これからの供養、真剣に考えてみませんか?(足立信行・T-sousai代表)【死に方のココロ構え(19)】
2023.06.23
足立信行(あだちしんぎょう)
株式会社 T-sousai 代表取締役社長。1982年、京都府生まれ。在家の家に生まれる。18 歳の時に高野山で僧侶になることを決意。高野山金剛峰寺布教研修生修了。高野山で修行をする中で僧侶や寺院の役割を考え、一度下山。葬儀の重要性に気づき、2008年 大手互助会系の葬儀会社に入社。葬儀の担当者となり、年間約 120 件の葬儀を手掛ける。2012 年IT 企業に入社し、エンジニアとして活動。2017年、僧侶と葬儀会社の担当という経験から、お互いが遺族や故人のために協力し祈りの場所として本堂などで葬儀をあげ、安価で心あるお寺葬の構想を企画。葬儀の告知、WEB、導入などから実施、施行までをワンストップできる株式会社 T-sousai を創業し、現職。
※前回(「終活孝行」のススメ ー 父親の終活を終えて)はこちら
160万人のピリオド
我が国の出生率や死亡者数の動きを見るのに、厚労省管轄の「人口動態統計」があります。
先日の5月26日付けで、今年の1月~3月の死亡者数が発表され、葬儀業界は小さからぬ衝撃に包まれました。令和5年の全国での死亡者数は、438,983人です。前年と比較してみると実に16,946人も多い。パーセンテージにしてみると、4%多いことになりますが、これは異常値です。
昨年の令和4年は年間の死亡者数が1,568,961人で、令和3年に続いて2年連続で過去最多となりました。
今回の令和5年第一四半期の数字をみると、おそらく令和5年の死亡者数は160万人前後となり、3年連続で過去最多となることは必至でしょう。死亡者数が多くなるのは当然予測をしておりましたが、この度の急激な増加に大きな驚きを禁じ得ず、いよいよ本格的に多死社会に突入したのだと戦慄を覚えました。
日本経済新聞の「130万人のピリオド」と題した連載は2016年で、今から7年前です。来る年間死亡者130万人台を予期しての集中的な連載でした。130万人が亡くなる日本において、葬儀はどうするのか、墓はどうなるのか、供養を誰がするのかなど、多岐にわたって連載がなされてきました。
しかし、そこからわずか10年足らずで、日本は160万人が死亡する社会になりました。「160万人のピリオド」に対して私たちは向き合う時が来たのだと思います。
人が死ぬという事実に対して、否応なく向き合わなくてはならない時代が来てしまいました。従来は、死は遠くにあるもの、縁起の悪いもの、忌諱すべきものという考えがあり、当然今の社会でもそういった考えは根強いものがあります
しかし、そのような慣習として沈殿した死や葬儀や供養の考え方がそれでよいのか、真剣に真正面から向き合わざる得ない時代に入ったではないかと思います。
※人口動態統計の詳細なデータはこちらのリンクからご覧いただけます。
『これからの供養のかたち』
本サイト「まいてら」の執筆者でもある井出悦郎氏が、5月末に新書を出版されました。タイトルは『これからの供養のかたち』(祥伝社新書)です。
Amazonでは一時200位台にランクインし(書籍が何十万タイトルもある中で、ものすごいことです)、その後も継続的に買われ続けているようです。
本書はこれからの供養を真剣に考える上でとても大切な一冊です。
供養という領域は今まで様々な方々が執筆されてきました。葬儀社、墓石店、エンディング関係業者、僧侶、スピリチュアルなど、多士済々の執筆者がこれまで縦横無尽に供養について語ってきましたが、『これからの供養のかたち』を読み終えた後では、それらはどうも一面的な話に終始していたように感じます。
葬儀社からの視点、作家からの視点、僧侶からの視点、墓石業からの視点など、様々な視点で供養は語られてきましたが、単視眼的な着想が目立ち、複眼的なスポットライトの当て方がなされてきませんでした。葬儀社は葬儀社が考える供養を伝える、作家は作家が考える供養を伝えるなど、著者の立ち位置が色濃く反映されるところに供養を語る上での陥穽があったように感じるのです。
それもそのはずで供養は一見すると大きな宗教的・文化的枠組みの中にあるようで、その実、極めて個人的な色彩が強い営みなのです。大上段から構えて「供養はかくあるべき」と訴えることは自由ですが、実際に供養をするのは個人です。個人というパーソナルな部分からかけ離れたところに供養は存在できないものなのです。それゆえ、著者の社会的な立ち位置が大きく影響するのは仕方のないことでした。
一方、本書『これからの供養のかたち』は多面的で多角的、かつ複眼的な見方から供養を捉え、あまつさえ、数多くの僧侶から実際の供養の現場を聞き取り、取材をしながら、決して結論を押し付けるのではなく、逆にあえて考えさせ、読者をじっくり供養に向き合わせるような構成になっています。
読み進めるうちに、自らの供養に対しての考えがじんわりと輪郭を帯びてきて、読了した後は自分に合ったこれからの供養のかたちが自然と浮かび上がってくる、実に不思議な一冊なのです。
なぜそのような構成にされたのかは、本書の冒頭「はじめに」に答えが載っておりますが、それはぜひご自身で読まれることをおススメいたします。
『これからの供養のかたち』がもたらすもの
年間160万人が死ぬ日本社会で私たちは真剣に供養と向き合わなければなりません。安い高いだけで評価される葬儀や、テレビでよく聞くという理由だけで判断されるお墓。流行っているというだけで選択される仏壇や、儀式の意味を理解させようとしない僧侶の読経など、ずっと続けられてきた「これまでの供養のかたち」。
今こそ、「これからの供養のかたち」に変化していく時ではないでしょうか。本気で故人を偲ぶ葬儀や、意味・意義を理解した上で選ぶお墓。ご本尊をきちんと祀り、その上で供養をする仏壇や読経の巧さはもちろん、儀式の意味をきちんと伝えられる読経など、「これからの供養のかたち」に向き合う時だと考えます。
なぜならば、供養を考えることは160万人の死と向き合うことであり、ひいては、多死社会においていつか死後に私たち自身も対象となる供養のあり方を真剣に考えることにつながるからです。
本書は「これからの供養のかたち」を知る上でとても重要な書です。説教臭さや読者へのすり寄り、居丈高で難解な供養の説明は一切なく、事実を丁寧に積み上げる「理」とともに、著者の思いや熱意が表れた「情」もバランスよく盛り込まれています。著者の人となりが垣間見れる一冊です。
本書『これからの供養のかたち』が今の私たちにもたらすもの。それは、供養の本質を考える機会を提供してくれることだと思います。時代や宗教が変わっても、供養をするのは個人です。私たち一人ひとりが供養に対して向き合うこと、そして亡き人に対して向き合うことが供養の本質そのものです。誰かに依存したり、誰かに一任するのではなく、一人ひとりにあった供養のかたちを考えるヒントが本書には書かれています。
間もなく東京はお盆を迎えます。これからの供養のかたち、真剣に考えてみませんか?