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ご縁まかせで生きる。小さな仏縁を社会に広げていきたい -善福寺 住職 桂浄薫さん(奈良県天理市)  

2019.05.21

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住職になることに、抵抗はなかった

桂浄薫さんが住職を務めるのは奈良県天理市にある浄土宗善福寺。天理市と聞くと誰もが思い浮かべるのが天理教。しかし、この地域には古くからの仏教寺院も数多く現存し、神仏やご先祖様への信仰も根強い。そんな地域のお寺に生まれた桂さん。幼い頃からお墓参りのお手伝いをしていたという。

小学校1年生の頃からお寺のお手伝いをしてました。お盆やお彼岸の時には、一日中玄関の前に座って、お墓参りを頼みにお檀家さんが来られたら、一緒に墓前まで行ってお経を上げるんです。「こぼんちゃん、こぼんちゃん」とお檀家さんによく呼びかけられたのを覚えてます。あの頃は人気があって、かわいかったんでしょうね(笑)

善福寺は行基菩薩が開き、1,300年もの歴史を誇る。桂さんは第33世の住職だ。次男として生まれたため、もともとお寺を継ぐつもりはなく、工学系の大学に進学し、大学院を経てエンジニアとしてソニー(株)に就職する。しかし、お寺を継ぐはずだったお兄さんが教師の道に進むことを決めたため、住職の後継問題が浮上。家族会議が開かれることに。

当時はサラリーマン3年目でした。兄がお寺を継がないとなると、どこか関係のあるお寺から弟子を取って住職として育てたり、近隣のお寺に兼務してもらったり、いろんな方法を考える必要があります。いずれにしてもそう簡単に後継者を見つけることはできません。そのような苦悩をそばで見ていると、他の人に任せるくらいなら自分がやろう、と思い至りました。

抵抗はなかったのだろうか?

なかったですね。小さい頃からお寺の手伝いもしてましたし、生まれ育ったお寺に愛着もありました。多くの檀家さんからかわいがられた良い想い出もありました。小さい頃からお寺や檀家さんと関わりあう中で、お寺というのは多くの人に支えられていてありがたいところだなぁということが、肌にしみついていたのでしょうね。

 

6歳のころの桂さん

和文のお経に込められた想い

善福寺は「和文のお経のお寺」として知られる。通常、お経は漢文で読まれるが、善福寺で読まれるお経はすべて和文、つまり日本語に翻訳されている。

和文だとお経の意味が大体分かりますよね。完全に意味が理解できなくてもおおよその雰囲気が伝わります。そしてもっと大切なことが、全員一緒にお経を読めるということ。お経はお坊さんだけがひとりで読むのではなく、当たり前のように参列の方々と一緒に読みたいという想いがあるんです。お経は自分自身で読んで、その有り難さを頂いてほしいからです。

善福寺は和文のお経のお寺として知られる

和文のお経のきっかけは、お父様でもある先代住職が東京の修行時代に和訳のお経の薫陶を受け、以降、善福寺では和文のお経を実践し続け、それは桂さんへと引き継がれている。

今の時代は学校でも子どもたちに「主体的に取り組もう」「受け身ではなく積極的に参加し、自分自身で考えよう」と教育する時代。それなのに法事やお葬式の現場では意味の分からないお経をただ受動的に聞かされているだけになっていないでしょうか。もっと喜んでお経を読んでいただける場にしていく必要があると思います。

また、和文のお経には、伝統を護るだけで思考停止に陥ってはダメだという自戒も込められている。

どちらが良くてどちらがダメということではないんです。漢文のよさ、和文のよさ、それぞれあると思います。お経を読むお坊さんの態度や人徳に依る場合もあるでしょう。ただこわいのは、お坊さん自身が従来の漢文のお経で充分だ、修行時代に教わったものが当たり前なんだと、思考停止になってしまうことです。このままでいいのだろうか、もっと良い方法があるのでは、という自問を常に自分の中で持ち続けるべきだろうと考えています。

 

「子ども食堂」を通じて地域にうまく巻き込まれていく

桂さんは普段の法務に加えて、さまざまな取り組みに勤しんでいる。そのうちのひとつが「子ども食堂」だ。もともと貧困家庭の子供たちに向けて行われていた子ども食堂だが、全国に広がる子ども食堂の多くは誰でも参加自由の「地域の居場所」となっている。桂さんが関わる「丹波市こども食堂」(天理市丹波市町)も、いまでは地域の子どもから大人まで約100人にも及ぶ人たちでにぎわっているという。

子ども食堂は、この地域の人たちにとってのひとつの居場所となっていますね。誰が来てもいいですし、大人の方だけでも大歓迎です。カレーを食べて、そしておりがみをしたり、バルーンアートをしたり、鬼ごっこをしたりと、子どもたちは自由に遊んでいますよ。

丹波市こども食堂

子ども食堂の実行委員長を担う桂さん。そこではお寺の住職という立場をいったん離れて、純粋に地域の一市民として参加者とふれあっている。

一応、実行委員長をしていますが、約100人分のカレーを作ってくださるのは民生委員やボランティアの女性の方々。わたしはただ、インドのお坊さんの袈裟のようなエプロンを着てお手伝いするだけです(笑)配膳しながら参加者とおしゃべりしています。

子どもたちのためなら、とお手伝いくださる方々は年齢や立場や宗教も関係なく集まってくださいます。天理という土地柄、スタッフにも参加者にも天理教信者の方もいますが、みんな子どもとカレーが好きなことに違いはありませんね。天理がより良い町になる一助になれば幸いです。

地域社会の中でお寺はなにができるのか。桂さんは「地域にうまく巻き込まれていく」と、面白い表現をする。

お寺が存在し、人々から必要とされるには、お寺が地域社会とうまく、そして深く関わっていかなければなりません。それが最近よく指摘されるお寺の公益性や公共性というものでしょう。

でも私は、自分でイニシアチブを取って周りを動かしていくタイプじゃありません。地域を元気にするため何か仕掛けていくというより、面白いことをしようとする人にうまく巻き込まれていくことを意識しています。

お供え物の意味を変えた「おてらおやつクラブ」

さらに桂さんは「特定非営利活動法人おてらおやつクラブ」の事務局長をも務める。お寺に多く集まるお供え物を日本全国の貧困に苦しむ子どもたちに届ける取り組みは、2018年にグッドデザイン大賞を受賞するほど注目されている。おてらおやつクラブに関わるきっかけも、同宗派のお坊さんからの誘いがあったという。

同じ奈良県内に安養寺という浄土宗のお寺があります。その住職の松島さんに誘われたのがきっかけです。「桂さんのところでもお供え物余っているでしょ。それをひとり親家庭の子どもたちにおすそわけしましょう」と。

いまでは日本全国1,100を超える寺院、430を超える団体が賛同するほどに活動は広がりを見せている。おてらおやつクラブに取り組むことで、お寺は社会福祉の中継点としての役割を担うことになる。

おてらおやつクラブでは、毎回ボランティアの人の力を借りている

これまではただなんとなくお寺にお供えをしていたと思うんですね。ところが、おてらおやつクラブを通すことで、お寺へのお供えが、そのまま社会につながっているんだという実感が生まれたと思います。お供えして終わりではなく、その先まで見据えたお供え物になりました。お供え物ひとつ、自分の行動ひとつ、小さな仏縁ひとつが、広く社会に循環していくことを実感してくれていると思います。

おてらおやつクラブの取り組みによって、お檀家さんとのつながりにもよい変化がもたらされたと続ける。

お檀家さんとの距離もより密接になりましたね。これまでお寺とあまり親しくなかった人も、「テレビを見たよ。これを届けてあげてね」とわざわざお供え物を持ってきてくれたり、お参りの時に子どもたちが喜ぶようなお供え物をあえて用意してくれていたりとかですね。お寺とお檀家さんの関係が社会全体につながっていることを、有意義に感じてくださっているんです。

 

大仏姿で奈良マラソン。いろんなチャンネルをもつお坊さんを目指して

お寺の法務だけでなく、さまざまなことに取り組む多忙な桂さんだが、趣味のひとつがマラソン。毎年12月に行われる奈良マラソンには欠かさずエントリーしているのだと、1枚の写真を見せてくれた。

多くのランナーは応援の沿道の方とハイタッチをします。ですが私はハイタッチせずに合掌します。ゼッケンに「おしょう」と書いてるので、「和尚さん」と呼ばれる度に合掌する。これがね、鉄板でウケるんですよ(笑)

さらに桂さんは嬉しそうに大仏アイテムを取り出してきてくれた。“らほつニットキャップ”を被り、“袈裟風エプロン”を着た姿は、さながら奈良の大仏だ。

奈良といえば東大寺の大仏ですが、このお寺の本堂にも、「丈六の阿弥陀様」(座っている阿弥陀如来が立ち上がると1丈6尺=約4.8メートルにもおよぶ)として親しまれている大仏さまがおられます。大仏さんのような姿で走るのも、奈良マラソンなら面白いかなと思いましてね。もっとお坊さんランナーが増えてほしいですが。

奈良マラソンには毎年参加している桂さん

普段の法務に加えてさまざまなことにアクティブに取り組むのは、宗教離れや寺離れという世相に対して「いまのままではダメだ」という危機感があるからだ。

なにが一番危険かというと、誰もお寺に期待しなくなること。信仰を誰も必要としなくなることへの危機感です。

今はまだ、おてらおやつクラブにお供え物が多く集まるように、仏様を中心とする信仰の在り方が尊重されています。お供え物を頂く場としてお寺は認められている。けれどもお坊さんは、果たしてその期待に応えられているか? 信仰の導き手として尊敬される人物にならなければいけません。

檀家だけではなく、地域の人たちや、同じ志を持った僧侶たちとの仏縁に引っ張られながら、桂さん自身はどのような心構えで人々と向き合うようになったのだろうか。

信仰の入口に立っていただくには、やはりまずはお寺やお坊さんへ関心を持ってもらいたいです。そのためにお寺としても個人としても、いろんなチャンネルを持つようにしていて、そのどれかをきっかけに仏縁を結んでいただくことを願っています。多くの人に「ステキな活動ですね」とか「おもしろい住職だなあ」と感じてもらうことで、より身近な存在になれるのかなと。

さまざまなチャレンジは、ひとつでも多くの仏縁を結ぶために

そうした「いろんなチャンネル」を持つ取り組みによって、誰かが喜んでくれる。だからこそ楽しく、やりがいがあるのだと語る。

子ども食堂もおてらおやつクラブも、喜んでくれる人がいて、子どもたちの笑顔が見えます。和文のお経も「変わったお経ですね」というような一言から、仏教やお念仏の話になることも増えました。そして何より、いろんな人と出会うチャンスが増えたことが嬉しいです。地域のいろんな魅力的な人々と出会い、気持ちを合わせて一緒に活動できることが、私自身の人生を豊かにしてくれています。それが地域のネットワーク強化に繋がるなら素晴らしいことですよね。

 

思い通りにいかないからこそ、ご縁に身を任せる

考えてみれば、お寺の住職になるのも、子ども食堂も、おてらおやつクラブも、はじまりはすべて周りの状況に巻き込まれてのことだった。それらを「それでよいのだ」と受け入れる謙虚なスタンスはどこからきているのだろうかと訊ねると、こう答えてくれた。

そんなに深くは考えてないですよ。戦略的に動いているわけではないですし、先を読める人を羨ましく思います。でも、私たちは自分でコントロールできることって本当にわずかだと思うんです。自分で何でも選択して決断して生きてきたように錯覚しがちですが、さまざまな状況やなりゆきに左右されることが多いのがこの世の中。無理に自分の思うようにしようとするのは苦しみの原因となります。ですから、ある程度なりゆきや人とのご縁に身を任せていこうというのが自分の中にはありますね。

ご本尊の阿弥陀如来坐像は「丈六の阿弥陀様」として親しまれている

そして最後に、いままさにこの記事を読んでくださっている方へのメッセージをいただいた。

まいてらの目指すところと同じで 、「よきお寺と出会ってほしい」というのがあります。お寺さんやお坊さんとご縁のない人というのは案外多くおられます。同じ奈良県だからとか、同じ浄土宗だからとか、どんな理由でも構いません。善福寺は少し高台から街を見下ろせるところにある気持ちのいい場所に建ってます。お寺にご縁を求めている方がおられれば、遠慮なく立ち寄っていただきたいですね。

仏教には「一切皆苦」という言葉がある。この世のものはすべて思い通りにはいかない。桂さんの生き方、住職としての歩み方は、その苦に抗うでも乗り越えるわけでもなく、謙虚に受け止めることから始まる。その人柄ゆえ、お寺はいまでも多くのお檀家さんに支えられ、子ども食堂やおてらおやつクラブもどんどん広がりを見せているのだろう。

永代供養やペット供養など、さまざまな相談に応じてくれるという。まずは気軽に立ち寄ってみてはどうだろうか。簡単なものでもよいので仏様へのお供え物を携えて。この小さな仏縁が広く社会に広がっていくのを、ぜひとも直に体験してみてほしい。

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とむらいマン

とむらいマン

1981年生まれ。家族の立て続けの死をきっかけに、生涯を「弔い」に捧げています。葬儀社、仏壇店、墓石店に勤務して13年。供養業界に携わりながら、祈りや弔いの素晴らしさを言葉を通じて発信しています。 「この世を生きるということは、亡くなった人とともに生きることなんだよ」ということを、私たちはついつい忘れがちです。お寺は、そんな大切なことを思い出させてくれるとってもありがたい場所です。お寺の魅力を発信することで、祈りや弔いの素晴らしさをお伝えできればと思います。

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