家族 ‐ 阿弥陀院 住職 河村照円さん(茨城県石岡市)
2016.09.21
現代の世の中を、軽やかに、そして力強く生きていく上でのヒントとなるような「ことば」をお坊さんにご紹介いただくこの連載。第五回目にご登場くださったのは、茨城県石岡市の真言宗智山派・阿弥陀院住職の河村照円さんです。
今回、河村さんが選ばれたのは「家族」の二文字。曼荼羅をヒントに、世界全体を巨大な家族として見ることができれば、争いごとは自然に消えていくのではないか、と河村さんはおっしゃいます。
世界平和への第一歩としての曼荼羅理解は、いまの日本を生きる私たちにこそ、必要なものなのかもしれません。ぜひ、じっくりと味わってくださいませ。
曼荼羅の世界観は「家族」を考える上での大きなヒントになる
河村照円 (かわむら しょうえん)
税理士・行政書士の資格を持つ住職。24歳の時に父である先代住職が亡くなり、相続を経験する。現在はその経験から相続にまつわる相談を多く受けている。読経の声が良い、話を親身に聞いてくれる、などの評判。
私のお寺では、毎朝、両部曼荼羅(※)の前でお勤めをいたします。両部曼荼羅は、胎蔵界をあらわしたものと、金剛界をあらわしたもの、ふたつの曼荼羅で構成されています。このふたつは、それぞれに母性と父性をあらわしている、などと解説されますが、なるほど、確かに、曼荼羅の世界観は、「家族」というものを考えていく上で、大きなヒントを与えてくれるなあ、と思うのです。
※日本密教の中心仏である大日如来を中央に描き、さらに数々の仏を一定の秩序に従って配置したもの。胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅のふたつで構成される。両界曼荼羅とも言う。
不都合な面も宇宙の多様性の表現のひとつ
曼荼羅には、多種多様な仏さまの姿が描かれています。うつくしく、穏やかな面貌の仏さまがいらっしゃるかと思えば、一見すると悪役のような、恐ろしい見た目の仏さまの姿もあって……。その全体でひとつの「宇宙」をあらわす曼荼羅は、非常におおらかで、懐が深いものだなあ、と感心します。それと同時に、お互いの多様性を認め、そのまま受けいれていくことの大切さに気づかされます。
家族というのは、ひとりひとりの人間の集まりです。生活を共にする中で、当然、いろいろな部分が見えてきます。自分にとって不都合な面を相手に見せられることも多々あるでしょう。しかし、それすらひとつの個性であり、宇宙の多様性の表現であると思える心の余裕を持つことができれば、お互いを尊重し合って、穏やかに暮らしていくことが可能になってくるのではないでしょうか。もちろん、そう簡単なことではありません。しかし、少なくとも、それを目指した生き方はしていきたいな、と、私自身、肝に銘じた上で、日々の生活を送るように心掛けています。
ほんとうの意味での「無敵」な人とは?
すべてをそのまま認め、受けいれていくことができる人こそが、ほんとうに強い心を持つ人、つまりは「無敵」な人なのではないかな、と私は思います。無敵というのは、文字通り、敵という概念が心の中に存在しない状態、ということです。「善」や「悪」、「味方」や「敵」という対立を描きこまない曼荼羅の世界観は、まさしく、平和の象徴であると言うことができるのではないでしょうか。
まずは世界の構成要素の最小単位である自分の家族に対して、曼荼羅的な世界観をもって心を込めて接していく。次にご本尊を中心とした大きな家族である檀家さんたちのコミュニティでそれを実践していき、その次に地域全体で、その次に……と、徐々にその範囲を広げていくことができるのなら、そしてこういう風に生きていく方の数が少しずつでも増えて行くのなら……。戦争のない世界の実現は、その先に待っていてくれるような気がするのです。