お盆はわたしたちのやさしさを再生する – 長谷寺 住職 岡澤慶澄さん【教えて!お坊さん】お盆に込める想い②
2020.07.28
お盆を迎えるにあたり、さまざまなお坊さんにお盆に込める想いを語っていただくインタビューシリーズ。第2弾は長谷寺の岡澤慶澄住職(長野・真言宗智山派)にお話をうかがいました。
岡澤慶澄(おかざわけいちょう)
昭和42年長野県生まれ。平成4年、真言宗智山派総本山智積院智山専修学院卒業。平成19年より長谷寺住職。本尊十一面観音の本願である慈悲心を、「いのり・まなび・であい」というキーワードに活動している。
お盆の由来「目連伝説」で説かれている真意は…
お盆は、日本古来からの祖霊信仰と仏教が融合してできあがりました。特に『盂蘭盆経』の中にある、目連尊者の伝説が由来だとされています。目連尊者はお釈迦さまの十大弟子のうちの一人で、この目連が、施しの功徳を積むことで、餓鬼道に堕ちた亡き母を救い出すという伝説です。「目連尊者のお話というのは、とても現代的でもあるんです」と語る岡澤さんいわく、そこには「分かち合い」の大切さが説かれているとのこと。
「目連のお母さんは餓鬼の世界で逆さ吊りにされて苦しんでいるのですが、実はこの話の背景には、『自分の子どもさえよければ』という、わが子への愛が高じた母の妄執があります。目連のお母さんは、わが子以外の修行僧に食べ物の施しをしなかった。その行いのために餓鬼世界に堕ちてしまったのです。また目連自身も頭がよい人で、相手を論破しては敵を増やすような人だったようです。そんな弟子に対してお釈迦さまは『すべての修行僧に食べ物や飲み物を施しなさい』と言う。奪い合いではなく、分かち合いの大切さを説いているんです」
こうした考えは、いまのお盆行事の中にもしっかりと息づいています。お盆では、自分のご先祖さまだけでなく、餓鬼道に堕ちてしまったすべての霊にお供え物をし、供養をします。わが家の先祖だけでなく、自分たちに直接縁のないさまざまな死者に向けて、想いをはせるのです。
お盆行事はわたしたちの中のやさしさを再生する
岡澤さんは、歌手の中島みゆきさんの「帰省」という曲の中で、お盆という行事の本質が歌われていると考えます。「聞いた瞬間に、帰省先でのお墓参りや盆踊りなど、お盆独特のゆっくりとしたやさしい風景が目に浮かびました」という歌詞世界について、詳しく語ってくれました。まずは「帰省」の歌詞を見てみましょう。
遠い国の客には笑われるけれど
押し合わなけりゃ街は 電車にも乗れない
まるで人のすべてが敵というように
肩を張り肘を張り 押しのけ合ってゆく
けれど年に2回 8月と1月
人ははにかんで道を譲る 故郷(ふるさと)からの帰り
束の間 人を信じたら
もう半年がんばれる
「帰省」作詞:中島みゆき
「8月と1月としているところにこの曲の深い魅力があります。8月はお盆、1月は正月ですよね」
お盆は自宅にご先祖さまを迎え、お正月の初詣では神社にまつられる土地の神様にお参りにいきます。テレビやニュースではこうした風景を毎年目にしますし、実際に帰省した先でこうしたいとなみに身近に触れる機会もあるでしょう。
「ふだん自分のことばかりにとらわれて忙しくしている人たちも、お盆の時期の故郷では時間がゆっくり流れ、心がやさしくなります。『この期間くらいだけは生き物を大事にしよう』『死者に想いを向けよう』『お供え物をしよう』そうやって過ごすのがお盆です。いまでこそ毎年のように何気なく行われていますが、お盆は「分かち合い」の大切さを説く経典がベースにあります。目連はやさしさが足りなかったし、目連の母はわが子だけへの愛が強すぎた。もっとおだやかに、おおらかな寛容さを持ちなさいよとお釈迦さまは説いているわけです。お盆の行事に触れることで、亡き人やご先祖さまへ想いを馳せるだけでなく、目連尊者の伝説が教えてくれた分かち合いの大切さを追体験でき、わたしたちの中のやさしさがそのつど再生される。そのことを中島みゆきさんは端的なことばの歌詞世界で表現してくれているのです」
はじめは難しく考えず、伝統的に受け継がれているお盆行事を形式として体験してみてはどうかと岡澤さんは提案します。
「まずは各地の風習を参考にしながら、生活の中にご先祖さまを取り込んでみることです。送り火や迎え火、精霊棚や盆提灯。お墓参りに盆踊り。意味はよく分からなくても、季節の行事としてやってみるだけで、楽しくお盆を過ごせます。ことばで説明すると野暮になる。体験してみることで、お盆の雰囲気やご先祖さまの存在を身近に感じることができます」
次回は、定義如来西方寺の大江田住職にお話をうかがいます。