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お寺が創る、終活の『御用達』ネットワーク(井出悦郎)

2019.03.19

井出悦郎(いでえつろう)

1979年生まれ。人間形成に資する思想・哲学に関心があり、大学では中国哲学を専攻。銀行、ITベンチャー、経営コンサルティングを経て、「これからの人づくりのヒント」と直感した仏教との出会いを機縁に、まいてらを運営する一般社団法人お寺の未来を創業。同社代表理事を務める。東京大学文学部卒。
著書に『これからの供養のかたち』(祥伝社新書)

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最近、東京は墨田区にある龍興院さんで、『おてら終活カフェ』の立上げをお手伝いしています。
(参考記事:まいてら寺院で「おてら終活カフェ」が始まっています!

龍興院さんのおてら終活カフェでは、相続・模擬葬儀・お墓など、色々なテーマを試行します。
既に1月に第1回、3月に第2回を開催し、参加者も約20名に増え、場もどんどん和やかになっています。

第1回から3回までの講師は、行政書士界のトップランナーのお一人であり、相続手続にも詳しい黒沢レオ先生をお迎えし、相続をテーマにお話しをいただきます。
とても分かりやすい軽妙なトークに、参加者は何回もうなずかれており、納得感は高そうです。

黒沢先生のお話の後は、大島副住職との対話セッションに移り、参加者との質疑もまじえ、リラックスした場の雰囲気が醸成されています。
お寺の本堂は、不思議と場の雰囲気が整いやすい気がします。

セッションが良かった。先生と副住職の対話が面白かった。(檀家)

終活好きでいろんなセミナーに行っているが、今回は本当に分かりやすく楽しかった。難しい話ばかりの先生が多い中、黒沢先生は分かりやすく素晴らしい。(檀家)

専門家の話が聞けるのは良いね。難しい話はダメだけど今日は分かりやすかった。(一般)

私自身の父母の為に参加させていただきました。子から何が出来るのか?子と親が気楽に考えられる、取り組めるといいなと思いました。(一般)

遺言についてイメージしか知らなかったことに気付きました。親や祖父母にも知ってもらいたいけどどう話すのか難しいので、このようなイベントに来てもらうのが一番いいのではないかと思いました。ありがとうございました。(一般)

参加者の反応も上々です。

終活の御用達ネットワークが求められている

そして、この日、私には印象に残る一言がありました。
質疑応答の場面で、ある檀家さんがその場の参加者にも投げ掛けるようにおっしゃいました。

お寺が紹介してくれる先生なら安心できるわよ。相続のことはもう先生に頼めばいいじゃない

そのコメントを聞いて、「あぁ、なるほど」と思いました。
終活領域に「お寺の御用達ネットワーク」が求められているのだと。

  • お寺が紹介する専門家・業者には安心感がある
  • 終活に関しては、考えるべきことが多岐にわたり、そもそも何を考えればよいのか分からず、どのような人に相談すれば良いのか分からない

お寺への信頼感と、終活というものの分からなさが、龍興院さんの本堂でご縁を結んだ感がありました。
もっと言うと、お寺が終活の御用達ネットワークを創造し、広く伝えていくことが求められているのだと思いました。

幹(死生観)を担うお寺と、枝(解決法)を担う業者の連携が不可欠

今までは「終わり」を迎える形が比較的安定していました。

  • 家長制の名残りで、なんとなく長子が面倒をみるという習慣が残り、相続は比較的安定していた
  • 地域コミュニティで営まれた葬儀が外部化したのは昭和後期からで、葬儀社という業態自体はそれほど古くない
  • お墓の形が多様化し始めたのも近年の動き

このような状況の中で、お寺も悠長に構えることができました。
終活というテーマで、御用達ネットワークをお寺が積極的につくる必要はなかったのです。

しかし、特に近年は、家族(相続)・葬儀・お墓の状況は一気に様変わりしています。
それは、人々の死生観が、最終的な行き場を求めて浮遊し始めているということでもあります。

お寺は現代の人々の悩みに耳を傾け、「大丈夫だよ」という安心感を与えることが求められています。
それは、人々の死後が糸の切れたタコのごとくフワフワ漂い続けないように、伝統という重しを活かし、一人ひとりに永久の安心を提供することでもあります。

終活の御用達ネットワークの条件

エンディング関係の様々な催しを見て、いつも釈然としないことがあります。
それは、終活情報や解決法という「枝」は溢れていても、枝を束ねる「幹」としての死生観を考える場が不足していることです。
幹がないと枝は枯れます。そして、逆もまたしかり。幹と枝がともに生い茂っていくバランスが必要です。
お寺は幹たる死生観を担い、業者さんは枝としての具体的解決策を担う。その適切なバランスと連携が今こそ求められています。

その連携を実現する、お寺が中心となった終活の御用達ネットワークには、次のような要素が求められるでしょう。

  • 葬儀社、石材店、士業などにお寺の理念を伝え、共感してもらえる業者ネットワークを育む
  • 業者の提供サービスについて、「受け手(檀信徒など)」に価値あるものか一定の目配せを行なう
  • 業者を「お寺の御用達」として、檀信徒や地域の人に披露し、関係を構築する場を創る
  • 業者との紹介マージン等ではなく、その分を檀信徒や地域の人々に「お得意様値引」で返す等、win-winの仕組みを築く

お寺の終活は、「安さ」「対価」と少し離れたものであってほしい

そして、お寺の御用達ネットワークを活性化させることは、「安さ」が最大の価値となって進む現代のエンディング産業に警鐘を鳴らすことでもあります。
伝統的に、御用達は次のようなことを兼ね備えています。

  • 期待を裏切らない、価値ある仕事をしてくれる
  • 必ずしも安くはないが、その分、「任せておけば安心」という信頼感がある

お寺の御用達ネットワークは必ずしも安くないかもしれません。
しかし、法外な価格はありえません。お寺も、関係する業者がでたらめをしないように目配せをすることは必然です。良心的なお寺の目がある限り、安心です。

そして、お寺が終活の御用達ネットワークを創造していく過程で、副次効果もあります。
良き業者のご縁を広げていくには、お寺も自らのありようを正していくことが求められます。
お寺がありようを整えることは、「お気持ち」というお布施の本義が維持していくことにもつながるでしょう。

  • 代々の先祖と故人への感謝
  • 長きにわたってお寺という「祈りの空間」と営みを維持してきた、住職も含めた多くの先人たちへの感謝
  • これからも「祈りの空間」と営みが維持されていって欲しいという後世への願い

様々な思いと、それぞれの経済事情が渾然一体となり、色々と考えた挙句に「お気持ち」として表されるものがお布施です。
金額の高低に価値があるのではなく、感謝・願い、経済的制約、自らの見栄・矮小さ等、様々な要素が複雑に混ざり合った、その考え抜く過程に価値があるのだと思います。

このお寺や住職なら、お布施をしたい。

そう感じてもらえるお寺が全国に増えていくことを願ってやみません。
そして、対価をはじめた経済原理にあふれた現代社会で、必ずしも対価とは言えないお布施というものを残していくことは、人の心に何か大切なものを残していくことでもあると感じます。

これから、全国のまいてら寺院では、それぞれの個性を活かした『おてら終活カフェ』が広がっていきます。
時機が来たら、ぜひお近くのまいてら寺院にお訪ねください。

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