お坊さんと税理士。二足のわらじで大活躍 – 阿弥陀院住職 河村照円さん(茨城県石岡市)
2019.06.19
取材・文 井上理津子
何を聞いてもいい、ホンネを言っていい
「真言宗は平安時代に空海が開き、高野山を道場としましたが、高野山派、東寺派、醍醐寺派など『古義真言宗』と、智山(ちざん)派、豊山(ぶざん)派など『新義真言宗』に分かれるんですね。かんたんにいうと、鎌倉時代に意見の対立が起こり、覚鑁(かくばん)さんが『争うより、山を下りよう』と、高野山を下ります。高野山に残ったほうが、今でいうところの『古義』、下りたほうが『新義』ですね。
高野山を下りた覚鑁さんは、和歌山県内に根来寺(ねごろじ)を開きます。でも、その根来寺が勢力をもつようになって、秀吉に焼き討ちされる。大変だ、と焼き討ちから逃げるために、1人のお坊さんは弟子たちを連れて奈良の長谷寺へ入って豊山派に、もう1人のお坊さんは京都の智積(ちしゃく)院に入って智山派になったんですね。当山は、智積院が本山の智山派です」
阿弥陀院に着くなり、「ええっと、真言宗智山派というのは?」と、まず聞いた時の説明がこうだ。平易な言葉。噛みくだいた表現。なんとわかりやすいんだろう。興味がわき、「とすると、分派によって、お経はちがうんですか?」と続けて聞く。
「棒読みのところは同じですが、節をつけて唱える声明(しょうみょう)は音程などずいぶんちがいますよ」
肩のこらない語りを得意とする人だ。真言宗智山派、茨城県石岡市の福力山福田寺阿弥陀院の住職、河村照円(しょうえん)さん(40歳)。
両脇にツツジが咲く、49段の石段を上がった高台に立つ本堂に、本尊・阿弥陀如来が鎮座する。参詣者が「勝手に貼っていく」そうで、参詣記念の紙札がペタペタと貼られている。その裏手に足をのばすと、筑波山と、連なる穏やかな山々が見わたせ、墓地が広がる。鳥たちのさえずりが聞こえる中、近年、新設したという立派な永代供養墓とペット供養墓も目にとまる。
「どちらも要望があって檀家制度の『外枠』としてつくったんです。永代供養墓は、跡継ぎがいないわけでなく『子どもにお墓参りの負担をかけたくないので、自分はここでお寺に供養してもらう』という方や『姑と同じお墓に入りたくない』という方の予約が多くて、意外でした」
この寺ではホンネをうちあけていい。人々にそう思わせる雰囲気があるのだろうか。
境内をめぐると、掃除が行き届いていることが一目瞭然だ。檀家の人たちから「照円さん、自分たちでできることは自分たちでするっぺ」と申し出があり、20人も集まって掃除する日もあるという。「照円さん」と呼ばれるこの住職は、周りの人たちから愛されまくっているようだ。
20代で2度の「どん底」を経験
照円さんは税理士、行政書士でもある。超難関の税理士試験に24歳で合格した。
寺の後継者として、自身が描いた兼職の「設計図」どおり順風満帆に歩んできたのだろうか。
「いえ、全然そうでなくて。私、どん底を2回、経験しているんです」
順を追って話してくれた。
小学1年生から習ったそろばんが大好きだった。「珠算競技大会」で全国3位に入賞するなど、めきめきと頭角をあらわした。子どもの頃、祖父が住職で、父は教員と兼職の副住職。「いつか、自分も兼職してお寺を継ぐんだろうな」と思っていた中学生のとき、寺に税務調査が入ったのが、税理士をめざしたきっかけだという。
「それまで、宗教法人は非課税だから税務調査の対象にならないといわれてきましたが、平成の初めごろに全国のお寺に一斉に調査が入ったんですね。うちのお寺への調査も、そのタイミングでした。正しくは、布施収入などは非課税でも、お寺から給料をもらう形である住職はサラリーマンと同じように所得税や住民税を納めないといけないのです。ちゃんと知って納税していれば、ペナルティを払うこともないと知って、自分は税理士になると決めたんです」
高校時代は会計の専門学校にも通い、卒業時にはすでに簿記1級を所持。そろばんの実力を「一芸入試」で選抜され、京都の私大の経営学部へ進んだ。1、2年次こそ「ふつうの大学生活」を送ったが、3、4年次は受験勉強にはげみ、在学中に税理士試験4科目に合格。資格取得まで「あと1科目」を残すのみで、卒業した。
「父と約束していて、大学卒業後の1年間、本山(京都の智積院)に修行に入ったんです。宗門の大学に進んで4年間縛られるより、一般の大学に行って1年間(修行を)我慢するほうがいいと自分で選んだ道でしたが、あのときの私にはすごくキツかった」
この修行の初期が、1度目の「どん底」だ。
初日は朝2時に起床。連日、座学・実技にくわえ、掃除や本山の雑用がびっしり詰まっていた。30人の同期がいたが、携帯電話もテレビもパソコンも、ひとときの自由時間もない。「宗教って何だ?」「なぜ剃髪が必要?」「なぜ儀式にルールが必要?」と懐疑心ばかりがうずまく。寮の窓から「きらびやかな京都タワー」が見えて肩を落とし、カレンダーを見て「(修行が終わるまで)あと300何日」と数える……。
「やがて、このままじゃダメだと思うようになったんですね。ゴールは1年後なんだから、抵抗してもしかたがないと。貴重な1年間だと前向きにとらえ、勉強しようという気持ちへと変わっていったんです。あとから思うに、実家のお寺や檀家のことを考えず、自分のことだけを考えていられた、ぜいたくな1年間でした」
翌年3月末に修行を終了し、僧侶の資格を得る。「約束を果たしたぞー」という気持ちだったが、続けて8月の税理士試験に向けて猛勉強する。その試験も終わり、「業界の勉強のためにも東京の会計事務所で30歳くらいまで働き、茨城に戻る」という計画を立て、東京で就職活動をはじめた矢先、予想だにしなかったことが起きた。祖父から住職を継いで4年目の父が急逝したのだ。60歳だった。
2度目の「どん底」。
「亡くなった現実も受け入れられないのに、喪主としてお葬式をやらなきゃならなかった。東京で就職、という自分のやりたいことがいきなり断たれた上、住職になるための煩雑な手続きも待ったなしで」
逝去後、日を置かずに「密葬」(一般的な葬式を指す)をおこなう。そして、1か月半後に「本葬」を行うのが、宗門のしきたりなのである。本葬は、約10人の近隣の寺の住職によって営まれる大規模なもので、49枚もの塔婆(とうば)を用意しなければならなかった。その準備だけでも大変なのに、新住職の就任儀式も兼ねるため、諸手続きを本葬までに済ませる必要があったのだ。
「気持ちがまったくのらないのに、無我夢中で関係各所に押印のお願いに行く日々でした。強度のストレスを受けると、生存本能がはたらくのでしょうか。川の流れに身をまかせるしかない。川が海に到達すると、その先にめざすものがあるのかと、やがて思えてきて。東京での就職の道は絶たれたけれど、この状況にやりたいことを載っけていくには、どうすればいいのだろうと考えるようになったんです」
結果、照円さんは寺の仕事と両立させるため、茨城県内の会計事務所に就職した。このときの「どん底」によって、もう1つの得難い経験をする。
悲しみの渦中にいる「当事者」の経験である。葬式でかけてほしい言葉、かけてほしくない言葉。僧侶や参列者の立ち居ふるまい。言葉や行為が、遺族の悲しみを和らげるとも、心を踏みにじるとも、身をもって知ったのだ。さらに、「相続を専門にする税理士でやっていこう」と決意を新たにできたという。
2度の「どん底」とも、見事にプラス思考に転化させたのである。
「おじいちゃん探検隊」――地域掘りおこしは寺の存在意義
27歳で自宅に事務所を構え、税理士、行政書士として独立して14年になる。住職と税理士を兼職する若手だからこそできる、寺を軸にした「冒険」をくりひろげてきた。
異彩を放つのが、「おじいちゃん探検隊」の活動だ。
「檀家のお年寄りたちから『近くの山の中に7つの石が眠っている』といういい伝えを聞いていたんです。調べておかないと、その話が歴史に埋もれてしまうじゃないですか。案内してもらって、木が生い茂る山に入ったんです。おじいちゃんたち、歩きながら『昔、ここで遊んだな』と思い出を語り、イキイキしだしました」
見つかったのだ、山の中にその7つの石が。平べったいのは「畳岩」、舟のような形の「綿岩」……。おじいちゃんたちは、石の名前も思い出した。道中に洞窟もあった。ワクワクするじゃないか。「もう1度」となり、小学生もまじえて10人ほどの探検隊を10回ほど結成し、のべ100人以上が「7つ岩」を見に行ったのだという。
「世代を超えて、お年寄りの経験知を教えてもらうって、地域の宝物ですよね。『昔は山がきれいだった。落ち葉を拾って燃料にしていた』との何気ないおじいちゃんの言葉から、荒れちゃってる山への意識が変わったし。この探検は、もうお寺の手を離れて町の活動へと引き継がれましたが、こうした地域掘りおこしは、お寺の存在意義だなと思うんです」
7つ石のある山に埋もれそうになっていた「お不動さん」を、寺で「預かっている」のだともいう。目下、エリアの「区」で、山を掃除し、桜を植えようと協議されている。「お不動さん」を山へ戻す体制が整うのを待っているらしい。
ほかにも阿弥陀院では、地域と寺、仏教的な考えかたを結ぶユニークな企画がめじろおしだ。
門前の掲示板に、「まちがい探し」の絵を貼った。「まちがいを見つけたよ」と小学生が毎日、照円さんの事務所にやってくるようになった。それがきっかけで思いついたのが、50年ぶりに復活させた8月の「万燈祭(まんとうさい)」での「お寺◯×クイズ」。
〈阿弥陀院には、定休日がある〉
〈阿弥陀院には、お地蔵さんが6体ある〉
そんなクイズを出し、参加者に◯×で答えてもらい、短い法話や境内の案内につなげるそうだ。流しそうめん、かき氷、カラオケ大会、そしてときには「袈裟ファッションショー」といった出しものもする「万燈祭」での大人気の企画に発展した。
さらに、照円さんの人柄が分かるのが、「ダイエットを始め、半年で約9キロ落ちました」「外に出かけたくなりますが、花粉だけは苦手です」などと、クスッと笑える短い挨拶からはじまる「阿弥陀院だより」(年4回発行)だ。最新号には「四国88ヶ所巡り」「茨城の札所寺院5ヶ寺参拝」の案内、2歳の娘さんとのやりとりからはじめる「仏教のお話」……。税理士ならではの「プチ相続講座」もあり、ひきつけられる。
話すほどに、照円さんの目の輝きが増す。あれもこれもの活動がじつに楽しそうだが、税理士、行政書士の仕事との両立は厳しくないのだろうか。
「昔は養子を迎えてでも家を守っていく時代でしたが、今は事情がちがってきていますでしょう? お寺との関係もお墓も、相続問題に直結する場合があるので、両方の仕事は“地続き”なんです。税理士の仕事では“お寺目線”が評価され、決算のお手伝いをするお寺が全国に増えました。おかげさまで視野も広がります」
と、ますます声が弾んだ先に、こんな言葉があった。
「来た人みんなが笑顔になっていくお寺にしたいんです。いろいろ取り組んできましたが、4年前に結婚して、子どもができ、私自身が関心を持つ分野が増えました。妻が栄養士なので、いつか境内で常設のカフェを開きたい――って、これはまだまだ先の夢ですが」
いつかその夢が実現したときには、「照円さん、おれたちも手伝うっぺ」という人たちが、今以上に集まってくるにちがいない、と思った。