます
客殿(ふれあい豊山館1階)
法要、会食、寺子屋など多目的に使用されます
鐘楼堂
先祖の安寧、世の平和への願いが託されております
歴史
いにしえよりの“おもい”つぐ古刹
延暦弘仁年間(782〜824)に圓鏡上人が開創し、承安元年(1171)に行海上人が開基されたお寺です。鎌倉〜江戸時代初期までは永福寺という寺号 が用いられていました。
「稀代 の古刹」と謳 われた七崎観音
七崎観音は旧観音堂(寺号・徳楽寺 、現在の七崎神社)本尊で、明治になり遷座 されました。現・七崎観音は南部氏29代藩主・南部重信 公が貞享 4年(1687)4月に奉納されたものです。
十和田湖龍神 伝説 南祖坊 修行のお寺
南祖坊は当山2世・月法律師 に弟子入りし、全国の霊山 霊跡 を巡った果てに十和田湖に結縁 入定 して、青龍権現 という十和田湖の龍神になったと伝えられます。
飢饉を乗り越えての中興 開山
飢饉により当地域も当山も疲弊していた所、快傅 上人のご尽力により、享保 年間(1716〜1736)に当山は中興されました。享保期の棟札には、快傳上人が平和を願い多くの木を植えたと記されます。
ご縁の方の声
- 地域の重要拠点の1つ。人口も減っているこの地において人の拠り所、心の拠り所であってほしいと思います。(70代・男性)
- 心のより所。誰でも気がねなく行ける所。荘厳の中にも、温かみのある場所。(60代・女性)
- お寺が古いので、十和田湖南祖坊伝説、奥州糠部33観音など他のお寺にない歴史があります。(檀信徒・70代・女性)
- 歴史が古く、歴史的に貴重なものが多いので、それらを活用して檀家さんや一般の方に宣伝してほしい。(60代・男性)
- 古い歴史や伝説、斗南藩の歴史があり、沢山の人がお参りしたり集まったりして親しんでいて、誇りに思います。(60代・女性)
お参りの方へ
本堂や位牌堂へはいつでもお参り頂けますが、葬儀等仏事中の本堂へのお参りはご遠慮願います。
お寺にご用の方は、本堂右手の庫裏にお声がけ下さい。御朱印 や授与品をお求めの方も、本堂右手の庫裏 にお声がけ下さい。
御朱印は本尊、七崎観音、南祖坊など幾つか種類がございます。書き手がいる場合は御朱印帳にしたためますが、不在時はあらかじめ墨書されたものをお渡しいたします。本堂内の観音堂前に、糠部三十三霊場のスタンプ式御朱印が置いてありますので、入用の方はお使い下さい。御朱印代は定めておりませんので、お気持ちの程をお納め下さい。
ご希望があればお寺をご案内いたしますので、お気軽にご相談下さい。
寺名(ふりがな) | 宝照山 普賢院(ほうしょうざんふげんいん) |
宗派 | 真言宗豊山派 |
住職名 | 品田泰峻(しなだたいしゅん) |
郵便番号 | 039-1109 |
住所(地図) | 日本、青森県八戸市豊崎町上永福寺20−2 (地図) |
電話番号 |
0178-23-2135 ※お問合わせの際は「まいてらを見た」とお伝え下さい |
FAX | 0178-23-2137 |
ホームページ | https://fugenin643.com |
駐車場 | 30台 |
交通 | お車で…八戸駅より10分 八戸西スマートICより5分 バスで…南部バス「七崎」下車5分 |
まいてら相談デスク
050-3591-4106
法要の依頼方法やお布施など、お寺に聞きにくいことをご相談ください。
相談時間は平日の10 - 16時になります。