戒名は人柄で決まる?意味・戒名料など、戒名の基本【教えて!お坊さん:戒名①】
2021.06.04
お仏壇やお墓で必ずといっていいほど目にする戒名ですが、
「どうして必要なのか」「どのように文字が決まるのか」
「戒名の位によって何が変わるのか」
「戒名とは人柄で決まるのか?」など、
わからないことばかり。
世間では、戒名不要論や戒名料をめぐるモヤモヤも耳にします。
多くの人が感じているこうした疑問を、お坊さんたちに聞いてみました。宗派をこえ、さまざまな現役のお坊さんの声を直接お届けできる「まいてら」ならではの、「戒名のキホン」をお伝えします。
戒名は人柄や生き方で決まる?戒名をもらうと何かいいことがあるの?
戒名には、その人のパーソナリティや人生観がギュッと凝縮されています。生きている人にとっては、過去の自分をふり返り、未来を生きる指針となり、まさに戒名は人生(生き様)のコピーライティングと言えます。
亡くなった人に授けられる名前だと思われがちな戒名ですが、本来は師匠から出家者につけられる名前のことで、生きているうちに授かるものです。
いまでも生前の戒名授与を行う宝泉寺の伊藤信道住職(愛知県・浄土宗)は「戒名は生きる杖」だとします。「戒名には、師匠から仏弟子への『こうした気持ちでがんばっていきなさい』という願いが込められています。その人を表す文字を使いもしますが、ご夫婦それぞれにいつまでも仲良くしてほしいという想いから『友』の字を授けたり、忍耐力に欠けた人に『忍』の字を授けたこともありました。こうすることで、生き方が戒名に近づき、その人の杖となって人生を支えてくれるんですよ」
「お戒名は未来」と表現するのは本休寺住職の岩田親靜住職(千葉県・日蓮宗)。「生前戒名は、その後の人生をよりよく生きるためのもの。死後戒名は死者と生者をつなぎ、遺された家族や子孫の未来を支えてくれるもの。数世代先の人でも、戒名の文字を見て『ご先祖様はこんな人だったのかな』と想いを馳せることができます」
故人にとっては、その人の記憶を数文字に凝縮してくれる戒名が、後世とのつながりのきっかけとなってくれるのです。
まいてらでは、2019年に「100人で考える生前戒名ワークショップ」を開催しましたが、「戒名を授かることで名字という家の縛りから解放される」という点に参加者の多くがうなずいていました。また、両親からもらった名前に自分の生き様や人柄を統合して、「本当の名前」にしてくれるのが戒名であるという点についても、納得されている方が多くいらっしゃいました。
生きる指針。亡き人とのつながり。そして自分自身を表す本当の名前。こうした点が、これまであまり語られることのなかった戒名の魅力や奥深さといえます。
そもそも戒名ってどんなもの?
ここで、戒名の基本についておさえておきましょう。
【戒名の歴史と意味】
戒名とは、師匠が出家者に授ける名前のこと。仏教にはお坊さんが守るべき「戒律」という決まりがあり、出家の際にこれを守る誓いを立てることから「戒名」と呼ばれます。
戒名の始まりは、お釈迦様の生きていた古代インドとする説もありますが、現代日本の戒名の起源は中国に見られます。中国で死者につけられていた名前である「諱」が原型で、日本ではこれが戒名となって定着します。「名づけの文化」は日本でも古くからあり、昔の武将などは、必ず幼名や童名(源義経の「牛若丸」や徳川家康の「竹千代」など)から、次々と新しい名前を名乗っていきました。人が成長する過程ごとにつけられる名前、その延長に死者への戒名があるとも考えられているのです。
【戒名の基本構成】
戒名とは本来2字で表されます。「空海」「最澄」「親鸞」「日蓮」…。作家の瀬戸内晴美さんは出家して「寂聴」という戒名を授かっています。しかし死後戒名では、この2字に、院号、道号、位号といった称号が加わります。
◯◯院 △△ ◇◇ 居士(大姉)
院号 道号 戒名 位号
・院号:お寺に大きな貢献をした人に授けられる称号で、もとは寺院を建立した皇族や武士を顕彰するものでした。
・道号:戒名の上に付けられる2字のことです。かつての中国では本名の他に「字」をつける慣習があり、これが転じて現在の道号となっていったとされています。
・戒名:その人自身を表す仏教徒としての名前です。生前に用いていた名前を1文字使う、経本の中の文字を使うなど、さまざまなつけ方があります。浄土真宗では法名、日蓮宗では法号と言います。
・位号:戒名における階級です。お寺や社会への貢献度に応じてつけられます。居士/大姉、信士/信女、子どもには、童子/童女、孩子/孩女、嬰子/嬰女などがあります。
戒名はどのようにつけるのですか? 道号と戒名
実際の現場で、お坊さんたちはどのように戒名をつけているのでしょうか?
特に気になるのが道号と戒名の違い。ともに「その人を表す文字」があてられるそうですが、いったい何が違うのでしょうか。お坊さんたちが口を揃えたのは、「戒名はその人の個性や内面性、道号はその人が生きてきた環境や社会性を表す」というもの。個人と社会をひとつにして、仏としての名前を授かるのだそうです。
壽徳寺の松村妙仁住職(福島県・真言宗)は「戒名には『優』や『厳』など、お人柄や雰囲気にあった文字をあてます。一方で、道号は生前の功績や特技、生活環境などを表すことが多いですね。たとえば、会社の創業者の人には『興』の文字、山々に囲まれた生活環境の人には『峰』という文字などをつけたことがあります」と教えてくれました。
「道号には宇宙観を込める」と話すのは四天王寺の倉島隆行住職(三重県・曹洞宗)。宇宙観とは、山や川や海などその人を囲む自然環境のこと。「夜空に浮かぶきれいな月を道号にしたことがあります。その日は私の父の葬儀とお檀家さんの通夜が重なったのですが、お通夜の会場まで車を走らせていると、きれいな月が浮かんでいました。父とその方が同じ月を見上げてこの世界を旅立たれたのだあと、そのご縁をありがたく思えたのです」
宗派によっては、道号や戒名に開祖や高僧の一字を入れます。浄土宗西山禅林寺派の戒名には「空」、浄土宗鎮西派では「誉」の文字が入り、「空」は浄土宗の開祖である法然上人の戒名「源空」に、「誉」は浄土宗第5祖の定慧の「良誉」にちなんでいるのだそうです。また日蓮宗では、日蓮上人の「日」の字を用います。
「戒名は人から人へ、師匠から弟子へ授けるのが大原則。戒名の中で師匠と弟子が一体になるのですよ」と伊藤住職。
戒名の階級によって供養の内容が異なるの?
戒名には、位号や院号などの階級がありますが、すべてのお坊さんが「供養の内容に違いはない」と答えてくれました。
そして、もしご先祖様がいい戒名をもらっていたら、それに合わせないといけないのでしょうか。伊藤住職は、お寺として居士大姉を勧めることはないと話します。「お寺としては、信士信女でじゅうぶんですよとお伝えしています。ただその上で、ご先祖様の戒名に合わせて居士や大姉にしようかと迷われる方はいますね。そこはもう、ご家族のお気持ちです」
また浄土真宗では戒名ではなく「法名」と呼び、すべて「釋◯◯」の2字で表されます。階級のない、まさに平等の精神。阿弥陀如来さまの働きである『法』を信じる人はどんな人でも救われるという真宗の教えが表れています。ちなみに法名の2字の前につく「釋」は、お釋迦様(釋尊)の弟子という意味です」と、教西寺の三宅教道住職(愛知県・浄土真宗本願寺派)。「でもその人を表すには2字では足りないことも…」と、真宗僧侶ならではの本音もあるようです。
戒名料はない? 戒名とお布施の関係
戒名の階級によって包むべき戒名料が変わるという話をよく耳にしますよね。しかし「戒名料なんて存在しない」と話すお坊さんは少なくありません。
本来の戒名は、元気なうちに授戒会などの法要に参加して、仏弟子となった証として授けられるもの。伊藤住職は「法要に対してのお布施はお寺に納めてもらいますが、戒名に対して支払われる費用はありません」と、自身の経験から話します。
では、なぜ「戒名料」という考え方が一人歩きしているのでしょうか。岩田住職は「あらゆるモノやサービスにも価格をつけてしまう現代人の価値観が大きく影響しているのではないか」と考えます。行き過ぎた資本主義が、お葬式から戒名までもを買い物すべき商品にしてしまったのかもしれません。
日頃のお寺との関わりの中で交わされていた戒名やお布施も、今の時代ではお葬式の中で突然遺族に迫ってきます。戒名の意味が分からないままただ高額なお布施を求められると、不信感を覚えてしまう気持ちも分かります。岩田住職は「お布施はあっても戒名料はあってはならない」と、その違いを次のように話します。
「お布施には包む人の心が反映されますが、それを戒名料と称してしまうと、戒名がたちまち『商品』に変わってしまいます。本来、戒名とは仏教の教えに沿って生きていくことの証。お金で買うものではなく、生き方に悩み苦しむ人と僧侶との対話や信頼関係によって成り立つものなんです」
実際の現場で伊藤住職は、あくまでも目安として地域の相場を伝え、その上でいくら包むべきかはお檀家さんに委ねます。「実際に経済的に困窮している人には『無理しなくていいよ』とお伝えしますよ。ましてやいくら包んでくださいと請求することなんてありえない」とのこと。
また、岩田住職も「戒名には階級だけでなく文字数の違いもありますし、お檀家さんのお寺や社会への貢献度など、さまざまな要因を加味して授けます。その上でお布施の目安をお伝えすることもありますが、それは目安でしかなく、定価ではないのです」と、お布施の金額はご家族の『心』が決めるものとします。中には、お気持ちから相場以上のお布施を包んで下さるケースもあるのだとか。
そしてお二人とも、「金額によって供養の内容が変わることはありません」と、同じ想いを口にしました。
※戒名料について詳しくはこちらの記事「戒名料についてお坊さんがホンネの覆面座談会」をご覧ください
戒名って自分でつけてもいいの?
戒名を自分でつけた人は、過去に何人もいます。有名なところでは、作家の山田風太郎の「風々院風々風々居士」、落語家の7代目立川談志の「立川雲黒斎家元勝手居士」など。
とはいえ、戒名はあくまでも、仏門に入る時に師匠から弟子に授けられるもの。「自分で作った戒名は戒名とは呼べないのでは」というのが、お坊さんたちの共通見解です。
ただし、どのような戒名にしたいかを伝えることはできますし、お坊さんの側も家族の声に耳を傾け、想いをくみとりながら、戒名を考えていきます。
三宅住職は、臨終後すぐに行われるお勤めのあと、約1時間かけて家族と話し込み、その場で法名を一緒に考えるのだとか。「あるご門徒さんのお葬式では、ご家族のさまざまなエピソードの中から、『自由』『お洒落』『イケメン』『優しい』『ニコニコ』などの言葉が出てきました。いつも安心や楽しさをもたらしてくださる方だったようなので、『楽』という文字を授けて、法名としました」
「その人らしい法名ができると、ご家族の中にも納得感が生まれ、みんなが思う故人様像が共有できるんです」と三宅さん。こうした時間そのものが遺族のグリーフケアにもなりそうです。
「ご不幸があったお檀家さんのお家には、ご逝去からお通夜の日まで、可能な限り毎日欠かさず足を運びます。ご家族と接する数だけ信頼関係が深まり、おひとりおひとりのお話の中から戒名の文字が浮かび上がってきます」と岩田住職。できあがった戒名も、あわただしい葬儀会館ではなく、自宅でゆっくりと見てもらっているそうです。
松村住職も、故人様への言葉に耳を傾けることを大切にします。その後、戒名とにらめっこする時間はなんと6時間。「どの文字がその人らしいか、声にした時の語感や響きなど、あれこれ考えます。パソコンに向かって、筆書きして、お経本を開き、お檀家さんと長年親しくしていた母に相談し、また考えて……そして必ず一晩置きますね」お坊さんたちはこれほどの熟考を経て、戒名を決めていくのです。
お位牌やお墓に刻まれた戒名を、改めて1文字1文字じっと見てみると、とても美しい文字の組み合わせでできていることに気づきます。膨大な数の漢字から選ばれた数文字に、その人自身の生き様、家族の想い、そして師匠であるお坊さんからの願いが凝縮されているのです。
戒名は、世俗を離れて仏へと歩みを進めはじめた人への名前。亡き祖父母や両親が、仏となって私たちのことを見守ってくれている。そう思うと、戒名ってありがたいものだなあとしみじみ感じられますね。