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「終活孝行」のススメ ー 父親の終活を終えて(足立信行・T-sousai代表)【死に方のココロ構え(18)】

2023.06.07

足立信行(あだちしんぎょう)

株式会社 T-sousai 代表取締役社長。1982年、京都府生まれ。在家の家に生まれる。18 歳の時に高野山で僧侶になることを決意。高野山金剛峰寺布教研修生修了。高野山で修行をする中で僧侶や寺院の役割を考え、一度下山。葬儀の重要性に気づき、2008年 大手互助会系の葬儀会社に入社。葬儀の担当者となり、年間約 120 件の葬儀を手掛ける。2012 年IT 企業に入社し、エンジニアとして活動。2017年、僧侶と葬儀会社の担当という経験から、お互いが遺族や故人のために協力し祈りの場所として本堂などで葬儀をあげ、安価で心あるお寺葬の構想を企画。葬儀の告知、WEB、導入などから実施、施行までをワンストップできる株式会社 T-sousai を創業し、現職。

T-sousaiホームページ

※前回(葬祭業を志す方々へ)はこちら

父親の終活をしてきました

 本連載は「死に方のココロ構え」というタイトルですが、連載という性質上、等身大の自分を題材にすることが多くあります。一つのトピックに対して、葬儀社として、僧侶として、人間としてどう考えるのか。記事の内容はそのまま自分自身の立場を表明する声明であり、否応なく個人的な視点を盛り込まざるを得ません。それゆえ、個人的な事案を掲載することをどうかご容赦いただきながら、ご一読いただければ幸いです。

 冒頭から堅苦しい文章で大変恐縮なのですが、今回は私的なことが多いので言い訳から入らせていただきました。
 実は私には父親がおります。「そりゃ、そうだろう」と思われる方も多いと思うのですが、我が家の家庭事情は少々複雑でして、両親は私が小学校3年の頃に離婚しました。私は母親につき、苗字と戸籍が変わったのが、確か小学校6年生だったと記憶しています。12歳から今の「足立信行」として、文字通り、人生をスタートさせました。

 母親は京都に住み、父親は紆余曲折あり、現在は新潟に住んでおります。父親と母親はほぼ会うことはありませんが、連絡は取り合っているようで、お互いそれなりにしあわせに暮らしております。母親以上に連絡をするのが一人息子の私でして、よく父から電話がきます。
「両親が離婚した」と言っても家庭のあり方はさまざまあるでしょう。一切連絡を取らない場合もあれば、苗字だけ変更して、そのまま、という風な家庭もあると思います。私の家庭はある程度、連絡を取り合い、深い関わりはないものの、それなりに仲の良い家庭であるように感じます。

 4月のことです。実に10年ぶりくらいに父親の住む家に行ってきました。理由は「終活」です。父親は今、70代半ば。お陰様で健康で、自力で歩け、頭もしっかりしています。親戚も近くにおり、友人もいるようで、充実した日々を送っているようです。
 しかし、不幸事はいつ訪れるか分かりませんので、家の事や財産の事、墓や葬儀のことなどをいつか話さないといけないと思い、それを行ってきたというわけです。

終活
不幸はいつ訪れるかわかりません。事前に決められることは決めましょう。

日本の終活の現状

 
 令和5年に入り、1月にこんなニュースが流れました。「相続人なき遺産、647億円が国庫入り 21年度過去最高」(朝日新聞デジタル)。現金を含む財産の受取人がおらず、最終的に国庫に入った金額が、たった1年で647億円。過去最高の金額であったことを報じる記事です。
 ちなみに、前年の2020年は約600億円で、凡そ50億円も増えたことになります。647億円は10年前の約2倍であり、この何年かで極めて大きく増えたことが分かります。

 2023年1月に日本総合研究所が、厚生労働省の補助を受け、東京の稲城市と神奈川県の横須賀市の50歳以上85歳未満の7,000人を対象に調査を行いました。およそ2,500人から回答を得たアンケート。「自分の病気や要介護、死亡時に、周囲の人が手続きできるよう備えたいか」と尋ねた質問では「そう思う」、「ややそう思う」という終活に対して前向きな回答が、9割以上になりました。しかし、その後の質問の「備える場合に難しい点はなにか?」という具体的な回答に移ると、44.1%もの過半数の人が「もう少し先でいいと思う」と答えたと言います。
 つまり、「終活には前向き」だけれども、「もう少し先でいい」という人が大半おり、それが今回の国庫入りを増やしたと考えられるのです。

 これは他のシンクタンクや企業のアンケート結果や調査結果からみても概ね合致しています。どのアンケート結果も、「終活は大切だと思う人」は8割から9割。しかし「実際、終活をやっている」のは3割未満という現状。終活は「もう少し先でいい」というのは非常に根深い理由であると感じています。
 誰もが自分の命はずっと続くと思っていますし、自分だけは生き残ると信じています。自分で自分のことを常に見ないのと同じで、他人の行動には目が行きますが、自分の行動には驚くほど無知というのはよくあること。自分のことは、思っている以上に、見られていないのが人間のさがというものではないでしょうか。問題の根深さはここにあります。終活が実際進まないのは、人間の性質に関わる部分だからです。

 そのような状況で両親が自ら進んで、積極的に終活をするとは到底思えません。両親の考えを変えることは難しいでしょうし、今後も変わるとは想像できません。
 ではどうすればいいのか。
 そう。子供から積極的にアプローチすることが重要なのです。それを私は「終活しゆうかつ孝行こうこう」と呼んでいます。

影

「終活孝行」のススメ

 終活孝行とは、終活を親孝行の一つとして捉えようという考え方です。
 終活はともすれば「終わりの活動」ですので、とかくネガティブな印象をもたれがちです。しかし、終活は親孝行の一つと捉えるとどうでしょうか。両親の墓や葬儀や財産のことを両親と一緒に考える。それが親のためになると考えると、何か温かなものに思えてきます。

 私自身、今回、父親の終活をして、思ったことがいくつかあります。
 それは、相談する以上に、すんなり事が運んだことです。冒頭お話ししましたが、私の家庭は複雑ですので、それを一つひとつ乗り越える必要がありました。けれども、父親は真摯に私の言葉に耳を傾けてくれて、財産やお墓、葬儀のことなどを一つずつ決めてくれました。今後、遺言を然るべき士業の先生にお願いするようになるのでしょうが、一番初めの終活としてはうまくいったように感じます。

 事前にネットなどで調べると「両親は聞く耳をもってくれない」とか「お墓のことを話すと怒鳴りだす」などの情報がありましたが、全くの杞憂に終わりました。私の家庭は一つのケースですので、全家庭がうまくいくとは限りません。けれどもとても重要な点を一つ学んだように感じました。
 終活孝行に重要なこと。それは「信頼」です。
 親子といえども人間同士。お互いの信頼関係がないとうまくいくものも、そうはいかないでしょう。「親子だから誠心誠意話せば分かってもらえる」とか「血のつながりがあるから一緒に話せばなんとなる」というのは誤った認識だと思います。親子だからこそ言葉を慎重に選び、親子だからこそ感謝や謝罪の言葉を素直に伝えることが大切であると強く感じます。血のつながりも大切ですが、言葉のつながりも大切です。親子のつながりも大切ですが、人間同士のつながりも大切なのです。
 今回は私の父親の終活でしたが、「おひとりさま」の方もおられるでしょう。私はまだ独身で将来結婚する予定もありません。もし可能なのであれば、いつかこの連載で、「私の終活」を掲載できる日を願い、今回はペンを置きます。

感謝
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