まるで親戚のように付き合える「楽しいお寺」 – 茨城県石岡市・阿弥陀院の檀家さんに聞く
2017.05.24
茨城県石岡市 真言宗智山派 阿弥陀院の檀家さんのお宅にお邪魔して、「お寺のある生活」についてうかがいました。
長女は住職の大ファン!お盆以外でも行きたくなるお寺
阿弥陀院からは少し遠方となる、東京都北区の住宅街にある清水さんのお宅では、清水英介さんと奥様とお母様、そしてかわいい長女の美晴ちゃんの4名が温かく迎えてくださいました。和やかな雰囲気の中、明るい話題からインタビューが始まりました。
娘が住職の河村照円(しょうえん)さんのことが大好きなんですよ。先日の三回忌のときも、照円さんの隣にべったりとついてずっと話しかけていました。娘は通う学校がキリスト教系なので、お坊さんである照円さんと最初はどう接していいかわからなかったようですが、とにかく優しいので親しくなったみたいです。
(美晴ちゃん)何でも聞いてくれるし、いろいろ話してくれる。三回忌の後は七回忌だから、照円さんに会えるまでに間が空いちゃうのがさみしい。
お盆やお彼岸でも会えるから大丈夫だよ。
子どもに好かれる河村住職は、子どもがお寺で楽しみ・学べる機会を大切にしています。今や毎年恒例になっている阿弥陀院の夏祭りは、戦後に一旦途絶えていたそうですが、地域の方々の要望により平成になってから復活。清水一家は2016年に初めて参加し、親子ともども大いに楽しんだそう。
カラオケ大会や、盆踊り、そうめん流し、くじ引きではお米が当たったりなど、とても盛り上がっていて子どもからお年寄りまで楽しめるイベントでした。地元の人が多く集まっていたし、東京からの参加者も少なくなかったです。
(美晴ちゃん)お寺は楽しいです。来年はお祭りでピアノが弾きたい。
阿弥陀院とは母方のお祖父さんからのお付き合い。2015年のお父様の葬儀でお世話になったのがきっかけで、河村住職と親しくなりました。阿弥陀院とのご縁ができて、今までお寺に対して持っていたイメージも、だいぶ変わったようです。
お寺といえば、やはりお葬式やお盆以外にはご縁がないイメージでした。しかし阿弥陀院では様々な催しがあり、お盆以外でも「いつでもいらっしゃい」と迎えてくれる姿勢なので、すごく近しく感じるようになりました。やはり、お寺の印象や良し悪しを決めるのは住職さんなのだと思います。
(美晴ちゃん)照円さんは、お寺の鐘をいつでも鳴らしていいよと言ってくれます。
照円さんは慣習にあまりこだわらず、子どもに対して優しい方なんです。
まるで親戚のようなお付き合いで、法事も葬儀も安心
2015年にお父様を亡くされた清水さん。阿弥陀院でのご葬儀はどうだったのでしょうか。
お通夜の際、お経をあげずにずっと御詠歌を続けていてびっくりしました。普通だと御詠歌は少しだけでお経に移るイメージでしたが、ずっと御詠歌ばかりで終わりました。照円さんに理由を聞いたら、それはこの方が良いと思ってやっていると言われたんです。それはもう住職の考え方なので、一つの在り方として良いと思いました。ただ、予備知識がなかったので、はじめは少しだけ動揺しました(笑)
戒名をつける過程も印象的だったそうです。
私の父が亡くなり、照円さんが枕経でいらっしゃったとき、戒名をつけるために故人の生前の趣味や人柄、長く続けていたこと、生活信条など詳しく聞いてくれました。そうやってついた戒名だったので、気持ちがこもっているし、覚えやすい。適当につけてしまわずに丁寧に対応してくれたことが嬉しかったです。
お布施についてのお考えはどうでしょうか?
戒名について、照円さんから金額の話を言われることはありませんでした。阿弥陀院でお金に関する不安はないですね。
法事のお布施については、親戚に聞いたりインターネットで調べた相場金額に気持ちをのせておさめていました。照円さんに聞いてみると、金額の多寡によってやることを変えるわけではないし、それは気持ちなので気にしないでくださいと言ってもらえました。
河村住職だけでなく、お寺の家族とも良いお付き合いをしているというお話しもありました。
照円さんには税理士としての仕事もあるので、日常的なお寺の切り盛りはお母さんが中心的に請け負っているところがありますが、お母さんにはいつも心温かく対応していただいています。「今年のお盆は海外旅行するから、お寺にお参りできないよ」と言っても、一つも嫌な顔をされません。それどころか色々と融通をきかせてくれて、いつも助けられています。親戚がひとつ増えたような感じですね。
お寺にお世話してもらい、納得の”Myお墓”を建立
阿弥陀院にお墓を建てる際にも、河村住職にお世話になったそうです。
お墓を作るとき、ネットで調べたら安いものがたくさん出てきましたが、安い石で建てて後でひびが入っても保証はないと聞きました。そこで照円さんに相談したところ、いくつか石屋さんを紹介してくれました。その石屋さんに、石にひびが入ったらどうするかと聞いたら、「阿弥陀院さんの檀家さんですし、もしひびが入ったり倒れたりしたら、うちで何とかします」と言われました。何かあれば照円さんが直接石屋さんに話してくれるでしょうし、安心してお任せしました。
眺望がよく、わざわざ行きたくなるお墓
色々とこだわって建てたという阿弥陀院のお墓はいかがでしょうか?
昔から親戚一同お世話になっていたので、阿弥陀院にお墓を持つことは自然な流れでした。実家からも近いし、立地がいいです。自宅からお墓までは車で1時間くらいかかりますが、1時間かけて”わざわざ行く”というのが良い気がします。季節にはあまりこだわらず、行けるときに行くようにしていて、車にはいつもロウソクとお線香が積んであります。阿弥陀院のお墓は筑波山が目の前にどんと見え、栗の木もあって雰囲気が最高なんです。ちゃんとしたお墓を作ったことで、お墓参りに行きたい気持ちが湧いてきます。「Myお墓」という感じで、満足しています。
日々の祈りは”お願い”ではなく、感謝を大切に
ご自宅に仏壇も神棚もあり、祈りが日常に根付いている清水家。祈りを大切にしているからこそ、「ご利益」にあやかろうとする過度な願いの風潮に違和感を覚えるそうです。
時代のせいか、「我良し」という考えの人が増えている気がします。護摩焚きや神社などに行くと、”お願い”モードが強くて怖い感じがあります。親が病気だとか、お金がないとか、祈った人の悪い気がいっぱい飛んでいるような気がして。そして自分だけお願いしておいて、良くなったらお礼もせずにそのままという人も多いと感じます。何も返さないと、結局悪いことが自分に返ってきてしまうのではないでしょうか。だから娘には、お寺や神社などで「お願いはしちゃいけないよ」と教えています。”今日も生きている”ということに、ただ感謝するべきなんです。
「死」について相談できるお坊さんが近くにいる有り難さ
清水さんは59歳とまだまだ若いですが、終活には熱心に取り組んでいるそうです。
自分の意志を残しておかないと困ることがあるから、エンディングノートを書いています。特に大事なのは、入院した時の延命措置だと考えています。例えば、のどに物が通らなくなり管につながれた状態になったら延命をやめてほしい、等と決めておかないと家族がしのびないです。本人が意志を残しておけば、家族としても行動をとりやすいですよね。
エンディングノートを書くことによって、いい加減だった記憶が整理されていきます。例えば小学校を卒業した年なんて覚えていませんでした。「死ぬまでにやっておきたいこと」という欄もありますが、本当にやりたいことって案外少ないことに気づきましたよ。
死について深く考えたくなったときにこそ、お坊さんは頼もしい存在となります。
二十歳くらいの時から死んだあとはどうなるのか気になって考えていましたが、死生観について尋ねられるお坊さんは必要だと思います。菩提寺のお坊さんと親しくなれて良かったです。もし、普段から疎遠のお坊さんだったら、葬儀も法事もしなくて良いという考えになっていたかもしれません。照円さんとの近しい付き合いは子どもたちへもつながっていくでしょうし、出会えてよかったと思っています。
「入りやすいお寺」を見つけて行ってみましょう
最後に、お寺とのお付き合いについて、まいてら読者へのメッセージをお願いします。
阿弥陀院は、上から目線ではないから親しみやすいです。お寺って「怖い」「行きにくい」とか、「お布施の話が厄介」と思われがちですが、そういうことを言う前にまずは行ってみるのが良いと思います。阿弥陀院は駐車場が停めやすいし、入り口が広い。門が堂々と構えていて入りにくい駐車場だと、セキュリティ上は良いのかもしれませんが、「知っている人しか入ってはいけない」と思ってしまいます。阿弥陀院はオープンで入りやすくて、”いつでもどうぞ”という感じがあります。近くにそういうお寺さんを見つけて、まずは行ってみるのが良いのではないでしょうか。