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新設のお寺だからこそ。穏やかな地域とのご縁 – 草加光明寺 住職 石上光鏡さん(埼玉県草加市)

2021.02.04

文:井上理津子

ウイルスの概念より昔からある仏教

「ウイズ・コロナの時代」となって、お寺に変化はありますか。そう質問すると、埼玉県草加そうか市の浄土真宗じようどしんしゆう本願寺ほんがんじ・草加光明寺こうみようじ住職の石上いわがみ光鏡こうきようさんは、一呼吸置いてから、ゆっくりと話し始めた。

「ウイルスという概念のない昔から、突然蔓延するやまいはありましたよね。当時の人々の不安は、今とは比べものにならなかったでしょう。そんな昔から仏教はこの国に根付き、親しまれてきたわけです」

 そういえばそうだ。古くは奈良時代に天然痘てんねんとうらしき症例が発症していたといわれる。平安時代には麻疹はしかが集団発生、その後も疱瘡ほうそう疫痢えきりなどが蔓延することが何度もあった。節分行事の「鬼は外」はもともと「感染症は出て行け」の意味だ。人々は救いを求めて「仏様に手を合わせて祈願する」という行為を続けてきた。

「人々の不安に寄り添い、心のよりどころとして存在してきたみ教えを引き継ぐ私たち僧侶の存在が、今、問われているのかもしれません。一人でできることは些細かもしれませんが、ご縁の皆様が少しでも安らかな気持ちになれるように尽力していきたいという思いを新たにしています」

 法話会、茶話会、マルシェ、精進料理教室などをお寺に着々と根付かせてきた中でのコロナ禍。第一波に襲われた2020年春、人が集まるイベントすべてをいったん取りやめた。しかし、7月から法話会をオンラインで再開するなど新たな試みを開始。徐々に参加者が増えてきているそうだ。

コロナ禍以前には様々な地域交流イベントを行っていた

23年前に「新設」されたお寺

 埼玉県南東部に位置する草加市は、南側を東京都足立区と接する人口約25万人の市。市街地から離れたのびやかなエリアに、光明寺は案内板がなければ寺とわからないようなモダンなたたずまいを見せる。

 以前に取材にうかがった千葉の曹洞宗そうとうしゆうの寺と同じ名前だ、と思いきや、
「『光明寺』で検索すると、全国にたくさんのお寺がでてきますよ。光明とは、仏様から発する光のことで、各宗派で使われるポピュラーな名前です」と石上さんがおっしゃる。

 草加光明寺は、石上さんの実家である神谷町かみやちよう光明寺(東京都港区)のいわば「分家」。浄土真宗本願寺派(お西)のお寺がこの近辺になかったため、開教伝教のために23年前に新設されたのだという。

「お寺を新設」は、あまり聞かない。石上さんは「記事になるようなエピソードとか、ないですよ」と言うが、前史からお話しいただこう。

2009年に落慶。すっきりとモダンな建物

草加に「分院」を出すまで

 1970年生まれ。男きょうだい3人の末っ子。父が神谷町光明寺の住職だったが、石上さんが高校1年生のときに他界した。それまで「自分が僧侶になる」という意識は希薄だったが、「きょうだいでお寺を何とかしなければ」の緊急事態となり、急きょ得度とくどした。兄の脇でお参りするなど「現場仕事」のこと始めが、このときだ。

 一般の大学に進み、史学を専攻するも、3年生のときには「僧侶になる」と気持ちが固まっていたという。それはなぜだろう?
「自分自身がどうやって生きて行けばいいかと問うてイメージしていった、その積み重ねによるものだと思います」

 卒業後、京都の龍谷りゆうこく大学大学院で浄土真宗の歴史を勉強し、東京に戻って、兄を手伝うかたわら築地本願寺にある東京仏教学院で1年間さらに学ぶ。そのような中で、「草加にお寺を新設」ということになり、石上さんがその責を負うことになったのだ。

「ご本山は京都にありますし、宗祖・親鸞しんらんさまのご子息に当たる方々や、中興ちゆうこうの祖・蓮如上人れんによしようにんが布教に歩かれたのも近畿や北陸が多く、関東には浄土真宗のお寺が少ないんですね。本山に、開教を推進する方針が常にあり、その大きな流れに乗る形で、当初は本院の『分院』として、97年に草加に出させていただきました」

当時をふりかえる石上さん

宗教にシビアな目が向く時代ゆえに

——草加に来たときの印象は?
「ベッドタウンですけど、駅からかなり遠い。田んぼもたくさん残っていて、のんびりしたイメージでした。ベッドタウンとして今後伸びて行く町だな、とも思いました」

——最初から、この場所に?
「いいえ、ここから50メートルほど離れた住宅地にある普通の家を確保して、1階を仏間に改修して仮の本堂という形で10年ほど活動しました」

——お寺って、どうやってできていくのですか?
「私どもの場合は、神谷町光明寺の分院として宗派に入れていただき、法的には2000年に浄土真宗本願寺派に包括され、一つの独立したお寺として宗派内で認められました。その後、2007年に埼玉県から宗教法人の認可を受けることができました」

——つまり、法的には2007年にお寺になったということでしょうか。
「そうです。お寺の活動をちゃんとおこなっているか、会計面もしっかりしているか、お寺としてきちんとしているかということが判断されます」

 立ち上げ当初から定期的に法話会をおこなっているが、法話会で撮った写真や、参加者の署名、役員会の議事録などを定期的に県庁に提出する。その積み重ねが認められ、宗教法人の認可を受けることができた。並大抵のことではないだろう。しかも、1997年、27歳の若さでのスタート。

「1997年がどういう時期だったか、覚えていますか? 阪神淡路大震災とオウム事件があった2年後。宗教というものに対して、世間のとらえ方が非常にシビアな時期だったんです」

 地域の人たちに「怪しい若者が来た」と思われても仕方ない時期だ。そのため、看板は小さくし、読経のときは窓を閉め切った上「鳴り物」も控えめにと気をつかった。地域コミュニティへは「目立たず、はしゃがず」参加するように心がけたそうだ。

本堂内、須弥壇(しゅみだん)の前で

「ほどほどの距離感」大切に手間を惜しまず

「ファーストコンタクトのときには厳しい言葉をおっしゃった地元の方も結構おられましたが、実際に住み始めて、時が経つにしたがい『怪しくない』とわかってくださる方が増えてきました」

 そのような経験が「いい勉強になった」と石上さんが振り返る。

「肯定派」は、子どもの頃に寺の境内けいだいで遊んだ記憶があるなど、広く寺というものの印象がもともと悪くなかった人たち。「否定派」は、言語化できない拒否感を持つ人たち。そして最も多いのが、その「中間派」の人たちだと、身にしみてわかった。
 
「肯定派」を増やしていくためのキモは、「急がば回れ」だったようだ。石上さんは、先にも書いたように目立たないように心がけながら、粛々と活動をした。

 仮の本堂開設2、3年後に墓地の分譲を開始した。購入者には浄土真宗本願寺派に特段の興味のない向きも多かったが、その人たち一人ひとりに法話会の案内ハガキを郵送する。その法話会に参加する人を駅まで車で迎えにいく。法話は「布教使」の僧侶に来てもらい、例え話や時事ネタをまじえ、「我々人間のおこないと浄土真宗の教えの相対を切り口に、仏様のありがたさのようなことをお話ししていただく」など、いわく「(仏教との)濃すぎず、ほどほどの距離感」を信条とした。

完全バリアフリーの墓地
永代供養墓。33回忌まで骨壺で預かる「収蔵」と、すぐに合葬する「合祀」の形式がある

 実は「大河ドラマ検定」の2級を持つほど大河ドラマ好き、歴史物やトラベルミステリーを愛読、相撲・野球・プロレスの観戦も好き、坊守ぼうもりさんともども目下3人の男の子の子育て中。
 さらに、草加青年会議所(JC)の活動をしてきて、理事長まで務めた。地元の異業種の友人が大勢いる。「世間知らずの自分に本当にいろいろなことを教えてくれました。一生の財産です」
 そんな石上さん自身の多くの「引き出し」も、法話会の参加者との何気ないやりとりに生かされているに違いない。

 名実ともに宗教法人として認められた後、2009年に現在の本堂が落慶らつけいした。それから11年経ち、ご縁の方が大幅に増えた今も、一人ひとりへの「案内郵送」にこだわっているという。手間暇を惜しまず、石上さんの人となりを見せる姿勢を貫いているのだ。コロナ禍までは、出席者が50人以上にのぼることもあったという。

40歳までJCの活動に熱心に取り組んだ。「今ではすっかり草加が私の地元」

大人気の「お寺deマルシェ」をきっかけに

〈想像の斜め上をいく楽しさ〉
〈個性あふれるお店がたくさん! 時間を忘れるほど楽しめる!〉
 参加した人がこう書いたブログがあがっている。
 草加光明寺のイベントで、大人気を得ている「お寺deマルシェin光明寺」のことだ。

「当寺の駐車場で、無農薬野菜や手作り味噌、ハンバーガーから、プリザーブドフラワーなどの雑貨まで15店ほどが出店されて賑わうんです」

 と石上さん。「おてらdeマルシェ」は知人の紹介で知り合った女性が発案し、2017年から年に2回、春と秋に開催している。実行委員会形式で、発案者がまとめ役もしてくれており、石上さんはサポートの立ち位置だが、お寺を会場とするからこそのメニューを付加した。

 春は「甘茶かけ」、秋は「念珠ねんじゆづくり」。
 甘茶かけは10時から15時半まで、一日中。念珠づくりはワークショップ形式で。
 
 マルシェへの来場者の大半は、お寺が会場であることを意識せずにやってきた人たちだ。彼ら彼女らに、「なんだか面白そうなことをやっている。自分も参加してみよう」と思わせ、「仏教の入り口」に導く。中には「念珠って何?」と全く知らず、ブレスレットの感覚で作り始めた人が、法具としての興味を持つに至った例もあるという。

「どなたでもお越しいただけます」 とのことで、回を重ねるごとに賑わいが増してきていたが、2020年のコロナ禍では中止する英断。今は、コロナが収束し、マルシェを再開できる日を待つばかりだ。

2019年のマルシェの様子
実行委員会のメンバーと

 最後に、今後の方向性を訊く。
「お墓をお求めの方も、法要をご依頼の方も、法話会からマルシェまでイベントにお越しになる方も含め、穏やかに連帯できる関係を築いていきたいですね。『月に一度はお寺参りを』といった具合に、どのような形でも気軽に足を運んでくださるお寺を目指します」

 取材後、境内地に広がる墓地を一回りした。空が広く、周囲に緑もいっぱい。鳥の鳴き声が聞こえる中、きちんとした区画に端正な墓石が並び、清々しい。あ、と思った。供花が多い。ということは、お参りの人が多いのだ。この日もウイークデーなのに、数組の墓参者とすれ違った。ひと組は、「こんにちは」と庫裏くりに入っていかれた。

お寺の建物の中にあるキッズルーム。元小学校教員の坊守さんの発案で設けた
整然としたなかに供花が鮮やかな墓地
お寺画像
埼玉県草加市
光明寺

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井上 理津子

奈良市生まれ。ノンフィクションライター。近年は、戦後史、墓、大衆文化などをテーマに執筆。『葬送の仕事師たち』『いまどきの納骨堂』『親を送る』『さいごの色街 飛田』など著書多数。日本文藝家協会会員。長く大阪を拠点にしていたが、2010年から東京在住。

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